22、重ねる
「よう」
テニスコートで行われている準決勝戦を眺めていた葉咲。
会場の端っこで鬱々とした表情をしている彼女の周囲には、人が全くいなかっため、早々に発見することができた。
そんな葉咲に対して俺は、努めて気軽に声をかけた。
葉咲は俺の声に、驚いたように目を丸くした。
どうやら彼女は上の空で、俺が近づいてきたことも分からなかったようだ。
「……よっ」
戸惑いつつも彼女は返事をしてくれた。
勝手に戻ってきた俺に対してあからさまに嫌そうな顔を浮かべずに、一先ず俺はホッとした。
「隣、座るぞ」
俺の言葉に、葉咲は視線をコート上に向けたまま、小さく頷いた。
葉咲の隣に座ると、彼女はこちらを見もしないまま、
「ごめんね、折角応援に来てくれたのに。ずっと感じ悪くて」
先ほどの別れ際と同じように、申し訳なさそうに呟いた。
「気にするな。誰だって、調子の悪い時くらいあるだろ。こっちこそ、悪かった」
俺の言葉を聞いてからこちらを振り向き、不思議そうに首を傾げ、
「どうして『悪かった』なの?」
と問いかける葉咲。
「一人にしてくれって言われたのに、来てしまったから」
そう言うと、葉咲は笑っているような、泣いているような。
内心を窺い知ることができない、複雑な表情を浮かべた。
「心配、してくれたのかな?」
「ああ、友達だからな。当然だろう?」
「友達……」
葉咲は小さく呟いた。
今にも風にかき消されていくような、そんな小さな声で。
「……言い訳っぽく聞こえるかもだけど、今日調子が悪かったのには、理由があるんだよね」
自嘲を浮かべつつ、葉咲は言う。
「理由?」
「うん」と頷いてから、
「失恋したの、私」
と、あっさりと葉咲は言った。
俺は思わず、
「失恋?」
と聞き返していた。
「そう、失恋。今日の大会にはさ、その人に応援に来てもらってたの。その人の前で、テニスにだけ集中することが出来たら。きっと私はその人を諦めることができた。……その人が私の隣にいなくても。私には、テニスがあるから大丈夫って。自分に言い聞かせることができる、はずだった」
瞼を伏せてから、葉咲は続ける。
「昔の関係に戻って、友人としてその人の隣にいられるって、私は本気で思ってた。……だけど、ダメだったの」
口元に酷薄な笑みを浮かべた葉咲。
「彼のことが気になって、試合に集中できなかった。吹っ切らなくちゃって思っていたはずなのに、どうしても、彼のことが頭の片隅をよぎる」
切なそうに、苦しそうに。
葉咲は自らの胸の上で、祈るように両手を握った。
「こんなんじゃ、真面目にテニスをしている対戦相手に失礼だし、私を応援してくれる人たちにも、失礼だよね。……だから。今日の私は、最低だった。一つも、良いところがなかった」
力なく苦笑する葉咲を見て、俺は困惑していた。
葉咲が池のことを好きだったのは、流石に分かっていた。
実際、『応援に呼んでいた』『昔の関係に戻って友人として隣にいられると思った』という言葉から、それは間違いないのだろう。
だが。
葉咲が振られたことは、意外だった。
池の様子から、葉咲が振られたことに、一切気が付けなかった。
「葉咲は……告白をしたのか?」
「ううん、してないよ」
「じゃあ、失恋って言うのは、どういうことなんだ?」
俺の無配慮な言葉に、葉咲はわずかに苛立ちを覗かせつつ、答えた。
「その人に、彼女が出来ていたから。だから、失恋」
その言葉を聞き、俺は思い返す。
……俺の知っている限り、池に彼女はいないはず。
そして、そんな素振りも見せてはいない。
池に彼女が出来たら、俺も何か違和感くらいは覚えるはずだ。
しかし、今のところそんなことは全くない。
もしかしたら、葉咲は何かの勘違いで、池に彼女ができたのだと思い込んでいるのではないか?
