27、喧嘩
「え、何? なんですかあれ?」
怯えた様子で、冬華は俺に問いかける。
「……交渉失敗、ってやつだ」
「交渉? 冗談言ってる場合じゃないですよ、コミュ障の先輩に、そんなことできるわけないじゃないですか」
……酷いことを言われた気がする。
しかし、冬華に文句を言うよりも、甲斐の方が問題だ。
「それが、あんたの答えか! この場に巻き込んだのは、絶対に冬華は手放さない、という意思表示なのか!」
「はぁ、あんたホント、何言ってんの……?」
鼻息を荒くし、イケメンが台無しのとんでもない形相で、甲斐は俺を睨みながら問う。
それに、冬華は怯える。
彼女は俺の傍に寄りつつ、「意味が分からない、なんなのこいつ?」といった表情を浮かべた。
「ああ、そうだ。悪いが、お前になんと言われようと、冬華と別れるつもりはない」
俺の返答に、甲斐は両目を見開いた。
そして――。
「……へ?」
隣に立つ冬華が、呆けた表情でそう呟いた。
「冬華は、俺の彼女だ」
俺と冬華の恋人関係は、ニセモノなのかもしれない。
それでも、この関係は。
俺にとって紛れもなく大切な関係だ。
だから、外野からどうこう言われたところで、解消する気には絶対にならない。
俺の言葉を聞いた甲斐は、
「この……外道がぁぁぁぁぁぁああ!」
と、恐ろしい声音で叫ぶ。
憎しみが込められたその声を聞いて、さぞや冬華も怯えることだろうと思い、彼女を見ると、
「……ほ、ホントに何の話をしてるんですかっ!?」
と、頬を赤らめそっぽを向きつつ言った。
甲斐のことは結構どうでも良さそうだった。
……やめてくれ、そういう表情をされたら、俺も『臭いこと言ってしまった……』と、途端に恥ずかしくなる。
「その男から離れるんだ、冬華。……今から俺が、君を助ける」
「え、あ。ごめん。私、ホント、先輩と付き合ってるから、ホントごめんね」
冷たい視線を甲斐に向けながら、お断りの言葉を告げる冬華。
……なんかこいつ、ちょっと余裕ができてないか?
「そうか、冬華は優しいな。……だけど、俺はもう覚悟を決めた」
そう静かに告げてから、甲斐は制服のズボンのポケットから、折り畳みナイフを取り出した。
「友木優児、俺は本気だ。……あんたも、覚悟を決めろ」
取り出した折り畳みナイフを、俺は冷静に見る。
刃渡りは10センチ程度。そしておそらくは、この一本のみだろう。
「……ちょ、何考えてるの!? 危ないでしょっ!?」
しかし、冬華は短く悲鳴を上げてから、怯えた様子で甲斐に問いかけた。
「冬華。俺はここで、その男から君を解放する。……流石に殺したりはしない。が、相応の痛みは受けてもらうぞ……」
怨念の籠った声で告げてから、甲斐はゆっくりとナイフを構えた。
その手はわずかに震えていた。きっと、刃物を人に向けたことがないのだろう。
にも拘らず、甲斐は俺を傷つける覚悟をもって、今ここで対峙しているというわけか。
「先輩、逃げよ。あいつ、ちょっとおかしいって……」
恐怖を浮かべながら、冬華は俺の手をひこうとする。
「……冬華から、手を離せぇぇぇぇぇええ!!!」
その様子を見た甲斐は、ナイフを構えて俺へと突進してきた。
……いや、俺から手を触れたわけじゃないんだけど、といった野暮なツッコミは、流石に今はしない。
しかし、これで賽は投げられた。
甲斐はもう、決定的に後戻りが出来なくなった。
「危ないから、下がっていろ」
俺は、冬華の手を離し、彼女をこれからのことに巻き込まないように下がらせる。
冬華が、手を離した瞬間に「先輩っ!?」と、辛そうな表情で言った。
心配してくれたのだろうか? ……嬉しいもんだな。
そう思いつつも、俺はこちらに向かってくる甲斐へと視線を向ける。
彼は、すでに間近まで迫っていた。
甲斐は、ナイフの間合いに一気に踏み込んでくる。
そして、明確な害意を持って、ナイフを振るった。
俺を傷つける覚悟を持って振るわれたその刃は、何もしなければ俺の肌に深くつきたてられることだろう。
そんなショッキングな映像は、冬華には見せたくない。
俺は即座に迎え撃つ。
ナイフを持つ手をめがけて、俺は手刀を振り下ろした。
手刀の直撃を食らい、「っぐ!?」と呻き声を上げて悶絶する甲斐は、たまらず刃物を手から落とした。
武器を手放し、空手になった手に視線を落とし、甲斐は苦痛の滲む表情を浮かべた。
心底悔しそうに唇を噛みしめる甲斐に向かって、俺は告げる。
「甲斐。俺はお前を、高く評価している」
俺の言葉に、甲斐が不審な表情を浮かべた。
「逆恨みして冬華に手を出すわけでも、数を揃えてかかってくるわけでもなく、お前は恐怖を乗り越え覚悟を決めて俺の前に立った。誰にでもできることじゃねぇ、素直にすげえと思う」
「何を……、言っているんだ?」
「だからよ。ちんけな得物を失ったくらいで終わりじゃねぇんだろ? ……根性見せろ、甲斐烈火ぁっ!!」
呆然とした表情を浮かべた甲斐に、俺は叫ぶ。
これで終わりなわけがない。そう確信をしていた俺に……、
「う、あ、あああああぁぁぁぁぁぁああっ!!!!」
甲斐は、ガムシャラな叫びを上げて、応じた。
空手になった拳を握りしめて、甲斐は一歩踏み込んだ。
渾身の力が込められていることが分かるその拳。直撃を受ければ、俺でもダメージを食らうだろう。
……それ故にモーションが大きく、俺からすれば難なく避けられるものだった。
しかし、俺は……。
ガンっ!
頭蓋と拳がぶつかる音が、脳天に響いた気がした。
甲斐の拳を真っ向から受け止めることを選んだのだ。
俺の顔面に直撃した拳。
それは、甲斐が自らの勇気と正義を信じて握りしめた拳だ。
響かないはずがない。
俺は身体が訴えてくる痛みを、気合で屈服させてから、今度は自らの拳を握りしめる。
血が、滾る。
思えば、一対一の喧嘩を真っ向から吹っ掛けられるのは久しぶりだ。
否応なく、俺のテンションもハイになっていた。
「……そうだ、良い拳じゃねぇか。けっこう効いたぞ。……だから今度からはよ、ちんけな刃物を握るんじゃなく」
俺は、甲斐の腕を掴み、そして引き寄せた。
バランスを崩して、倒れこむような姿勢となった甲斐に、俺もお返しをする。
「最初から、自分の拳を握ってきやがれっ!!」
そう言って俺は、甲斐に向かって拳を放った。
一切反応ができない甲斐の顔面に、俺の固く握りしめられた拳が突き刺さった。
甲斐はそのまま派手に吹っ飛び、無様に倒れた。
立ち上がる様子がない。
近寄って見れば、甲斐は泡を吹いて気絶をしているようだった。






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