2、約束
ある日の昼休み。
いつものように、気心の知れた友人で机を寄せ合い昼食をとろうとしている教室に、彼女は現れた。
「優児センパーイ、一緒にお昼食べましょー♡」
甘い声音でそう告げたのは、ギャルっぽいがかなりの美少女であり、俺の恋人である池冬華。
……正確には、『ニセモノ』の恋人だが。
彼女が俺の名を呼ぶと、クラスメイトの視線が一気に俺に向く。
そして、俺がその視線に反応すると、彼らは一斉に視線を逸らす。
このネタ、天丼どころではない。
……いや、流石に一か月近くこの反応をされると、こっちもそろそろ何か面白い反応をした方が良いのかと勘ぐってしまうのだが。
そういうわけにもいかないんだろうけどな、とクラスメイトに呆れつつも、俺は席を立ちあがり冬華のいる扉の前に向かう。
その際、一人の視線が俺へ向けられていることに気が付いた。
こちらをじっと恨めしそうに見ているのは、葉咲夏奈。
俺を不良だと思いこんでいるため、旧友の冬華が酷い目にあっていないか、心配をしているのだろう。
不良と思われている俺がなんと説明をしたところで、信じてはもらえないだろう。
だから今は、その誤解を解く努力もせずに、こうして甘んじて恨まれていた。
「もうっ! 私が先輩のことを呼んだら、駆け足で来てくれなきゃダメじゃないですか!」
冬華の隣に並ぶと、彼女は小さい子をしかりつけるように、そう言った。
「そうだな。それじゃ、いつものところに行くか」
俺はその言葉を軽く流す。
ムスッとした表情を冬華は一瞬浮かべたが、いつもの場所……この学校の中庭に行こうと提案をしたところ、少しだけ気恥ずかしそうにした。
「どうした?」
「いえ、その……今日は中庭じゃなくって、屋上でお昼を食べませんか?」
視線を逸らしながら言った、冬華が持っている手提げカバンを見て。
俺はなんとなく察したのだった。
☆
そして、俺たちは屋上へと到着した。
本来、この場所は生徒の立ち入りを禁止している。
しかし、屋上の扉の鍵が壊れていることに冬華が気が付いて以来、こうして利用するようになった。
「先輩、シートお願いしますねっ」
俺は冬華の言葉に、無言で応じてから、屋上の入り口付近で畳まれていたシートを広げた。
このシートは元々あった学校の備品ではなく、この間冬華が屋上に持ってきたものだった。
そのシートに、俺たちは隣り合って座る。
「さて、いつも総菜パンを寂しく食べている先輩? 今日は愛しの彼女が、お弁当を作ってあげましたよ? どうですか、嬉しいですか?」
満面の笑みを浮かべながら、冬華は手に持っていたカバンから、弁当箱を二つ取り出し、そのうち一つを俺に差し出した。
冬華には、また弁当を作ってくれとお願いをしていた。
カバンを持って、屋上に行こうと言われた時には、察することができた。
中庭では、他の生徒に見られる可能性もある。
恋人に手作り弁当を作る健気なキャラと他の生徒から思われるのが、案外嫌なのかもしれない。
俺は差し出された弁当を受け取ってから、
「ありがとう。ああ、嬉しい」
と答えた。
「……そ、そういう風に素直な先輩は、ちょっとだけ可愛いかもしれませんね!」
と、照れくさそうなのをごまかすように、そっぽを向きながら言った。
「約束通り、今度なんか奢るな」
俺が言うと、冬華は不服そうに唇を尖らせた。
「どうした?」
「いえ。別に、奢ってもらいたいからお弁当を作ったわけではないって思っただけですが?」
俺と冬華は、『ニセモノ』の恋人関係にある。
だけど、最近はその関係を超えた信頼関係があると、俺は思っている。
この弁当も、その信頼関係に由来する、冬華なりのお節介なのかもしれないな。
俺は微笑ましい気持ちになるのだった。
「そっか。ありがとな。……それじゃ、いただきます」
俺はそう言って、冬華の弁当を開ける。
色とりどりのおかず、栄養バランスも考えられていそうなこの弁当は、とても美味そうだ。
まずはアスパラガスのベーコン巻きを口にした。
ベーコンの塩気とアスパラガスの食感がたまらない。
すっかり冷えた弁当だが、それでも……。
「美味い」
俺が感想を呟くと、冬華はホッとしたように、微笑みを浮かべた。
「良かったです」
それから、俺と冬華は他愛ない会話をしながら、弁当を食べていった。
☆
そして、弁当を食べ終えた俺たち。
冬華は紙パックの紅茶を、俺はペットボトルのお茶を飲みながら、適当な会話をしていた。
そんな中、ふと先ほどの教室内でのことを俺は思い出した。
「冬華と葉咲って、昔は仲が良かったんだよな?」
