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一都六県が幼稚園児  作者: アセロラC
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第十話 はじめての、いっしょにおでかけ その1

ついに群馬県くんは栃木県ちゃんを誘って足利で待ち合わせをした。そして、栃木県ちゃんから衝撃の事実が知らされた……。

北関東の風景と二人の淡い恋(?)はどう移りゆくのか……。

「群馬県くん、遅いな。私たち五歳児は早く帰らないと叱られちゃうよ」

 栃木県ちゃんは「東武足利駅」の改札前で待っていた。正式には東武伊勢崎線の「足利市駅」だが、一般に「東武足利駅」、「東武駅」と言い、JR両毛線の「足利駅」のことを「両毛足利駅」、「両毛駅」と呼ぶ。しかしだいたいの人が「足利駅」といったら、駅の利用客が二、三倍多い東武の「足利市駅」を指す。

 この駅は足利の市街の中心から渡良瀬川を渡ったところにあるが、ここも立派な足利市街で、かつて渡良瀬川が蛇行していた頃に町の区画が定まったため、この対岸の一部も市街の一部になっているのだろう。

 高架のホームの方から「特急りょうもう号、浅草行きが発車します。次は館林」のホームアナウンスが聞こえた。

「『りょうもう号』が行っちゃっても、各駅停車久喜行きにはまだ二十分もあるわ」

 群馬県くんを待ちくたびれて不満を心に募らせる栃木県ちゃんだった。しかしその目の先には、電車の待合室のある二階から急いで階段を降りてくる群馬県くんの姿があった。切符を自動改札に入れて出てきた群馬県くんは、坊主頭で、ブラックのユニクロMA-1、ユニクロジーンズ、そしてクロックスだ。カバンはダイソーの300円セカンドバッグをたすき掛けにしている。今日、栃木県ちゃんもオリーブドラブのユニクロMA-1を着ていた。

(「偶然同じ服?」)と思った栃木県ちゃんはドキッとした。しかし、

「ごめん、俺、寝過ごした」という言葉で目が覚めてしまった。


 実は今回のお出かけは群馬県くんが持ちかけてきた。意外だったので、栃木県ちゃんは何か期待していることがないわけではない。しかし、誘ってきた群馬県くんの方が遅刻するというのは意外だった。


「今日はどうしたの? 体調が優れなかった?」と優しい声をかけるのが精一杯だった。

 栃木県ちゃんはこれまで三十分以上待っていたことは言わなかったが、自分は群馬県くんに軽んじられているのかと心配になった。誰にでも優しく、誰にでも朗らかでありたい栃木県ちゃんは、もし群馬県くんに嫌われていたら、かなりショックだ。しかし群馬県くんとは距離が近いせいもあって、他のクラスメイトよりちょっぴり親近感があるような、ないような感じだった。

「『りょうもう号』で来たから許して」と群馬県くんは言った。本気で今日の待ち合わせに急いで来ていたのだった。

「『特急りょうもう号』は特急料金がかかるでしょ。お金大丈夫なの?」

 栃木県ちゃんは、群馬県くんの財布の中が気になった。五歳児のお小遣いはたかが知れている。電車賃のような移動手段にお金を払うのは本来バカバカしかった。しかも特急料金は、早起きすれば節約できる出費だからだ。

「急いでたんで、止まっていた『りょうもう号』に乗ったんだ、車掌さんがよそ見している時に」

 群馬県くんは不正乗車をして足利市駅にやってきた。絶対にやってはいけないことだ。

「それはいけないことでしょ」

「だけど、車内検札に来なかったよ」

「車内検札に来なかったからって、許されていると思っちゃダメだよ。きっと五歳児が間違えて電車に乗っちゃったんだなって、車掌さんは気づいていると思うよ。足利駅で降りた時、別に何も言われなかったのがその証拠。誰も知らないから何をやってもいいと思っちゃダメ。人は見ているのよ。見ていながらお目こぼしをしてくれているのよ」

 栃木県ちゃんの説明は自分勝手な妄想に近かったが、とにかく群馬県くんは車掌さんに追加料金を取られることもなく、改札でも料金を請求されることなく栃木県ちゃんに会うことができた。

