10話、薔薇
高校二年の一学期。
思えば、色々なことがあったが、それももう終わり。
今日は、終業式だった。
午前中に気怠げな式は終わり、午後にはもう、自由の身だ。
現在教室にいるクラスの連中も、仲良し同士で楽しくおしゃべりをしている。
ちなみに、俺はというと。
池と朝倉が生徒会と部活ですぐに教室を出ていったため、荷物をまとめてさっさと帰ろうとしているところだった。
だが、そんな寂しい俺に、声をかける人物がいた。
「優児君! これから夏休みだねっ!」
「おう、そうだな」
俺は一言応じて、声をかけてくれた少女、夏奈を見た。
そして、どこか緊張した面持ちの夏奈が、口を開いた。
「……あのさ、夏休みの予定って、もう結構入ってるのかな?」
「空いてる日が、今のところ多いな」
俺がそう応えると、何やら照れ臭そうにしてから夏奈は言った。
「そっか。……それならさ、また、テニスの試合の応援に来てもらっても、良いかな? 今度こそ、カッコいいところ見せたいな、って!」
「もちろん。応援に行かせてもらう」
俺がそう応えると、夏奈は、ぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。
「……えへへ、ありがとっ! 今日もこれからテニススクールで練習で。急いで電車乗らなくっちゃいけないし、しばらくテニスばっかりになって、あんまり会ったりできないんだけど……連絡はするから、ちゃんと返信してね?」
「……ああ、もちろんだ」
「やった! 約束だからねっ!それじゃ、またね、優児君」
「おう、それじゃあ、また。テニスの練習、頑張れ」
手を振る夏奈に、俺が一言こたえると……。
「……浮気ですか、先輩?」
背後から、突然固い声音で問いかけられた。
振り向くと、いつの間にか俺の背後に冬華がいた。
「そんなわけないだろ」
そう言うと、冬華は疑わしげな眼差しをこちらに向けつつ、
「ふーん」
と、そっぽを向いて応えた。
冬華は、俺が誰かを好きになってしまい、この『ニセモノ』の恋人関係が崩壊するのが嫌なのだから、面白くはない光景だったのだろう。
「とりあえず、帰るか」
「……ですね」
俺の言葉に、冬華は不機嫌なまま答えた。
☆
そして、靴箱で上履きを履き替えてから、校門に向かって歩く。
すでに一部の運動部の連中は練習を始めているようで、校舎の外周を走る生徒たちが見受けられた。
「友木センパーイ!」
そして、どこからか俺を呼ぶ声が聞こえて、立ち止まる。
「……何立ち止まっているんですか? 早く駅に行きましょうよ」
この声は冬華にも聞こえていると思うが、彼女は意に介さず、晴れやかな笑みを浮かべて、俺を急かす。
「よっぽど……苦手なんだな」
俺は苦笑する。
そして、先ほど俺の名を呼んだであろう後輩が、こちらに駆け寄ってくるのを見た。
「お疲れ様っす! 今、お帰りですか!?」
溌溂とした笑顔を浮かべてそう言ったのは、後輩の甲斐烈火だ。
「ああ、今から帰るところだ」
「だから話しかけられると困るんだよねー。私と先輩、今から放課後デートだから!」
「相変わらず扱いが酷いな……」
流れる様に拒絶の意思表示を見せた冬華に、俺は呆れて苦笑を浮かべる。
……この甲斐烈火は、今でこそ俺に好意的に接してくれるものの、少し前はかなり敵視されていた。
そして、とうとう殴り合うまでに至ったという経緯があるのだが、そのせいで冬華は、甲斐のことを激しく嫌っていた。
……2人とも、俺を慕ってくれる希少な後輩なので、互いに仲良くしてもらえたらいいのに、と思っているものの、中々上手くいかないものだな。
「そういえば、甲斐。結構髪伸びたな」
俺とのいざこざが終わった際、けじめとして頭を丸めていた甲斐だったが、今ではそれなりに伸び、三代目系の短髪の男前になっていた。
元々の顔が整っているから、こういった髪形でも様になっている。
むしろ野性味が増し、人によってはこちらの方がタイプだという者もいるだろう。
……実際、ここに向かってくる途中、すれ違った女子が甲斐の方を見て頬を赤らめていたしな。
「そうですね、あれから2か月以上経っていますから。あっ! 先輩が坊主の方が好きだと言うのなら、俺はいつだって刈り上げますんで!」
「言わないから、安心しろ」
苦笑しつつ応えると、
「はい、それじゃもう話すこともないよね。それじゃ、帰りますよ、優児先輩! バイバイ甲斐君、また二学期会おうねー!」
冬華が遠回しに夏休み中は会いたくない旨をお伝えし、俺の背中を押して、さっさと帰ろうとする。
「いや、待ってください友木先輩! 一つ言いたいことがあったんです!」
焦ったように、甲斐が言った。
「はぁ? ……いやいや、先輩は聞きたいことないし。ねー? だから帰ろっ?」
と、あざとい笑みを浮かべ、同意を求めてくる冬華。
しかし、甲斐はかなり必死な表情だ。聞かないままだと、逆に気になってしまう。
俺は甲斐に向かって先を促した。
「おう、何だ?」
俺の言葉に、冬華は怒ったようにプルプルと肩を震わせ、一方甲斐は、破顔一笑している。
「夏休み入ってから……遊んでもらえたら嬉しいです」
そして、甲斐は照れくさそうにそう言った。
……なんだ、そんなことか。必死になって言う必要なんて、何もないだろ。
「は? ダメに決まってんじゃん。先輩は夏休み、私とたーっくさん、デートするって約そ「もちろん、俺も甲斐とはもっと仲良くしたいからな」……先輩?」
俺が冬華の言葉に重なるように言うと、彼女はひどく焦ったような、そしてなにかを恐れているような表情を浮かべた。
……そこまで焦るようなことを言っただろうか?
