29、謝罪
連休明け。
休みに慣れた気だるげな気分を引きずったまま、俺は登校する。
周囲の生徒たちも同じくダルそうな表情を浮かべつつ、重苦しい足取りで歩いていた。
……が、俺の姿を見て、
「やっば、友木じゃん」
「目合わせるな、殺されるって」
「休み明けから最悪……」
と、そそくさと早足で学校へと向かって行った。
いつも通りの風景に、俺は溜息を吐く。
勉強会で手伝いをしたくらいじゃ、関係のない生徒からの視線は変わらない、か。
「おっはよーございまーす!」
と、避けられまくる俺に声をかけてきたのは、もちろん冬華だった。
「おう」
「いやー、今日も学校はかったるいですねー。でも、先輩の周りはいっつも人がいなくって、居心地が良いですねー」
眩しい笑顔を浮かべつつ、冬華はそう言った。
男避けどころか人避けにまで使われ始めている俺だった。
「そうか」
「はい!」
俺の苦笑交じりの言葉にも、冬華は嬉しそうに返事をした。
それから、二人で並んで学校への道を歩く。
しばらくすると、校門に辿り着いた。
しかし、なんだか妙に騒がしかった。
見ると、そこには一人の男子生徒が立っていた。
喧嘩でもしたのだろうか? 顔にガーゼを張り付けた、坊主頭の男だ。
時代遅れのツッパリのような異様な雰囲気を纏うその生徒の周囲を、他の生徒たちは避ける様に校舎へと向かっていた。
「うっわ、あんな見るからにヤンキーな人、先輩以外にこの学校にいたんですねー」
「その先輩って、俺か? 俺はヤンキーじゃないぞ」
「知ってます、冗談ですよ」
ペロ、と舌を出して悪びれた様子もなく言う冬華。
俺は溜息を吐いてから、他の生徒にならってその男を避けて通ろうとした。
「おはようございます、友木先輩。……少し、お時間いただいても良いですか?」
……だが、絡まれてしまった。
冬華は、「うわ……」と、あからさまに引いていた。
「いや、もう始業の時間だ。昼休みでも良いか?」
「そうですね、俺はまた相手の都合も考えず……。それなら、昼休み、屋上で待っています」
何事か呟いてから、校舎へと向かった男子生徒。
あいつのことは、これまで見覚えがない。
おそらく、喧嘩好きの腕自慢か何かの、一年生なのだろう。
それで、この学校中から恐れられる俺を相手に、真っ向から喧嘩を売ってきた、と。
分析をする俺の横顔を、冬華は不安そうに伺ってきた。
「大丈夫、喧嘩をするつもりなんてない。……ちゃんと、話をしてみる。それでも聞かないようだったら、相手をせずに無視をする」
「……私も、昼休みは一緒に屋上に行きますからねっ」
プイっ、とそっぽを向きながら、冬華は言った。
心配をしてくれているらしい、ありがたい。
しかし、冬華に危険が及ばないように、俺も気を付けなくちゃな……。
「助かる」
俺の言葉に、冬華は「そ、それじゃまた昼休みに迎えに行きますからっ!」と言って、自分のクラスへと向かった。
俺も、自分の教室へと入る。
そして自席へと着席すると、
「よう、友木」
「……うす」
朝倉が俺に声をかけてきた。
「勉強会、すぐ帰ってたな。俺、友木とけっこう話したくって、探してたんだぜ?」
「そうだったのか。……悪い、用事があってな」
「用事あったのに、手伝いは律義に参加してたのか。やっぱめっちゃ良い奴だな、友木って」
朝倉は俺に、尊敬の眼差しを送ってきた。
……その視線を、俺は正面から見ることができない。
後輩と喧嘩をしていたとは、絶対に言えないな、これは。
「話す機会は、これからいくらでもあるか。じゃ、また後でな」
そう言って、朝倉は自席へと戻った。
こうして教室内でも普通に話しかけてくれたのが、俺はかなり嬉しかった。
今朝会った坊主頭も、俺に喧嘩をする意思がないことが分かれば放っておいてくれないだろうか……?