葉咲の名前を聞いて、冬華はあからさまに不愉快そうな表情を浮かべる。
「……えーと。てか、なんでそんなこと聞くんですかぁ?」
「気になるからな」
冬華に呼ばれた時の、葉咲から受けた鋭い視線。
冬華と俺との関係が気に入らないから、俺は彼女に嫌われているのだろう。
今は仲良さそうでもない二人だが、以前の二人はどのくらい仲が良かったのか……。
俺はそれが、少し気になっていた。
「……へー、気になるんですかー。ふーん。……ていうか、彼女の前で他の女の話とか、マジでありえなくないですかー? 超デリカシーなくないですかぁ? 先輩のそういうところ、直した方が良くないですかぁ?」
冬華は無表情を浮かべ、固い声音で俺に向かって言った。
一緒に弁当を食べていた先ほどまでの上機嫌とはうってかわり、冬華の機嫌を損なわせてしまったらしい。
以前一緒に昼飯を食べた時に、冬華は結構葉咲にきついことを言っていたが、まさか話題に出しただけでここまで怒るとは、想定外だった。
「悪いな。ただ、俺は葉咲に嫌われていて、その原因が俺たちのこの関係にあるんじゃないかと思って、気になってな。……話したくないなら、無理には聞かない」
俺がそう言うと、あからさまな不機嫌さはなくなった。
「え、あー……。気になるってそういうことだったんですねー」
と、少しほっとしたような表情を浮かべた。
「どういうことだと思ってたんだよ」
俺の言葉に、冬華は小さくため息を吐いてから、無言のまま肩を竦めた。
その態度に、少しだけイラっとする俺。
「ま、確かに私と葉咲先輩は……、あの人の小学校卒業前くらいまで、仲良かったですねー」
「……よく覚えてるな。その時期に、何かあったのか?」
「ありましたよー。……でも、結構ダサい理由なので、あんまり言いたくはない感じですねー」
つまらなさそうに、自分の髪の毛を指先で弄りながら冬華は答えた。
「そうか。……それなら、聞くのはやめる」
「そうしてくれると、助かりまーす」
俺の言葉に、冬華は寂しそうに答えた。
気にはなるが、冬華が嫌な思いをするようなら、俺は無理に聞きたくはない。
そう思った。
キーンコーンカーンコーン
そして、話が終わったタイミングで、都合よく昼休み終了の予鈴が鳴った。
「教室に戻るか」
「ですね」
俺たちは立ち上がり、シートを片付けてから屋上を後にした。
それから、階段を降り、それぞれの教室に向かうために別れようとした時、不意に冬華が俺の制服の裾をつまんできた。
「そうだ、先輩!」
「なんだ?」
俺は振り返ってから、冬華に問いかける。
「忘れないように、言っておこうと思って。来週、テスト期間じゃないですか」
この間も少し話をしていたが、一年にとって初の定期テストが間近に迫っていた。
「そうだな。それで、どうした?」
俺が無感動にそう尋ねると、少しだけムスッとした冬華。
「どうした? じゃないですよ! 一緒に、中間テストの勉強しますから、ちゃんと予定を空けておいてくださいよ?」
「……いや、一緒に勉強って言っても、一年と二年とじゃ範囲が全く違うだろ」
「じゃあ、二年の先輩が私に勉強を教えてくださいねっ♡」
「いや、冬華学年一位だし、生徒会の勉強会で過去問もあるから余裕なんだろ? ていうか、自分で教わることなんて何もないとか言っていただろ?」
俺の言葉に、冬華はこめかみあたりに青筋を浮かべた。
「先輩? 私たちは、恋人同士ですよね?」
凄みを利かせた冬華の様子に、「ニセモノだけどな」という言葉を飲み込んで、俺は頷いた。
「恋人同士で勉強会をするのに、勉強をしなくちゃいけないって決まりはないんですよ?」
「……何それ、哲学?」
冬華の言葉は、俺にはあまりにも高尚過ぎて、意味不明だった。
しかし、冬華は無言のまま俺の言葉を待っていた。
「分かったよ。どうせ、家で勉強するだけのつもりだったから、予定は空いてるしな」
俺の言葉を聞いて、冬華は華やかな笑みを浮かべた。
「やった! それじゃ、楽しみにしてますから! 詳しくは、またお話しましょうねっ♡」
そう言ってから、冬華は俺の裾から手を離した。
そして、こちらに軽く手を振ってから、自分の教室へと向かって行った。
勉強会って、別に楽しみにするものでもないだろうに……。
と、思ってから。
誰かと勉強会をする機会なんて、これまでなかったからだろうか?
俺も冬華との勉強会を、少しだけ楽しみにしていることを自覚してしまい――。
なんだか、無性に照れくさくなるのだった。






4コマKINGSぱれっとコミックスさんより7月20日発売!