19話、ポンコツ
遠い目をする俺に、真桐先生は言う。
「田中君と鈴木さんは付き合っているみたいだし、竜宮さんは池君と話をしているだけで幸せそうだし。……あなたと池さんだって、とっても良い雰囲気。……みんな、青春し過ぎなのよっ!」
田中先輩と鈴木は、やっぱり付き合ってるのか。
そう思いつつ、俺は真桐先生の言葉にツッコミを入れる。
「いや、真桐先生は、俺と冬華が『ニセモノ』の恋人なのは知ってるでしょ?」
すると、胡乱気な眼差しをこちらに向けてから、ムスッとして真桐先生は言う。
「二人きりで夜空を見上げて、身を寄せ合って、頭を撫でたのは、『ニセモノ』の恋人だから、そうしたのかしら?」
「あれ、見てたんすか?」
「……あなたたちを探しに行ったときに、見たのよ」
見られていたのか。
そう思うと、途端に照れくさくなる。
「確かに、言われてみれば恋人っぽいことしてるかもしれないすね」
俺の言葉を聞いた真桐先生は、こちらを睨んでから、
「気分的には、3組のカップルの中に入り込まされた、一人の独身。しかも、私が最年長。うぅ……」
そう呟いた後、抱きかかえたぬいぐるみに顔をうずめた。
「私は、学生時代男の子とスキンシップはおろか話したことさえ、ほとんどなかったというのに……」
「学生時代の真桐先生は、どんな感じだったんですか?」
話を逸らせそうだったので、俺はすかさず問いかけた。
すると、考え込んだ様子を見せてから、
「……言いたくないわ。秘密よ」
プイっとそっぽを向いて、真桐先生は言った。
残念なことに、話は逸らせなかったようだ。
「それに……こんなズタボロなメンタルの時に限って、お父さんからはまたお見合いの話もされるし」
「そんなに嫌なんすか、お見合い?」
俺が問いかけると、真桐先生は俯き、ゆっくりと首を振る。
「お見合いが嫌なわけではないの。それで結婚して、幸せな家庭を築く人も、たくさんいるのだから。ただ、私は……」
真桐先生は、言おうかどうか迷った素振りをしてから、
「一度で良いから、普通に恋愛をしたいのよ」
ぎゅ、とぬいぐるみを抱きしめて、真桐先生は呟いた。
それから、自虐的な笑みを浮かべてから俺に問いかけてくる。
「ねぇ、友木君。23歳にもなって男性とお付き合いしたことがない私を、惨めと思うかしら?」
「いえ、思わないすよ」
俺は努めて柔らかな声で答える。
晩婚化が進む昨今、20代前半で交際経験がないのも、そう珍しくはないだろう。
「私を惨めと思うのなら……池さんにしたみたいに、私の頭を撫でてはくれないかしら」
この人、俺の話全然聞いてねぇ……。
本当に、酒が入ると可愛くなるな、真桐先生は……。
「惨めだと思わないので撫でませんが?」
「惨めだと思わないでも撫でてはくれないかしら」
……どうしても撫でられたいらしい。
青春時代にできなかったことを、やってみたいのだろう。
その気持ちはわからなくはない。
しかし、そんな大役を俺が務めても良いのだろうか。
そんな不安はあるものの、潤んだ瞳でこちらを見てくる真桐先生を見て、俺は一つ溜め息を吐いた。
「分かりました」
俺はそう答えてから立ち上がる。
真桐先生は、恥ずかしそうにしながら、ベッドのふちに座る。
「ありがとう。それなら、ここに座ってくれるかしら」
それから、ポンポンと、自らの隣を手で叩き、ここに座りなさいと促してくる。
……ハードル高いな。
そうは思いつつも、仕方ない。
俺は、真桐先生の隣に座り、彼女の方を見る。
真桐先生は、上目遣いで、熱っぽい視線をこちらに向けてきていた。
緊張し、恥ずかしがっているのだろう。
俺だって恥ずかしい。
「……それじゃ、いきます」
俺が言うと、真桐先生はギュッと目をつむって、視線を俯かせる。
そんな真桐先生の頭に、俺はそっと手を置いた。
ビクッと、彼女の肩が一度大きく跳ねた。
それが何だか照れくさかったが、そのまま彼女の頭を撫でる。