「でも、急いで来てくれたことには感謝しなくちゃね。もう寝過ごしたりしないでよ」

「ごめん」

 素直に謝る群馬県くんに、栃木県ちゃんは微笑んだ。


    ——————————


 今回外出するには理由があった。群馬県くんは色気も下心も何の含みもなく栃木県ちゃんを誘った。

「足利で行きたいところがあるんだ。付き合ってよ」

 栃木県ちゃんは群馬県くんからの意外な誘いに驚いていた。

 群馬県くんは、クラスの誰とも付き合いたがらず孤立気味で、栃木県ちゃんが声をかけたり気を使ったりしているけど、普段はむすっとしていて、茨城県くんに対しては、わざと挑発的なことを言ってケンカを始める。そんな群馬県くんを少し持て余していたのだけど、群馬県くんには、一本のポリシーのようなものを感じていてい、これを手掛かりにして群馬県くんとはうまくいくかもしれないと淡い期待を抱いていた。


    ——————————


「それで今日は、どこに行きたいの?」

「とりあえず中橋を渡ろう」と群馬県くんが言った。

 中橋とは、足利市街の中心部と東武駅の周囲を結んでいる古い橋で、橋のたもとには「昭和六年云々」と銘板がある。昭和六年に作られた橋は意外に多くて、都内の有名なところでは、台東区上野の不忍池の弁天様に向かう参道の橋がそうである。

 ここを男女でデートすると、弁天様がヤキモチを焼いて別れさせられると言われていて、たいてい二人の仲が睦じい時は「そんな迷信、あるわけねーだろ」と高をくくっているが、人生を長く歩んでくると迷信と思っていたことが迷信でないのがわかる。それがわかった時、二人は終わっているのだ……。……いや、人生とはそういうものなのだ……。

 それはさておき、改札を出て左側には渡良瀬川の土手が、二十メートル先のところに見える。二人は高架下の店や、駅前のビルの前を通りながら中橋を渡ろうと歩いていた。秋とはいえど、真っ昼間で寒くはない。芝の生えた土手には所々でススキの生えている。それに目をやると、場所はわからないが土手の方からコオロギの声が聞こえた。

「昼間なのに車も歩行者も多いね」

 歩行者の多くは高校生であった。足利は男子校と女子校に分かれている高校が多く、男女仲良く歩く高校生は少ない。男子は男子同士、女子は女子同士で盛り上がっている。栃木県ちゃんは、その高校生の下校の様子に見入ってしまった。しかし、はっとなった栃木県ちゃんは思い出した。私たちはここで何をしているのかと。

「それで、今日は何の用なの?」

「いや、今日は本屋に一緒に行きたいなと思って」

「本屋? 群馬県くんのところにも本屋あるでしょ」

 栃木県ちゃんはあえてそっけない対応をした。ちょびっとだけうれしい気持ちはあったけど、それは隠しておかなければならない。たとえ「全面外交主義」の栃木県ちゃんにも世間体がある。特定の相手に、いきなり人前で「でれ〜」っとするわけにはいかない。栃木県で最も優秀な五歳児であることを自認する栃木県ちゃんが、みっともない真似を誰かに見られるわけにはいかないのだ。

「俺の田舎の近くには『ナカムラヤ』しかない。群馬の奥地に行けば『煥乎堂』があるけど、俺はジムニーとかパジェロとかに乗っていないから、そこまで行くのは難しいな」

 群馬の奥地がサファリであるのはともかく、群馬県くんのいう「俺の田舎」は太田市のことだとわかった。東武線でやってきたのは、それが理由だったのかもしれない。

 群馬県くんは自分の頭の中にある足利の地図に沿って移動しようとした。

「足利は岩下と岡崎があって、東武から橋を渡って、両毛線の踏切を渡って本町通に来て、右側が岩下、左側が岡崎だったと思ったんだけど。今日は岩下に行きたいと思ってるんだけど」

