56、迫る
「おつかれ、優児君!」
舞台裏に戻った夏奈は、すぐに笑顔で両手を上げ、ハイタッチを求めてきた。
周囲を見ると、クラスの連中がそこら中で、同じようにハイタッチをしていたり、女子同士は抱き合ったりしていた。
「おう!」
テンションが上がっていた俺も、両手を上げて夏奈のハイタッチを受け入れようとした。
……しかし。
「隙ありっ!!」
夏奈はそう言ってから、両手を挙げた状態の俺の胴体に、ギュッと抱き着いてきた。
「夏奈!?」
俺は慌てる。
周囲を見ると、先ほどの和やかな様子とはうってかわり、刺すような視線が俺に向けられていた。言うまでもないことだが、その中で最も、朝倉の視線にプレッシャーを感じる。
「一緒に喜びを分かち合いたいって思ったんだけど……仕方ないって、思わないかな?」
俺は夏奈の肩に手を置いて、彼女を引き離してから言う。
「夏奈のテンションが上がる気持ちはわかる。俺も、正直興奮してるしな。夏奈と一緒に舞台に立てて、楽しかった。……だけど」
俺は苦笑を浮かべてから、
「今日のところは、このくらいで勘弁してくれ」
俺は右手を掲げてそう言った。
夏奈は不満そうに、上目遣いに俺を覗き込んだ。
それから一度、わざとらしくため息を吐いてから、
「……しょうがないかな。今日はこれで勘弁してあげるねっ?」
と呟いた。
そして、夏奈は自分の掌を俺の右手にぶつけ、その後視線を交わして笑い合った。
「友木っ!」
その声に振り向くと、今度は朝倉が笑顔を浮かべて手を掲げていた。
「やったな、朝倉」
俺は、朝倉の掲げた手に自らの手をぶつけた。
「お疲れ友木!」
「友木君良かったよ!」
それから続々と、クラスの連中が声をかけてきてくれた。
皆とハイタッチを交わし、確かな充足感を共有する。
「ありがとう、皆」
俺の言葉に、聞こえていた周囲の連中は、笑いかけてくれた。
「みんなと同じクラスで良かった」
「みんなも、優児と同じクラスで良かったと思っているぞ」
俺の呟きに応えたのは、池だった。
彼は涼し気な表情を浮かべながら、続けていった。
「良い演技だった。夏奈のアドリブの対応以外、な」
池は爽やかに笑いながら、俺に向かって握った拳を差し出してきた。
今この満ち足りた気持ちを抱いているのは、誰よりも何よりも、池のおかげだ――。
と、無粋なことは言わず。
「うるせーよ」
軽口に応え、差し出された池の拳に、自らの拳をぶつけるのだった。
☆
一度クラスの連中と解散し、これから冬華と一緒に文化祭を回る予定だ。
待ち合わせ場所の正門付近へと、俺は向かう。
劇は、大成功だったようだ。
廊下を歩いていると、立ち話をしている2年の会話が耳に届いた。
「2-Aの劇、見たか?」
「見てないんだけど、なんかめっちゃ面白かったって聞いたわ」
「そうそう、マジでめちゃくちゃで笑えたんだよ。てか、うわ、勿体ねー。葉咲のあのコスプレ、超可愛かったのになー」
「え、葉咲の!? ……どんなコスプレ!?」
「スケバン」
「……スケバン?」
どうゆうこと……? と呟く2年を、苦笑を浮かべつつ眺めていたところ、、
「……ひっ!」
彼は俺の視線に気づいたようだ。
無駄に怖がらせてしまったようだ、俺は咳ばらいをしてから、その場を立ち去ろうとして。
「あの、友木くん。劇、めっちゃ面白かったよ」!」
と、先ほど劇を見たと話していた男子が、そう声をかけてくれた。
俺は驚き、振り返る。
「ちょ、おまっ!?」
隣の男子は、俺以上に驚いていたが、俺に声をかけてくれた奴は……真直ぐに、こちらを見てくれていた。
「おう、ありがとなっ!」
俺がその男子に答えると、彼は笑顔を浮かべ、隣の友人は驚きのあまりだろう。白目を剥いていた。
――こんな風に、普通に声をかけてもらえて、俺は無性に嬉しかった。
☆
待ち合わせ場所の正門付近についたが、冬華はまだ到着していなかった。
俺はしばらく待つことにする。
「あっ、友木君!」
声をかけられ、振り向く。
一瞬、冬華かと思ったが、彼女が俺を友木君と呼ぶわけがない。
「素敵な劇だったわ、友木君」
俺に声をかけたのは、見回り中の真桐先生だった。
息が弾んでいる、俺を見つけて、駆け寄ってきたのかもしれない。
「ありがとうございます」
「あの脚本は、誰が考えたのかしら?」
「山上が美女と野獣を下敷きに考えてくれました。ラストだけは、夏奈が変えたいと言って。そこから、少しずつみんなでアレンジの案を考えて……最終的に、ああなりました」
「そう、葉咲さんや、皆が……」
すこしだけ、寂しそうな顔をする真桐先生。
どうしたのだろう、と考えていると「私も……」と彼女は呟く。
「私も?」
俺の問いかけに、真桐先生は首を振り、「いいえ、気にしないで」と言ってから、
「素敵な友人に囲まれたわね」
と、彼女は言った。
それから、真桐先生は俺の手を、自分の手でギュッと握りしめる。
「え、真桐先生!?」
俺の言葉に、彼女は答えない。
ただ、顔を真っ赤にし、……目尻から、一筋涙をこぼした。
「あ、あの俺なんかやっちゃいました……!?」
と慌てすぎて最強系主人公みたいなことを問いかけてしまった俺。
その問いかけに、真桐先生は両手を離してから、自分の涙を指先で拭う。
「ごめんなさい。……自分のことのように、嬉しいの。あなたが、たくさんの人に受け入れられることが、本当に」
彼女は優しい声音でそう告げてから、柔和な微笑みを俺に向けてきた。
真桐先生には、これまで迷惑を掛けてきた。
だから、そんな風に言ってもらえて……。
こんなにも、想ってもらえて。
俺も、目頭が熱くなった。
「真桐先生……」
だけど、涙を見せるのは、やはり恥ずかしい。
俯き、目元を押さえてから、俺は再び彼女を見た。
彼女は、尚も優しい微笑みを浮かべ、こちらを見ていた。
……俺は真桐先生と目を合わせることが出来なかった。
それは、照れくさかったから。
……だけでなく。
背後から満面の笑みで忍び寄る、千之丞さんの存在に気づいてしまったからだ――。