20、誤解
燦々と太陽の光が降り注ぐ。
真夏の暑さに、俺の額を一筋の汗が流れた。
それを拭うこともせずに、コート上でボールを追う彼女の姿を、俺は真剣に目で追いかけていた。
得点板を見ると、マッチポイントだ。
圧倒的な強さで対戦相手を追い詰める彼女は、甘い返球を見逃さずに、打ち上げられたボールをスマッシュ。
それが、最後のショットとなり、見事に勝利をもぎ取った。
「ゲームセットアンドマッチウォンバイ 葉咲」
息を整えてから、対戦相手と最後に握手を交わした夏奈が、ニコリと笑顔を浮かべてから、今度は応援席に座る俺を見た。
目が合ったような気がした。
彼女がピースサインを向けてきたことで、それが気のせいでないことに気がつく。
俺は頷いてから、サムズアップをして応える。
――今日は、以前約束していた夏奈の応援に来ているのだ。
前回とは違い、俺が一人でこの場所に来ている。
『優児君と冬華ちゃんが一緒にいると、気になって集中できないもん』
と言われてしまえば、二人で来るわけにもいかなかった。
そんな風に考えていると……
「見ててくれた、優児君?」
汗をタオルで拭いながら、試合を終えた夏奈が、応援席にいる俺のところにやってきた。
「おう。お疲れ」
俺が答えると、夏奈は照れくさそうに笑ってから、問いかけてくる。
「ありがと。試合、どうだったかな?」
「強いな、夏奈は。すげぇカッコよかった」
俺が素直に思ったことを言うと、夏奈はホッと一息ついた。
「良かった。この間みたいに、情けないところは見せないからねっ!」
「おう、楽しみにしてる」
俺がそう言うと、夏奈は満足そうに微笑んでから、何か考え付いたように、上目遣いに俺をのぞきこんでくる。
「あ、それとね」
「どうした?」
「優児君の方が、カッコいいよ?」
夏奈の言葉に、俺は動揺する。
そういうことは、夏奈以外から言われることがないから、どうしても照れてしまう。
「……どう考えても、夏奈の方がカッコいいぞ」
「ううん、優児君の方がカッコいいよ!」
いや、夏奈の方が。
絶対優児君の方が!
何故か意地になって、そんなやり取りをしていると、不意に夏奈が笑った。
「……どうした?」
恐る恐る俺が問いかけると、夏奈が微笑みを浮かべてから、言う。
「ううん。なんだかバカップルな恋人同士みたいな会話だなって。思いました……」
俯きながら前髪を指先で透きながら、えへへ、と照れ笑いを浮かべる夏奈。
確かに、そんな感じの会話をしていたなと思った俺は、上手く言葉を返すことが、出来ずに、
「……次の試合も、頑張れ」
などと、会話の流れを無視して言うしかできない。
「うん、頑張るから。……私だけを見ててね?」
満面の笑みを浮かべて言う夏奈のその言葉に、俺は中々頷くことができなかった――。
☆
その後も、夏奈は破竹の勢いで勝ち進み、決勝戦。
相手は、前回の大会で夏奈が敗れた選手だ。
それでも、気負った様子のない夏奈は、試合に挑む。
そして……。
「ゲームセットアンドマッチウォンバイ 葉咲」
審判が試合が終了したことを告げる。
そして、コート上の夏奈が、小さくガッツポーズを決めた。
夏奈は前回敗北を喫した相手に勝利し、見事優勝をしたのだ。
屈託なく笑う彼女の表情を見ながら、俺は惜しみない拍手を送った。
☆
――そして、表彰式が終わった。
すでに日は沈んでいたが、それでも真夏の暑さは冷めやらない。
夏奈の「ちょっとお話がしたいな」というリクエストに応え、試合会場から少し離れた、静かな公園のベンチで、俺たちは隣り合って座っていた。
無言のままでいる夏奈に向かって、俺はここに来るまでにも言ったことを、もう一度言う。
「改めて、優勝おめでとう。すごいな、夏奈は」
俺の言葉に、夏奈はニコっと笑みを浮かべてから、答える。
「ありがと。でも、私が優勝できたのは、優児君のおかげだから」
「どういうことだ?」
「私を仲間はずれにして、冬華ちゃんと楽しいお泊り会をした優児君のおかげ。嫌なことは考えないようにって、テニスにだけ集中して、自分を追い込めたおかげなんだから」
ニコニコとした表情を浮かべつつも、夏奈の瞳の奥が笑っていないことに気が付いた。
俺と夏奈は付き合っているわけではない。
だから、俺が気に病む必要はない。