 そこで、突然、栃木県ちゃんが悲しそうな顔をした。

「岡崎は閉店したのよ……」

「えぇ(*_*)!」

「もう岡崎書店はないのよ」

「そ、そうだったのか……」

 がっくりとうなだれる群馬県くんに栃木県ちゃんがツッコミを入れた。

「群馬県くん、本当は何歳なの?」

 思わずキョドる群馬県くん。

「お、俺は五歳だよ。とりあえず五歳」

「だって、岡崎が閉店したのは二十年近くも前よ」

「えっ(*_*;」

「どうして知ってるの?」

「そ、それはあれだからさ……今日のためにネットで調べてきたからさ……」

 群馬県くんは落ち着きを失っている。

「岡崎書店の閉店情報って、載ってないと思うけど」

 しかし群馬県くんの逆襲が始まった。

「じゃ、どうして栃木県ちゃんは知ってるの? 岡崎がなくなったって」

「栃木県のことはよく知ってるわよ」と余裕でいたのだが、

「岡崎がなくなったのって、もしかしたら、栃木県ちゃんのお母さんが生まれた前のことかもしれないだろ?」

 母親が生まれる前という予想外の言葉に、栃木県ちゃんは言葉を失いかけていた。

「……な、何を言ってるの?(^◇^;) 足利の本町通商店街では、有名な話なのよ」

「栃木県ちゃんこそ、本当は何歳なんだよ!」

 滅多にキレることのない栃木県ちゃんはキレてしまった。

「レデーに向かって、なんて失礼なことを聞いてるのよ( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」

「痛い、サリー先生みたいだ」

 しかし群馬県くんは気づいていなかった。「レデー」という言葉は四十年も前の人たちが使う言葉だった。ちなみに、三十年前の女性は「レディー」と呼ぶようになっていた。どっちにしても古い言い方であることには変わりなかった。


    ——————————


 温厚でやさしいはずの栃木県ちゃんを怒らせてしまった群馬県くんだったが、栃木県ちゃんは本題に入ろうとした。

「それで、今日はどんな本がほしいの?」

「ヴィクトル=ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』」

「すごーい( ゜д゜) ! あの本は長編よ」

 群馬県くんから信じられないような書名が出て、栃木県ちゃんは驚いていた。

「岩波文庫のが欲しいのだけど、足利ならあるかなと思って」

「あるかな〜? 岩波でしょ?」

「やっぱり破れたパラフィン紙に包まれてて、本体が日焼けで茶色くなってるのなのかな」

「だから、群馬県くんは何年前の話をしてるの? パラフィン紙の表紙は大昔の話でしょ。今の岩波はまともなカバーがついている。パラフィン表紙を見るのは老舗の古本屋。ところで、ユゴーは近年新訳が出たんだよね」

「それを読んでみたい」

「どうして?」

「Eテレの『100分 de 名著』で見たから」

 テレビに感化されやすい群馬県くんだった。

「お店に在庫あるのかな」

「テレビで紹介したからお店は大量に入荷してんじゃないの?」

 実は群馬県くんは世間知らずだった。栃木県ちゃんは群馬県くんに岩波書店出版物の特殊性について説明した。

「岩波書店の本は、本屋さんの買取制で、本の取次店とかに返本ができないの」

「そうなんだ」

「売れなかったら売れるまで書棚の肥やしになっているわけ。たとえ古典中の古典とも言うべきいい本でも、売れなければ本屋は在庫を抱えることになるから、中小のお店はあまり扱おうとしないの。売れるのは、大学の周辺とか、専門書を読む人が集まる神保町とか新宿、池袋なんかの大きな店でしょうね」

「それで一般の本屋にはあまり置いてないのか」

「でも群馬県くんはどうしても岩波文庫のを読みたいの?」

「とりあえず大まかなストーリーが読めればいい。『100分 de 名著』の解説をした先生も、『全部読むのは根気がいりますよ。読み切れたら尊敬します』みたいに笑ってた」

「でも『ノートルダム・ド・パリ』ならあるかもしれないわよ」

「それ、何?」

「映画や舞台の原作として有名だけど、子ども向けに短くして読みやすくした本があるの」

 群馬県くんは、胸を張って威張るように言った。教室の中で人を寄せ付けないような発言している時の様子に似ていた。

「俺は、子どもだましはいらない。本物が欲しい」

 しかし栃木県ちゃんは、群馬県くんが知らないことを知っている。まるで群馬県くんが今日買い物に行く前に実際に読んでいたかのようだ。栃木県ちゃんは、その子ども向けの本が全くバカにならないと説明する。