などと考えていると、今度は池が来た。
「おはよう、優児。何か問題でもあったか?」
連休後の憂鬱さなど微塵も感じさせない爽やかな笑みを浮かべ、池が俺に問いかける。
俺の表情を見て、何か気が付いたのだろうか?
「うす。……いつも通りだ」
「いつも通り、面倒があったてわけか。手を貸そうか?」
呆れたように、池が言った。
彼にはすべてお見通しらしい。
俺は苦笑を浮かべてから、答える。
「問題ない、ありがとな」
「そうか。……何かあったら、いつでも声をかけろよ」
「ああ、助かる」
俺が池に答えると、朝礼のチャイムが鳴った。
池はそそくさと自席へと戻っていった。
朝礼で退屈な担任教師の言葉を聞き流しながら、俺は思う。
大丈夫。
きっと、何も問題なんてない、と――。
☆
「すんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁああっつ!!!」
そして昼休みになり、屋上に到着した俺と冬華を待っていたのは、坊主頭の謝罪と土下座だった。
「……え?」
「ちょっと先輩、いつの間にシメちゃったんですか? 流石に手が早すぎですよ」
「俺がシメる前提で話を進めるな……」
土下座坊主を見下ろしながら、俺と冬華はひそひそとやり取りをする。
一体俺はこいつに何をしたのか、考えても分からなかった。
「ちょっと待て。俺はお前に謝られる筋合いがない。顔を上げてくれ」
なので、正直にそう言った。
「……やっぱり、俺の謝罪は受け取ってもらえないんですか?」
すると、坊主頭は申し訳なさそうな表情を浮かべながら、そう呟いた。
その表情を見て、俺は何か引っかかった。
「……あれ? すまん冬華。なんかこいつ、見おぼえないか?」
「ありませんね、こんな坊主頭は」
「……え? あ、そうか。分からなかったんですね、俺のこと。俺ですよ、甲斐烈火です」
首を傾げる俺と冬華に、その坊主頭は自らを指さしながら言った。
「はぁ、甲斐烈火ねぇ……」
確かに聞き覚えが……って、甲斐烈火!?
「「ええええっ!?」」
と、俺と冬華は同時に驚きの言葉を上げた。
「いや、冬華が驚くのはおかしい。同じクラスだろ? 流石にいくらでも気が付くチャンスがあっただろ?」
そして、冷静に突っ込む俺。
「だ、だって! 今日は先輩のことばっかり考えていてクラスメイトのことなんて見ている余裕は……」
と、そこまで言ってから冬華はハッとした表情になり、自分の口に両手を重ねて閉ざした。
気まずそうに、こちらを伺う冬華の顔は、真っ赤に染まっていた。
……そうか、屋上に呼び出されてしまった俺のことを、他のことがおろそかになるくらい心配していてくれたのか。
それは、すごく嬉しいことだと思った。
「ありがとな、冬華」
俺が一言告げると、
「……はぁ?」
と不機嫌そうに冬華は言った。
分かりやすい照れ隠しだ。俺は微笑ましくなって、
「いいや、何でもない」
と呟く。
しかし冬華はなぜか納得のいかない様子で、「はぁ……」と、深くため息を吐いた。
「……やっぱり、俺の勘違いだったみたいですね。友木先輩は、俺が思っていたような悪人ではなかった。それに冬華も、本気で友木先輩のことが好きなんだな」
そんなやり取りを見ていた甲斐が、急に口を開いた。
甲斐だと言われてみてみると、確かに整った顔をしているし、声も彼のものだ。
顔に張り付けられたガーゼも、俺がぶん殴ったところの腫れがまだ引いていないのだろう。
なるほど、確かに甲斐のようだ。
……しかし、何を言っているんだこいつは?
冬華が俺のことを本気で好き?