よく手入れされていることが分かる手触りの良い髪の毛を、指先で梳いていく。
真桐先生の顔が真っ赤になっているのは、何もアルコールのせいだけではないだろう。
俺も、顔が熱かった。
……ていうか、真桐先生めっちゃ良い匂いする。
「これで終わりす。満足できましたか?」
俺は適当なところで切り上げてから、そう宣言する。
いつまでも髪の毛を撫で続けることになりそうだったからだ。
その言葉を聞いた真桐先生は、ぬいぐるみを抱いたまま、ごろんとベッドの上に寝転がった。
それから、
「……ええ、満足したわ。ありがとう、友木君」
俺の方を見ないまま、彼女は言った。
「それなら、良かった」
俺はそう答えるのだが、返事はなかった。
どうしたのだろうか? そう思っていると、真桐先生の寝息が聞こえた。
やはり、だいぶ酔っていたんだろうな。
彼女の寝顔を見てから、タオルケットを掛ける。
そうしてから、俺もそろそろ帰ろうか……と思い、ふと気が付いた。
鍵、どこにあるんだろうか?
……流石に、独り暮らしの女性の部屋のドアを開けっぱなしのままはまずい。
叩き起こしてキーの場所を聞くのも良いかとは思ったが、……今回も結構酔っていたし、やはり事故が起こらないか心配だ。
はぁ、とため息を一つ吐いてから、気持ちよさそうに寝息を立てる真桐先生の寝顔を見て、俺は思う。
――明日は、説教だな。
と。
☆
翌朝。
起床してすぐに、頭痛を堪えて顔をしかめる真桐先生が、俺を見てから顔を真っ青にした。
そしてベッドから立ち上がり、早々に深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
彼女の謝罪を受けて、俺は立ち上がる。
そして、腕を組んで仁王立ちをして、
「何か、申し開きはありますか?」
と尋ねる。
「何も、ありません」
顔を上げてから、両手で覆い隠しながら、真桐先生は答えた。
その声は震えていた。
あれだけ酔っぱらっても記憶をなくさないっていうのは、俺が思っているより酷なことかもしれない。
……だからと言って、俺が説教をすることに変わりはないが。
一つ溜め息を吐いてから、真桐先生に沙汰を言い渡す。
「言いたいことは色々とありますが。まず一つ、肝に銘じてもらいたいことがあります」
俺の言葉に、緊張した面持ちの真桐先生が、頷いた。
「これからは、酒に逃げる前に、俺に愚痴ってください」
俺は呆れつつ、真桐先生にそう告げる。
すると彼女は、動揺を浮かべつつ、俺の表情を伺いつつ、問いかけてきた。
「……流石に、それは迷惑じゃないかしら?」
「今更だと思わないすか?」
俺は当然のことを言う。
「……返す言葉もありません」
真桐先生が、俺の言葉に、シュンとうな垂れる。
それから真桐先生は、どこか後ろめたい眼差しを俺に向けてから告げる。
「情けない話ね」
本当ですよ。
そう言いたいのを堪えて、真桐先生の続く言葉に耳を傾ける。
「私は教師で、あなたは生徒なのに。……私は、あなたの優しさに甘えたいって、思っているのだから」
切なげな表情で、真桐先生は震える声で言った。
素面の時の真桐先生は、年上の美人なお姉さんだ。
そんな彼女に、殊勝な態度でそう言われると……流石に、ドキッとする。
「真桐先生から頼りにされるのは。……嫌じゃないすよ。俺は」
俺の言葉を聞いた真桐先生は、照れくさそうな表情を浮かべ、俯く。
それから、可愛らしい微笑みを俺に向けてから、
「はい。これからも、頼りにさせて下さい。……ね、友木先生?」
どこか、悪戯っぽい、弾むような声音で言った。
……どうやら真桐先生は、本格的に『友木先生』と気に入ったようだ。
彼女の笑みを見ながら、俺は心中で苦笑するのだった。






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