「ところがこの『トキメキ夢文庫』のがすばらしいできばえ。絶対にオススメよ」

「そうなの? 栃木県ちゃんがおすすめって言うくらいなら信用する」

 単純な群馬県くんだ。だがこの単純さが群馬県くんのいいところでもある。

「ユゴーの大作には色々なテーマが含まれていて、しかも知識豊富な大家ゆえに寄り道も多くて、読み切るのに大変だと思うの。その点、この子ども向けに編集されている『ノートルダム・ド・パリ』はテーマを絞って要約しているし、きれいな挿絵があって場面場面を想像しやすい。しかもわかりやすい現代日本語に加えて、小学生が学習すべき水準の漢字で書かれていてとても読みやすい。背景的知識は本文中で解説してあって、舞台となったノートルダム大聖堂やパリの様子などの写真が入っている」

「日本近代の作品は、学校教科書に載っているような有名なのになると、語句解説が載っているよね、新潮社とか集英社とか。特に筑摩文庫は本文中の左のページに記載されていて参照しやすい」

「そのほかに編集部のまとめがあって、読者に問題提起しているの、『あなたはどう思いますか』って。まさに至れり尽くせりで、圧巻の一言。さすがは、アマゾンの文芸作品カテゴリーでしばらく一位だった本、なのよ」

「それ、本屋さんにあるかな」

「行ってみましょうよ」

 二人は急な上り坂を土手の上に上がって中橋を渡ろうとしていた。中橋は車線の両側に後からつけられたような歩道がある。真下は渡良瀬川の河川敷で、数百メートル上流の橋が渡良瀬橋、下流が田中橋。三つとも異なる造りの橋だ。

「以前、冬に来た時、強い空っ風で寒かった。夏は湿度を含んだ熱風に吹かれるでしょ。この秋はだいぶ涼しくなったけどね」

 あたりさわりのない天気の話をして、栃木県ちゃんの様子を見る群馬県くん。まるで馬車の中で偶然居合わせたイギリス人のようだ。

「私ね、この渡良瀬川の土手で鈴虫を捕まえて、家で飼っていたことがあったの」

 栃木県ちゃんから意外な話を振ってきた。鳴き声を出す地味な虫の話だ。甲虫類の好きな群馬県くんには縁のない話だった。

「虫系ってうるさくない? 栃木県ちゃん」

「おばあちゃんが飼ってて、日陰の暗いところに虫かごを置いとくと、昼間でも鈴虫の音が聞けたの。それが近くだとうるさいけど、遠くで小さな音だといい感じで家の中に響いていた。もっとも耳の悪いおばあちゃんは虫かごの近くにいたけどね」

 神奈川県ちゃんほどケバくないけど、おとなし目で上品な栃木県ちゃんらしかった。

「風流だね」

「餌のキュウリ代だけであの音が楽しめるって贅沢よね」

 栃木県ちゃんのまさかの「人でなし」っぽい発言に驚いてしまった群馬県くん。

「なんてこと言ってるの、栃木県ちゃん」

「冗談よ」

 群馬県くんを驚かせようとして言っただけだった栃木県ちゃん。普段真面目だから、あまりシャレになっていない。

「この橋も、夕方から夜になると、虫の声でいっぱいになるのよ」

「コオロギのような大きな声のじゃなくて、弱い声の鈴虫の声も聞こえる?」

「それがね、大合唱してて、よく聞こえる(^_^)」

「俺も聞きたい」と言いながら、群馬県くんは思った。

(「よし、これで夜までもちそうだ。もし栃木県ちゃんがまだ太陽が上がっているときに帰ろうと言い出したら『一緒に鈴虫の声を聞く約束だったでしょ』と言えばいい( ̄ー ̄)ニヤリ」)

 群馬県くんは栃木県ちゃんの行動を計算したつもりだった。しかしそこは人付き合いが苦手で、所詮は五歳児の群馬県くんのことだった。


    ……………………


 群馬県くんは何の気もなしに栃木県ちゃんとの岩下書店にユゴーを買いにに出かけた。そこで岡崎書店閉店という驚愕の事実を知りながらも、同時に子ども向けながらも優良書籍も教えてもらった。「栃木県ちゃんは、僕の一歩も二歩も先に進んでいる」と群馬県くんは思っているようだ。それもそのはず、栃木県ちゃんは……いや、なんでもない。

 とにかく、前に進め群馬県くん! 群馬県くんを後戻りさせるな、栃木県ちゃん! 「キラメキ夢文庫」を読んで、世の不条理、悲しみを学び、そしてそれを乗り越える力を身につけるのだ!

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