7、下校
そして、池冬華とニセの恋人になった日の放課後。
これから特に予定はない俺は、さっさと帰ろうと思ったのだが、
「優児、この後暇か?」
唐突に、池に声をかけられた。
「おう、もちろん暇だ。また、生徒会の手伝いか?」
「いいや、逆だよ。生徒会の仕事も昨日で片付いたから、今日は約束通り、どこかで奢らせてもらおうかと思ってな」
「マジか。それなら、お言葉に甘えさせてもらう」
「決まりだな」
池はニヤリと笑った。
それから、池と俺は帰り支度を済ませて席を立ち上がろうとしたのだが。
「あ、池くーん! 妹ちゃん来てるよー!」
教室の前の出入り口近くにいた女子生徒に、池が声をかけられた。
そこには、確かに池の妹、冬華がいた。
「む、冬華か……すまん、優児。少し待っていてくれ」
「おう、気にすんな」
池はさっと、冬華の近くに向かう。
放課後、教室に残っていた連中は皆、二人の兄妹に視線が奪われていた。
誰もがご存知の完璧主人公、池春馬。
そして兄に負けないくらいの存在感を放つ、華やかな容姿の池冬華。
二人が一緒に居れば、目立つのはしょうがない。
俺も、ついつい二人を視界に入れてしまう。
そして、会話にも聞き耳を立ててしまう。
「どうした冬華。何か用があったのか?」
「いや、私が用があるのは……あ、優児先輩いたっ! 一緒に帰りましょうよー♡」
……俺の名前が唐突に出た。
冬華は少し意地悪な笑顔を浮かべつつ、俺に向かって大きく手を振ってきていた。
周囲のクラスメイトが、一斉に俺の方を振り向いた。
俺は数多くの視線に晒され、怪訝な表情をしてしまう。
すると、周囲のクラスメイトが、一斉に俺から目を逸らした。
……なにこいつら、打ち合わせでもしてたの?
そんなことを思いつつも、呼ばれてしまったので仕方ない。
俺は二人の元に向かった。
流石の池も、妹と俺が急に親密になった様子であることに、驚いていた。
「お疲れです、優児先輩っ! 一緒に帰りましょ?」
驚く池に何の説明もしないまま、俺に向かって冬華が改めて言った。
「あー、悪い。今日はこれから池と帰りにどこか寄ろうかって話をしていたところでな」
と、俺が答えると、冬華はあからさまに不機嫌そうな表情となった。
「先輩は彼女の私よりも、ただの友達である兄を優先させるってことですか?」
彼女の言葉に反応したクラスの連中が一斉に俺を見た。
そして、俺はその視線に驚き、思わず怪訝そうな表情を浮かべる。
すると、俺の表情を見たクラスの連中が一斉に俺から目を逸らした。
お笑い用語でいうところの「天丼」というやつだ。
もしかしたらクラスメイトは俺を笑わせにきているのかもしてない。
「え……付き合ってるのか、お前たち?」
流石に驚愕を隠し切れないまま、池が俺たちに問いかける。
動揺する池を見て、満足そうな笑顔を浮かべる冬華。
「そ、私と優児先輩は、付き合ってるの。だから、邪魔しないでくれる?」
勝ち誇ったように、池に向かって冬華は宣言した。
なるほど、早速『大好きなお兄ちゃんに彼氏ができたことをアピールして嫉妬させちゃうんだからねっ、本当に好きなのはお兄ちゃんなんだから、勘違いしないでよねっ!』作戦を実行したというわけだ。
俺は正直、池と一緒に寄り道をする気だったし、冬華に振り回される気もないのでこのまま断ろうかと思ったが。
動揺する池を見て、思いなおす。
もしかしたら、ショック療法的に、このまま冬華の気持ちに池が気づくかもしれない。
そうなれば、仲直りのきっかけにもなるかも、と俺は考えた。
「……悪い池。また今度、色々と説明をするから、今日のところはキャンセルでも良いか?」
そう尋ねると、池はハッとした表情になってから、
「あ、ああ。すまんな、妹のわがままに付き合ってもらって」
「気にすんな」
「そうそう、優児先輩と私は恋人同士なんだから、余計なお世話だから!」
調子に乗ったのか、冬華は池に向かって、楽しそうに言った。
「それじゃ、また明日」
「おっさき~」
俺と冬華が池に向かって言うと、
「あ、ああ」
と、混乱したまま返答されるのだった。
☆
「あー、面白かった!」
帰り道。
冬華は満面の笑みを浮かべたまま、そんなことを言った。
「何が面白かったんだ?」
「クソ兄貴の間抜け面!」
ニヤリ、と楽しそうに笑う冬華。
「そうか、俺はちょっと疲れたな」
「すっごい注目されましたもんねー、優児先輩のクラスの人たちの反応、思い返したら笑っちゃいそうになるんですけど~」
あの天丼ネタのことを言っているのだろう。
俺が冬華の立場だったら、絶対に笑ってるしな。
「ていうか、先輩? 私の男避けのためにも、恋人アピールはしなくちゃいけないんですから、勝手に放課後の予定を入れないでくれません?」
勝手に人の放課後の予定を入れていた冬華は悪びれもせずに言った。
俺は少し意地悪をしようと思い、呟く。
「なるほどな……」
「? 何がなるほど何ですか? ちゃんとわかってますか?」
「分かってる。冬華は恋人を束縛するタイプなんだな」
俺の言葉に、冬華は不服をアピールするかのように、眉を吊り上げた。
「分かってなーい! そういうのじゃないですからね、勘違いしないでくださいよ!」
ぷんすか怒る冬華に、俺は皮肉っぽく笑う。
「……冗談だ」
「この私をからかうなんて、生意気な先輩ですね……」
不満そうにするものの、すぐに機嫌を直す冬華。
「そうだ。明日は一緒にお昼を食べるので、そのつもりでいてください」
「俺は別に構わないが、冬華は良いのかよ? 入学早々クラスの連中と食べなくても」
「大丈夫ですよ。しばらくは付き合ってるアピールをしなくちゃですし、クラスの子たちと一緒に居るよりも、素でいられる優児先輩と一緒に居る方が楽ですし」
その言葉に、俺は反応できなかった。
「……?どうしたんですか、急に無言になっちゃって?」
ちらり、とこちらを覗き込んでくる冬華。
「いや、なんでもない。……明日は一緒に昼ご飯な、分かった」
「? ……分かってくれたのなら別にいいですけど」
まだ疑問に思っているのか、不思議そうな表情を浮かべつつ冬華は言った。
だけど、この時の俺の気持ちは、説明をしたとしてもきっと、冬華には分からないことだろう。
他の誰かよりも、俺と一緒に居た方が気が楽と言われるなんて。
初めてのことだったから嬉しかった、なんて。
流石に、恥ずかしすぎて口にすることは出来なかった。