……単に、俺が気づかないだけ、知らされていないだけという可能性も、もちろんあるが。
俯く葉咲に、なんと言葉をかけるべきか、俺は迷いつつも……言った。
「無理に諦める必要は、ないんじゃないか?」
俺の言葉に、葉咲は顔を上げる。
「え?」
そして、呆然とした表情を向けてくる。
「俺は、自分の気持ちを伝えないまま、ダメだって諦めなくても良いと思う」
「……答えが、分かり切っていたとしても? その人に、迷惑がかかるだけだとしても?」
そんなわけないでしょ? そう言いたそうにしているのが透けて見える葉咲の言葉。
しかし、俺は首を振る。
池が誰かからの好意を迷惑だと思うことはないだろう。
どんな状況であれ、あいつならば相手の気持ちを正面から受け止め、真剣に返事をしてくれるはずだ。
……こんなことは、幼馴染の葉咲でも知っていることだとは思う。
だから俺は、恋愛と関係はないが、自分の経験を話すことにした。
「人の気持ちや、見方ってのは変えられる。ただの学校の不良生徒としか思われていなかった俺でも、今では池以外にも友人って言える奴ができた」
池や真桐先生の手助けがあったから上手くいったのだろうが、それでも生徒会の手伝いをすることによって、俺は少なくとも朝倉の印象を変えることができた。
「何か行動を起こせば、何かは変わる。逆に言えば、何もしなければ、何も起きない。誰かの気持ちを変えることなんて、絶対にできない」
「行動を起こせば……その人の気持ちが変わるかもってことだよね?」
俺は頷く。
恋愛に置き換えてみても、真直ぐな感情が池の気持ちを揺さぶることがあるかもしれない。
「……でも他人の恋人を取るなんて、やっぱりダメじゃないのかな?」
戸惑いを浮かべる葉咲。
「正々堂々と告白して、自分に振り向いてくれて、相手がこれまでの関係をしっかりと清算してくれるのなら、それで良いんじゃないか? 他の誰かに告白されたくらいで揺らいでしまうなら、そもそも何もしなくてもいずれは終わる関係だろうし、気にする必要はないだろう。だから、無理に諦める必要はないし、何だったら成功するか、きっぱり諦められるまで何度でも告白したら良いんじゃないか?」
恋愛どころか対人関係について、俺のレベルはかなり低い。
だから、かなり的外れなことを言っているのかもしれない。
それでも、葉咲が何もせずただ後悔をし続けるのは嫌だと、俺はそう思った。
だから、彼女の背中を押すようなことを言う。
「その。……友木君って、意外と恋愛感情についてはクレバーなんだね。あと、やっぱりしつこすぎるのは、迷惑なんじゃないかな」
そして葉咲は、引き気味で俺に言った。
言葉の選択をどこかで間違えたのかもしれない……。
「そ、そうだな……」
俺は自分の考えを省みて、葉咲の言葉に同意した。
彼女は俺の反応を見て、困ったように笑った。
それから、思いつめたような表情を浮かべてから、口を開いた。
「……ねぇ、友木君。私が好きな人に告白したら、上手くいくと思う?」
「分からない」
池は葉咲のことを憎からず思っているはずだ。
一緒にいるときも、楽しそうに笑っていることが多い。
だからと言って、池が葉咲に恋愛感情を向けているのかどうかは、俺には分からない。
「……無責任だね」
非難するような眼差しを向ける葉咲。
「そうだな。……なら、葉咲が告白して振られた時は。唆した責任を取って、俺が愚痴にでも付き合う」
告白さえすれば、振られても感情の整理ができて前を向ける。
――そんな単純な話でもないだろう。
ならば俺は、彼女の背中を押した者として、失敗した時は少しでも責任を取りたい。
「責任を取るとか、簡単に言わないでよ……」
しかし葉咲は、いじけたようにそう呟いた。
確かに、勇気を出して告白をして、振られてしまったら。
俺にいくら愚痴を話したところで、悲しみは紛らわせないはずだ。
そのくらいは、すぐに気が付くべきだった。
「すまん、俺が愚痴に付き合っても、仕方ないな」
葉咲は俺の言葉を聞いて、どうしてか大きなため息を吐いてから、がっくりと肩を落とした。
それから、作り物染みた笑顔を張り付け、冷たい声音で告げる。
「途中から気づいてはいたんだけどね、全然私の気持ちが分かってないよね、友木君って」
「ん?」
「ていうか、友木君てホントずれてるよね」
「お、おう?」
「情けないけど、私は嫌味のつもりでこれまで話してたんだよ?」
「そうなのか?」
嫌味?
一体何のことか、心当たりがなかった。
困惑する俺を見て、
「あー、もうっ! なんか、うじうじ悩んでたのが、バカらしくなった!」
葉咲も困惑したように、そう言った。
「……分かった! 私、諦めない! この気持ちに素直になる……好きな人に恋人がいるなんて関係ない! 私は私の好きな人に振り向いてもらえるように、全力でアピールする!」
今度は開き直ったように、晴れ晴れとした表情で葉咲はそう宣言した。
それから、勢いよく俺の方を見た。
真っすぐに視線を向けてくる葉咲。
「友木君が、私の背中を押したんだから。今更『やっぱり恋人がいる人に告白するのは良くない、諦めるべきだ』なんて言うのは、絶対になしだからねっ!? ホントに何度も告白することになっても、絶対友木君だけは引いたらダメだからねっ!!?」
勢いよくまくしたてる葉咲。
俺は彼女に圧倒される。
「お、おう。……そうだな」
今の葉咲を見ても、俺のアドバイスが役に立ったのか、それとも苛立たせただけなのかは分からない。
ただ、やはりコミュニケーションって難しいな……と俺は痛感するのだった。
「もうっ、落ち込まないでよ。私は、これで吹っ切れたんだから!」
そんな風に肩を落とす俺に、葉咲は優しい眼差しを向ける。
確かに、落ち込んでいたさっきまでの彼女よりも、ずっとすっきりした表情を浮かべているように思う。
興奮しすぎたのか、目尻に涙さえ浮かんでいたが。
「……それなら、良かった」
俺が呟くと、葉咲は大きく頷いた。
そして、口を開いた。
「うん、ありがと」
それから、微笑みを浮かべてから、続けた。
――ゆう君のおかげで、元気がでたよ
「――え?」
俺は、思わず呆けたように声を出していた。
今のは、ただの言い間違いのはずだ。
だけど、『ゆう君』と。
――かつての友人だけが使っていた『あだ名』で俺を呼んだ葉咲に。
栗色の髪の毛、女子のように整った顔をした、泣き虫なあいつの面影を。
「……ナツオ?」
――どうしてか、重ねていた。






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