そんなわけがあるか、と思い冬華を見れば、彼女は頬を赤く染めて俯いていた。
事実無根のことを言われて怒っているが、否定するわけにもいかず困っている、と言ったところか。
「すまん、甲斐。俺がぶっ飛ばしたときに、頭でも打っていたのか? ……早めに対処ができずにこんなことに……本当にすまん」
甲斐らしくもない発言に、俺は心配になった。
こいつがこんな風に自らの間違いを認めるなんて、頭を打ったとしか思えない。
「いえ、頭を打ってはいないですよ。ただ……あの時。友木先輩が俺の拳をまっすぐに受け止めてくれた時。俺は、なんて器のでかい人なんだ、って。そう思いました。その後ぶん殴られて、冷静になって考えてみたんです。もしかして、俺はずっと勘違いをしていて、これまで伝えてくれていた冬華の話こそが、真実だったのではないか、と」
「……気づくの遅っ」
冬華が嫌悪感丸出しで吐き捨てた言葉に、申し訳なさそうに視線を伏せる甲斐。
「続けてくれ」
そんな甲斐に俺は、告げる。
すると、甲斐は涙を目尻に浮かべつつ、俺を見上げてから口を開いた。
「俺は、とんでもない勘違いをしていたって気が付きました。今更、遅すぎるとは思っています。ナイフを持ち出して襲って……。俺はどうしようもない卑怯者だ。この謝罪が済めば、俺は警察に自首します。そうすれば、友木先輩も、冬華も。俺なんかの顔を見ないで済む」
甲斐は後悔の表情で告げた。
俺がそんな甲斐に何かを言おうとしたところで、冬華が冷たく言い放つ。
「ホント、今更過ぎ。あんたの身勝手な思い込みで、どれだけ先輩が傷ついたと思ってんの? それで、あんたは謝罪して勝手に自己満足? ホント、あんたって偽善者だよね」
「……その通りだ。俺はこれまでも今も、自己満足に浸る偽善者でしかない」
首を垂れながら、甲斐は力なく言った。
そんな様子に、冬華は更に腹を立てたようで、再び口を開こうとするのだが……。
「もういい、冬華。……ありがとう」
「私は、別にお礼を言われるようなことはっ……」
「もう良いんだ。ここから先は。俺が、俺の言葉で。ちゃんと話をする」
俺の言葉に、冬華は口を閉じた。
きっと言いたいことはまだまだあったのだろうが、俺の考えを尊重してくれたのだろう。
「甲斐、お前には言いたいことがある」
「……はい」
俺の言葉に、表情を引き締める甲斐。
「人を外見で判断するな。人の話は良く聞け。自分が絶対に正しいと思うな」
「……はい」
「それと、良い拳だった」
「……はい。……はいっ?」
「これでチャラだ。拳を握って喧嘩をした。誤解は解けた。俺も言いたいことは言った。そしたらもう、俺とお前は同じ高校に通う、先輩と後輩だ。……自首をする必要はない。俺にまで話が来てめんどくさそうだしな。……そうだ。何か困ったことがあれば言ってくれ、出来る限り力になる」
俺の言葉に、甲斐は顔を上げて呆然とした表情を浮かべた。
そして……。
「な、何を言ってるんですか先輩、バカなんですか!? そいつが先輩に何したか、覚えてないんですか、そんなにバカなんですか大丈夫ですか!?!?」
冬華がすごい剣幕で俺に文句を言ってきた。
そりゃそうか。
冬華は俺のことを考えて、こいつには色々と忠告をしていた。
それに、怖い思いもさせられた。
こんなに簡単に許してしまえば、文句を言いたくもなるのだろう。
「甲斐は、勘違いとはいえ自分とは関係のない人間を助けようと、恐怖を乗り越えて俺に喧嘩を売ってきた。そして、冬華を巻き込まないようにもしていた。確かに、冬華が怪我をさせられていたら、俺も許せはしなかった。だけどこいつは、真直ぐに俺に向かった。たかが刃物を持ち出したくらい、多めに見るさ。それにな、冬華……」
憤る冬華に向かって、俺は頬を掻きながら静かに告げる。
「バカなんだよ、俺は」
俺の言葉を聞いた冬華と甲斐が、
「「先輩っ……!」」
と、同時に呟く。
そして、冬華は敵意ある眼差しを甲斐に向け、甲斐は俺に潤んだ眼差しを向けてきた。
「……友木優児先輩っ! 俺、あなたの器のデカさに……『漢』に惚れましたっ! どうか俺を先輩の、いや! アニキの舎弟にしてください、お願いします!!」
そして、この場に来た時と同じように、土下座をして頭を下げる甲斐。
俺は嬉しいような困ったような気分になり、なんと返事をしたものかと、しばし迷うのだった――。






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