8、兄と幼馴染
翌日、いつものように登校して教室に入ると、普段とは違う居心地の悪さがあった。
教室に入った俺に、視線が集まった。
これまで俺に対する視線は恐怖だとか嫌悪だとかが多分に含まれていたのだが、今日に限って言えば、好奇の眼差しも多くあった。
気になって俺がこっちを見てくる連中の視線にふりかえると、さっと目を逸らされるのは、いつも通りなのだが。
「よう、おはよう優児」
「おっす」
自席に着いた俺に、池が気軽に挨拶をしてきた。
それは、いつも通りなのだが……。
「お、おおおおおはよう、友木くん!」
挙動不審、噛みまくりになりながらも俺に挨拶をしてきたのは、葉咲夏奈だ。
……2年に進級してから、教室の中で池以外のクラスメイトに話しかけられたのは、初めてかもしれない。
「おう。……どうしたんだ、今日は?」
俺は、二人にそう問いかける。
葉咲の方は俺を怖がっているのか、視線を泳がせたまま、全く答えない。
池はそんな葉咲を見て微笑みを浮かべてから、
「冬華とのことを聞かせてもらいたいんだよ。夏奈もそれが目的だ」
と言った。
なるほど、池と葉咲は幼馴染だ。
ということは、葉咲はもしかしたら、冬華のことを自分の妹のように思っているのかもしれない。
そんな妹分が評判の悪い俺と恋人になった、なんて知ったのだから、不安で仕方がないのだろう。
「ああ、ちゃんと説明する。HRの後、周りに人がいない場所で話す」
もうすぐ始業時間になる。
その間に説明を終えるのは無理だ。
「分かった。……葉咲もそれでいいな?」
池の問いかけに、葉咲は無言のまま一生懸命に首を縦に振った。
俺にめちゃくちゃビビっているくせに、冬華のために恐怖を堪えているのだろう。
良い奴だな、と思いながら葉咲を見ると、視線を向けられたのが怖かったのか、彼女は顔を真っ赤にして俯いてから、池の後ろに隠れた。
……そんなに怖い顔してたかな、と朝からちょっと凹む俺だった。
☆
そして、HRが終わり、俺と池と葉咲は普段人のいない非常階段に移動していた。
「冬華に聞いても、あいつは何も答えてくれなくてな。悪いけど、いくつか確認をさせてくれ。……お前たちはいつから、付き合っていたんだ?」
池が単刀直入に俺に問いかける。
すでに池の背後が定位置になっている葉咲も、何度も頷いていた。
「……昨日の昼休み、冬華に呼ばれて告白されて。それから付き合った」
俺は正直に答える。
冬華は黙秘を決め込んだらしいが、ニセモノの恋人同士であることさえは伝えなければ大丈夫だろう。
「昨日と言えば出会った翌日、だよな? その……それで付き合うってのは、実際どうなんだ? 優児は、なんで冬華と付き合ったんだ? 人柄なんて、ほとんど知らないだろう」
……池の言う通り、俺はあいつのことをほとんど知らない。
そのくせ、知りたくもなかった性格は知ってしまったのだが。
とりあえず、あいつの良いところを好きになったことにしよう。
ええと、良いところ、良いところ……。
「……可愛いじゃん、あいつ?」
俺の回答に、池と葉咲が露骨にがっかりした表情になった。
特に葉咲は、その表情に怒りすら滲んでいるように見えた。
「それならっ! ……と、とと友木くんは! か、可愛ければだれでも良いの? 別に冬華ちゃんじゃなくても、良いって……ことなの?」
池の背後から飛び出し、急に大声を出したものだから、俺はびっくりして葉咲を凝視してしまう。
すると、怯えたように肩を震わせつつも、言い切った彼女。
好きでもないのに、顔だけ見て付き合ったのか、と。
彼女はそう問いかけたのだ。
池も、同じように俺の答えを待っていた。
俺は別に冬華に恋愛感情を持っているわけではない。
好きか嫌いかで言ったら……まぁ嫌いではない。
それに……。
「誰でも良いわけじゃない。あいつは、俺を見かけだけで怖がったりしなかったからな。……そういうところは、好きだ」
我ながら悲しすぎることを言った。
俺の言葉に、葉咲は悔しそうに歯噛みをした。
そして、驚いたことに……彼女は目尻に涙を浮かべた。
「私は……私だってっ!」
意を決した表情の葉咲。
しかし、彼女の続く言葉を池は遮った。
「夏奈……今は、これ以上言うな」
その瞳は冷静そのもので、葉咲も言葉に詰まっていた。
「うっ……春馬のバカーーーーっ!!!」
そう言い残して、葉咲はこの場を後にして、教室へと戻った。
その背中を、池は優し気な瞳で見つめていた。
……俺は、葉咲が何を言おうとしたかったのか、なんとなくわかった。
間違いなく、葉咲も冬華のことが好きなんだ。
なのに、しょうもない理由で冬華と付き合うことにした俺が信じられなくて、そして許せなかったのだろう。
本当に、葉咲は良い奴なんだと思う。
「悪い、池。助かった」
葉咲の糾弾を受けずにすんで、正直俺はホッとした。
「……? 何のことだ?」
とぼけたような表情で言う池。
恩に着せないつもりなんだろう。
やはりこいつも、掛け値なしに良い奴なのだ。
「……なんにせよ、優児なら安心だ。冬華に無理矢理付き合わされているかと思って、俺は少し心配していたんだが、そういうわけでもなさそうで良かった」
池の言葉に、俺は口元が引き攣りそうになった。
俺は自分の意志であいつのニセ恋人になったが、確かに、無理矢理恋人になれと言われたようなものだったからな。
「お、おう」
俺の返事を聞いた池は、満足そうに頷いてから言った。
「冬華は生意気なところもあるけど、根は良い子だ。だから、よろしく頼むぞ」
池が俺の肩を叩いて言う。
俺は少し複雑な気持ちになる。
多分冬華は、祝福されるよりも、池が嫉妬することを望んでいるはず。
しかし、俺の口からそんなことを言えるはずもなく。
「……ああ、任せろ」
俺らしくもなく弱々しく笑いながら、そう答えたのだった。