そう思い、俺は冬華にフォローを入れる。
「安心しろ、冬華とのデートだって、忘れるわけないだろ」
「……そういうことじゃありませんからっ!」
不満そうに俺を睨みつけて、冬華はそう言った。
なら、一体どういうことだろうか?
「すまない冬華。たまには俺も、友木先輩と一緒にいたいんだ」
甲斐が申し訳なさそうに冬華に言う。
……嬉しいことを言ってくれる後輩だ。
しかし、冬華は硬い声音で
「ちょーあり得ないんですけど。なし寄りのなしなんですけどー」
と呟き、そして、冷たい視線を甲斐に向けていた。
「悪い悪い」
まるで悪びれた様子もない甲斐がそう言ってから、
「あ、それでなんですが、先輩って温泉とか好きっすか? 日頃の感謝の印に、俺に友木先輩の背中を流させてくださいよぉ!」
お、温泉か。そいつは良いな。
もちろん良いぞ。……俺はそう答えようとしたのだが。
「はぁ!? ダメ、ゼッタイ! そんなのありえないから! なんで先輩があんたなんかと一緒に温泉になんて行かなきゃなんないの!? キモいキモイ、キモイ! 秒で拒否なんですけど!!」
冬華が全力で拒絶していた。
結構きついんじゃないか?
「……冬華、流石に言いすぎじゃないか? 甲斐だって、そこまで言われたら傷つくぞ」
「え!? ……いえ、俺は冬華の気持ちも、正直わかるんで。仕方ないと思ってます」
切なそうな表情で甲斐は言った。
きっと甲斐自身、未だにあの時の、俺に対する言動を悔やんでいるのだろう。
だが、甲斐にいつまでも引きずって欲しくないとも思う。
やはり、甲斐とは一度裸の付き合いをして、腹を割って話すのも良いかもしれないな。
「私は、先輩のためを思って言ってるのに……!」
そして、冬華は悔しそうに歯噛みしながら、そう呟いていた。
……彼女が俺のことをそうやって気にしてくれるのはありがたい。本当に救われる。
「いつもありがとな、冬華。……だけど、甲斐はもう大丈夫だと、俺は思うぞ?」
俺が冬華に対して気持ちを伝えると、彼女は何とも言い表せない、複雑な表情を浮かべた。
「そう、だけど。そうじゃないんですよっ……!」
そんな、良く意味の分からないことを言った後、意を決したように、真剣な表情で告げた。
「……分かりました! 先輩は、私が責任をもって守ります! だから、こいつと一緒に温泉に行くときは、私にも声をかけてください! できる限りのことはしますし、危険なときはいつだって私が駆けつけますからっ!!」
冬華がそこまで心配してくれていることに、俺は感激をしてしまった。
本当に、冬華は良い奴だ。
……と思いつつ、とんでもない剣幕で詰め寄ってくる冬華に、俺は圧倒されていた。
「お、おう。そうだな、冬華も一緒に行こう。それで良いよな、甲斐?」
「もちろんです、友木先輩! 何も問題はないっす、楽しみにしてます! ……一緒に、気持ちよくなりましょう!」
照れくさそうに頬を赤く染め、はにかんだ笑顔を浮かべる甲斐。
確かに、こんな暑い日が続く夏に、温泉に入って汗を流したら気持ちよくなりそうだ。
「先輩……うぅ」
青ざめた顔で、冬華は今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
俺は流石に驚いて、冬華に声をかけた。
「どうした? 具合でも悪くなったのか?」
そう思っていると、俺の裾をギュッと握り、上目遣いに俺を覗き込む。
「……絶対、先輩は私が守りますからっ!」
そして、真剣な表情を浮かべ、先ほどよりもなお覚悟を滲ませて宣言した冬華。
……本当に、何が何だか良く分からないのが。
それでも、冬華が俺のことを真剣に考えてくれているのがその言葉と表情から伝わり。
「ああ、ありがとな。冬華」
――それが、本当に嬉しくて。
ただ一言だけしか返せない自分のコミュ障っぷりに、歯がゆい思いをするのだった。






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