「お、おう……」
……のだが、それでも夏奈が傷ついたことに変わりはない。
謝罪をすることもないまま、俺は曖昧に応じることしかできない。
「ふふ、嘘だよ。半分は、冗談」
「半分は本気なのかよ」
俺がガクリと肩を落とすと、くすくす笑い声をあげてから、夏奈は言う。
「優児君のおかげっていうのは、ホントかな。今まで悩んでいたのも吹っ切れて、テニスにも、恋愛にも。一生懸命になれてるんだから」
「……俺が言うのもなんだが、マッチポンプな気もするが」
「そだね、優児君が言うのも、なんだかなぁだよ」
おかしそうに笑いながら言う夏奈。
俺は胃が痛くて笑えなかった。
ひとしきり笑い終えてから、夏奈はおねだりをするように、甘えた声で問いかける。
「夏休みはさ、まだまだこれからだよね?」
「ああ、そうだな」
気を取り直した様子の夏奈が、俺に問いかけてくる。
もちろんその通り、夏休みはまだ半分程度残っているのだ。
「私も、優児君と一緒にどこか遊びに行きたいなー」
ちらり、と上目遣いに俺を見るてくる夏奈。
俺も、友人である夏奈と一緒に、遊びに行けたら楽しいので、それは全く問題ない。
そういえば、と思い出した俺は、
「それなら、今度一緒に温泉に行かないか?」
夏奈に向かってそう言った。
近いうちに、甲斐に誘われていた温泉に行くことになるだろう。
冬華にも声をかけることになるし、夏奈と彼女が二人で温泉に入るのも、悪くはないのでは。
「……へ?」
どうしてか、夏奈は呆けた表情で呟いた。
「あんまり温泉は興味ないか?」
「そうじゃなくって。……え? え?」
顔を真っ赤にして、動揺を浮かべる夏奈。
何か変なことを言ってしまっただろうかと、内心ハラハラしていると……。
「い、良いよ! でもね? 優児君が冬華ちゃんと別れて、私とちゃんとお付き合いをしてからじゃないと……ダメ、だからね?」
潤んだ眼差しで、上目遣いに俺を見る夏奈。
「え?」
……何の話をしているのだろうか?
そう思った俺は、呆けたようにそう声を漏らす。
「だ、だって! 温泉旅館に二人でお泊りデートってことでしょ!?」
夏奈が俺に、非難めいた眼差しを向けつつ言ったのを聞いて、彼女がどんなふうに誤解しているのかが分かった。
「すまん、言葉足らずだった。甲斐って後輩から一緒に温泉へ行こうって誘われてな。その時に、冬華もついてくることになってるから、一緒に夏奈も来てくれたらと思って」
「……へ?」
俺の説明を聞いた夏奈が、呆然とした様子で呻いた。
「普通に考えて女子を温泉に誘うとか、セクハラだな……。すまん」
「ま、待って! そういうことなら、私行くからっ! 何も問題ないから」
必死の表情で告げる夏奈に、
「お、おう。行くときは、予定聞くから」
と、俺が答えると、夏奈はムスッとした表情を浮かべつつ俺を見る。
「……ホント、優児君は悪い男の人だよね。女の子の私に、こんなに恥をかかせたんだから」
熱っぽい眼差しを俺に向け、夏奈が言う。
彼女が誤解したまま何を言ったか、その意味を察していた俺は、途端に顔が熱くなるのを自覚した。
「……悪い」
「悪いと思ってるのだったら、誠意を見せてほしいな?」
頬を朱に染め、上目遣いに俺を覗き込んでから、夏奈は、目を閉じる。
……俗に言うキス顔という奴だ。
可愛くて、普通にドキドキしてしまう。
だが、もちろんキスをすることなんて出来ない。
代わりに、俺は夏奈の頭に手を乗せて、優しく撫でる。
真桐先生にもしたのだから、これは問題ないだろう。
夏奈の視線を感じるのだが、恥ずかしくて目を合わせることができない。
俺はそっぽを向きながら彼女の頭を撫でていると、夏奈は俺の胸に身体を預けてきた。
俺が驚き、身体を強張らせると、彼女は穏やかな声で言った。
「しょうがないから、私が良いって言うまで撫でてくれたら――今日は、許してあげる」
「お手柔らかに頼む」
俺はそう答え、夏奈の頭を撫で続ける。
そして、頭の片隅にわずかに残った冷静さが、俺に告げる。
今この場を朝倉や真桐先生に見られたら、きっと大変なことになるぞ、と――。






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