25、開幕
作業を開始してから3時間ほどして、設営が済んだ。
設営を手伝っていた運動部たちの内、数人が実習棟へと向かい、今度は調理部が作っていた料理を運び入れた。
その後、軽音部がステージの幕裏で音響などの最終確認をしていると、新入生が会場入りを始めた。
ざわざわと落ち着かない様子の後輩一同の後ろから、池を始めとした生徒会役員も入場しする。
いよいよ、お祭り騒ぎが始まろうとしていた。
……ちなみに、俺はひっそりと、一人で二階からその様子を見下ろしていた。
朝倉は俺を気にしてくれていたが、俺に付き合わせるのも悪い。
彼はすでにバレー部に合流していた。きっとこれから、手伝いの報酬として、この祭りを楽しむのだろう。
そんなことを考えていると、池がステージ上へと上がった。
たったそれだけのことなのに、騒々しかった生徒たちが、示し合わせたように静かになり、一斉に池に注目した。
流石は池、他人の目を引き付ける華がある。
「今日はお疲れ、新入生諸君! 勉強会はどうだったろうか? 少しでも役に立ったと思ってくれれば、この場にいる上級生も準備をしてきた甲斐があったと思う。さて、言いたいことは言った。固い挨拶は無しだ。これから先は、軽音部の演奏を楽しむもよし、調理部の作った軽食を食べるもよし、同級生や運営の手伝いをした先輩と親睦を深めるもよし。とにかく、羽目を外しすぎなければ、大概のことはよし、だ」
池はマイクも使わずに、会場全体に響くような通りの良い声で告げる。
一年女子はステージ上の池を見て、うっとりとしたような表情を浮かべている者が多い。
それに、多くの男子生徒も、池に対して尊敬の眼差しを向けていた。
「それでは、今日は精一杯楽しんでいってくれ!」
池がそう告げた途端、背後の幕が開けた。
軽音部が登場し、挨拶もなく演奏が始まる。
池はすぐさまステージを降りて、軽音部にその場を譲った。
軽音部の演奏が響き、会場は早速熱狂に包まれることになった。
――その熱狂を横目に、俺はそろそろ屋上に向かおうと、考えていた。
屋上に甲斐が待っているかは分からないが、この場に俺がいても雰囲気を悪くするだけだからな。
「お疲れ様、友木君」
そんなことを考えていた俺に、不意に声が掛けられた。
振り返るとそこには、真桐先生がいた。
「……どうしたんすか、こんなところで」
「生徒会主催の勉強会だけど、お目付け役の先生も必要よね? そいうわけで若手の先生が数人、この会場に来ているの」
肩を竦めて見せた真桐先生。
それは知っていた。
俺が聞いていたのは、なぜわざわざお祭り騒ぎから最も離れた俺の隣に来たのかということだったのだが。
「……あなたの分よ、受け取りなさい」
真桐先生は、そう言って俺にブラック無糖の缶コーヒーを差し出した。
「ええっと、これは……?」
「差し入れよ。コーヒーが好きなのよね? この前印刷室でも、池さんが買っていたのだし」
俺は、真桐先生から差し出されたコーヒーを受け取った。
そんな細かいところまで見ていたのか、と驚く俺に、先生は自然な仕草で自分の持っていた紅茶のペットボトルを、受け取った缶にこつんとぶつけた。
「今日まで手伝い、お疲れさまでした。本当にありがとう、友木君」
「いえ……いただきます」
優しく微笑む真桐先生に見つめられて、俺は照れくさくなり、つい俯いてしまった。
……こちらこそお礼を言いたいことがあるのだ。
その言葉を口にする前に、缶コーヒーを一口飲んで喉を潤してから、俺は言う。
「先生の言う通りでした」
「何のことかしら?」
真桐先生も、紅茶を一口飲んでいた。
「俺の行動を、ちゃんと見てくれる人がいる、ってことっす。今日、それを実感したところでした。……ありがとうございます」
俺の言葉に、真桐先生は驚いたように目を開いた。
そして、口元に笑みを浮かべてから、言葉にした。
