23、笑顔
今日はゴールデンウィーク初日、世間的には連休の始まりだ。
しかし、今年の俺にそんなことは関係ない。勉強会の設営の手伝いがある。
13時までには学校に着かなければならない。
まだ余裕があるのだが、そろそろ準備くらいしておこうかな、と思ったその時。
自室の机上に置いていたスマホが振動し、メッセージの受信を告げた。
どっかのサイトのメルマガだろうな、と思いつつスマホの通知画面を見ると、予想が外れた。
差出人は冬華だった。
昨日のことで、何か話があるのだろうかと思い、内容を見る。
『屋上に来てください』
……メッセージの内容は至ってシンプルなものだった。
シンプルすぎて必要な情報すらないのが痛い。
とりあえず場所は学校の屋上だろう。
あとは時間だ。
それが分からなければ話にならない。
『いつ行けば良い?』
そう思い、俺もメッセージを送信した。
そして、すぐに既読がついた。
後は返信を待つだけ……と思っていたのだが、10分ほど経過しても返信はない。
時間をかくだけなのだから、返信に時間がかかるとは思いにくい。
……まさか、今すぐに来いってことか?
少々不満を思うものの、しょうがない。
俺は立ち上がり、身支度を済ませてから家を出た。
☆
学校に着いた俺は、真直ぐに屋上へと向かった。
未だ鍵が直されていない屋上の扉を開ける。
正面を見れば、そこには既に冬華がいて、校庭を見下ろしていた。
彼女は扉の開く音に気付いたのだろう、振り返って俺を見た。
そして、ややバツが悪そうに、視線を泳がせてから口を開く。
「……こんにちは、先輩」
風に靡くスカートを手で押さえながら、冬華は言った。
「おう。いきなりどうした?」
俺はゆっくりと冬華に近づき、彼女の正面に立った。
「確かに、事情も話さずいきなりごめんなさい。なんというか、勢い任せで呼び出したもので」
「べつにそれは良いんだが。それで、何か用があったんだよな?」
「……用がないと、呼んじゃダメなんですかぁ?」
と、からかうように言う冬華に、俺は無言で応じる。
すると、二度ほど深呼吸をしてから、彼女は口を開いた。
「先輩っ! その……昨日は、本当にすみませんでした」
彼女は、そう言ってから頭を下げた。
普段舐めくさった態度をとる冬華の、その殊勝な態度に俺は思わず驚いた。
「……どうした?」
「いえ、先輩にみっともないところ見せてしまったことと、先輩をめんどくさいことに巻き込んでしまったこと。その両方を、ちゃんと謝ろうと思って」
恥ずかしそうに視線を逸らしながら、冬華は言う。
「……気にする必要なんてないっての」
「気にしますよ! あいつ、ホントめんどくさかったし」
憤慨した様子を見せる冬華。
確かに、甲斐は思い込みが激しく人の言うことを聞かない面倒な奴だったかもしれない。
そう甲斐のことを思い返していると、無言の俺を見ながら、もじもじとし始めた冬華。
「どうした?」
「も、もう一つの方です。今思い出しても、恥ずかしいというか。……あ、あんなこと言ったのは、その。……先輩が、初めてだったんですよ?」
顔を真っ赤にして、上目遣いに俺を伺う冬華。
「そう、だよな。……俺も、あんな風に本音をぶつけられたのは初めてだった。悪かったな、偉そうなことしか言えなくて。すぐに諦めただけの俺の言葉なんて、何の励ましにもならないよな」
「確かに、偉そうに言いやがって! って思いましたねー」
「……そ、そうだよな」
かなりストレートに肯定されて、「あ、やっぱり冬華もそんなこと思ってたんだな……」と再確認し、俺はちょっと恥ずかしくなった。
「だけど、嬉しかったです。すごく、励まされましたよ。先輩に認めてもらえて……ちゃんと見てもらえて」
冬華が、俺にはにかんだような笑顔を向けて、照れくさそうにそう言った。
俺はその言葉に意表を突かれ……上手く言葉にできなかった。
「……ホントですよ?」
俺の無言を、冬華は信じてもらえてないと受け取ったのか。
首を傾げつつ、不服そうに俺の表情を伺いながらそう言った。
「そう言ってもらえると、有難いな」
俺の言葉に「それなら良いんですけどー」と、穏やかな表情で答える冬華。
「それと、もう一つなんですけど。……昨日、先輩が言ったことなんですが」
「色々言ったけど、どれのことだ?」
「私に、『兄にも負けたくないものが出来たら、私のことを応援する、協力する』ってやつです」
嬉しそうに頬を緩めながら、冬華は俺に問いかけた。
「ああ、それか。もちろんだ、協力する」
俺の言葉に、冬華は嬉しそうに笑った。
それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「その、早速なんですが。……私、出来ました。絶対誰にも負けたくない、譲れないものが」
「そうなのか。よかったら、それがどんなことなのか教えてくれ。俺にできることなら、何でも協力する」
俺は、嬉しかった。
もう一度冬華が、池に挑戦すると決めたことが。
そしてそのことを、俺に教えてくれたことが。
しかし、冬華は悪戯っぽい表情を浮かべてから、首を横に振って胸元に両腕でバッテンマークを作ってから答えた。
「いいえ、先輩には教えません! ついでに言うと、協力をしていただく必要もありませんっ!」
「は? ……あ、誰の助けも借りず、自分の力だけで池に勝ちたい、ということか?」
冬華の言葉は意外だったが、そう考えれば納得もできる。
しかし、冬華は首を振ってから答えた。
「私の誰にも負けたくないことは、先輩に協力してもらっては意味がないというか、してもらっても意味がないというか。……とにかく、私自身が頑張らなくっちゃいけないんです!」
真っすぐに、俺の瞳を覗き込んでくる冬華。
興奮しているのか、少し頬が上気し、赤く染まっている。
俺は彼女の迫力に押され、一歩後ずさる。
「そ、そうか。……いずれにせよ、今度こそ。池に勝てると良いな」
「はい!」
昨日俺に吐き出したことで、冬華が前を向ける様になったのだとしたら。
これほど誇らしいこともないな、と俺は思った。
「あ、そういえば一つだけ。先輩にお願いがあるんでした」
「おう、なんだ?」
「それじゃ、遠慮せずに」
一つ深呼吸をしてから、冬華は俺を見つめながら口を開いた。
「先輩が、この『ニセモノの恋人関係』を嫌になるまで。私とこの関係を続けてください」
一体どんなお願いをされるのかと少し身構えていたのだが、今更過ぎるその言葉に、俺は力が抜けた。
「今更、何を言ってるんだよ。心配しなくても、ずっと続けるっての。……言っただろ、俺もこの関係を、楽しんでるって」
俺が冬華を安心させるように言うと。
……彼女はあからさまに不服そうな表情を浮かべた。
「……あー、すまん。確かに、ずっとは嫌だよな」
俺は自省し、冬華に謝る。
そりゃ、俺とずっとニセ恋人なんて不満だろう。
今は恋愛に興味がないと言っているが、それが一か月後、一年後どうなっているかは分からない。
つまり、この関係は。
冬華が恋愛に前向きになるまでの間の関係に過ぎないのだ。
そう考えると、少し寂しくもある。
「はい、ずっとニセモノの恋人なんて……。絶対に、嫌ですからっ!」
そう言って。
彼女はこれまで見せてきた笑顔よりも、なお魅力的な笑みを浮かべたのだった。