「それは、私がお礼を言われることではないわ。あなたが胸を張るべきことよ」
これまでの行動を認めてくれるその言葉自体が、俺には嬉しかった。
池が俺の面倒を見てくれたから、行動を起こすことができた。
真桐先生が見守ってくれたから、俺は頑張れた。
俺は一人では、きっと何もしようとしなかった。
二人がいて、俺はようやく頑張れた。ただ、それだけなんだ。
だから、俺は胸を張れない。
その代わりに、感謝を伝えたい。
「……うす」
しかし、口下手の俺がそんなことを真正面から言うこともできず。
ただ一言、呟いたのだった。
「それじゃ、俺。この後用事あるんで、失礼します」
優し気な視線を送る真桐先生から逃げる様に、俺は背を向ける。
なんだか、褒められて照れくさかったし、ちゃんとお礼が言えなくて情けなくもあったから。
「そう。それじゃ、さようなら」
真桐先生は俺の背に声をかけた。
俺は無言で先生の言葉に会釈をしてから、体育館を後にしたのだった。
☆
体育館を出て、俺は教室棟へと向かう。
そう時間も経たないうちに、甲斐が指定してきた時間になるだろう。
「優児!」
しかし、歩く俺の背中に声をかける者がいた。
「おう」
俺は振り返り、声の主を見る。
もちろん、顔を見る前から誰かは分かっていた。
「まだ始まって間もないってのに、どこに行くんだ?」
整った顔に、爽やかな笑顔を浮かべる池が、そこにはいた。
「少し用事があってな。……先に帰る」
「……遠慮しすぎなんだよ、優児は。もっと気楽に楽しめば良い」
池は呆れたように溜め息を吐いた。
「遠慮なんかしてないっての。ホントに用事があるだけだ」
もちろん、それだけではない。
俺がいたらせっかくの楽しい場が気まずくなるだろうと思い、こうしてそそくさと屋上に向かっているのだが、そんなことは流石に言えない。
「……それと、ありがとな、池。楽しかったよ」
「何言ってるんだよ。俺はただ、人手が足りなくて困っていたから、頼りになる親友に手伝ってほしいと声をかけただけだ。優児が俺に礼を言うことなんて、一つもないだろ」
当然だとでも言うように、池は俺にそう言った。
その気遣いが、俺には嬉しかった。
「……そういえば、まだ池に奢ってもらっていないよな」
俺の言葉に、池はニヤリと笑みを浮かべた。
「ああ、そういえばそうだったな。よし、それなら勉強会の手伝いの分も合わせて、いつもより豪華に行くか! ……と、言いたいところだが。あいにく、冬華の恋路を邪魔したら、こっぴどなく怒られるからな」
「3人で行けば良いだろ?」
俺の言葉に、池は驚愕を浮かべた。
それから、おかしそうに笑い声を上げてから、真直ぐに俺を見た。
「それなら。説得役は、優児に任せた」
「……期待せずに待っていてくれ」
「おう、任せた」
白い歯を口から覗かせて、池は快活な笑顔を浮かべた。
……再び前を向いた冬華は、きっと池と向き合えるようになる。
そしていつか。二人が笑い合えるようになれば、俺は嬉しい。
その中に、俺も入ることができれば。
きっとそれは、とても楽しいだろうな、と思う。
「そんじゃ、またな」
俺は、池にそう言ってから歩き始めた。
「ああ、またな」
池も、俺に向かって言った。
……再び教室棟に向かって歩きながら、生徒会や朝倉のことを思い出していた。
甲斐にも、誠実に向き合い、話をすれば。
俺が冬華を害することがないと分かってくれるかもな。
俺は、能天気にそう思った。
☆
そして、屋上の扉を俺は開いた。
そこにはすでに甲斐がいて、
「待っていたぞ……友木、優児っ!」
俺の名を憎しみを込めて呼び、血走った目で睨んできた。
その様子を見て、俺は――。
あ、やっぱりこいつは話してもわかってくれなさそう。
と、他人事のようにそう思った。






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