43、真桐千秋の憂鬱
文化祭の演目も決まり、練習を始めてから数日が経っていた。
今日は、部活動の参加者が多く集まりが悪かったため、本読みを済ませた後はすぐに解散となり、自宅に向かっているところだった。
その道中、見知った顔に出くわした。
「あら、友木君。今帰りなのかしら?」
その見知った顔とは、真桐先生だった。
「どうも。真桐先生も帰りですか? 今日は早いんですね」
「ええ。最近は文化祭の関係で忙しかったのだけど、今日は早めに帰ることにしたの」
そう言ってから、真桐先生は手首の時計を確認してから、続けて言う。
「良かったら、折角だし。一緒にお茶でもどうかしら?」
☆
真桐先生の誘いに乗った俺は、彼女と共に近場のチェーン店の喫茶店に入った。
案内されたテーブル席に座り、店員さんに注文を頼んでから、真桐先生は俺に向かって言う。
「時間を取ってもらって、ごめんなさいね」
「俺はもう帰るだけなんで、大丈夫ですよ。それにしても……なんか新鮮ですね、こういうの」
俺の言葉に、真桐先生は苦笑を浮かべながら「確かに、そうね」と呟いた。
彼女の言葉に、無言のまま応じないでいると、店員さんが飲み物を持ってきた。
テーブル上に飲み物を置いて、立ち去った後に、真桐先生は口を開いた。
「特別用件があったわけではないけれど。……ただ、友木君は文化祭楽しめそうか、少し気になって」
それから彼女は、ティーカップに口をつけ、紅茶を一口飲んだ。
「……まだアイスティーでも良かったかしら」
俺が笑うと、真桐先生が少しだけムスッとした表情を浮かべて、こちらを見た。
「いえ、そうじゃなくて。文化祭のことですよ」
その言葉に、真桐先生は「コホン」とわざとらしく咳をついた。
「お陰様で、楽しんでますよ。……今年の文化祭は、ちゃんと楽しめそうです」
そう言ってから、俺もアイスコーヒーに口を付けた。
「それなら、良かったわ。……詳しいことは聞いていないけど、友木君のクラスは、演劇をするのよね?」
「そうです。いろいろ滅茶苦茶な内容になりそうですけどね」
俺がいうと、真桐先生は穏やかな笑顔を浮かべた。
「そうなの、それはとても楽しみだわ」
そう言ってから、真桐先生は紅茶を一口含んだ。
真桐先生の言葉を信じるなら、たまたま時間のある時に、俺と出くわしたためにこうして一緒にお茶に誘っただけ、なのだが。
普段よりも口数が少ない気がして、もしかしたら何か用件があったのでは、と俺は思った。
「真桐先生……本当に、何も用件はないんですか?」
少しの間逡巡した様子をみせた後、
「特に……これといったことは、なにもないわ」
目を泳がせつつ、そう言った。
……あー、これは何かあったんだな。
彼女の分かりやすい態度にそう思った俺は、無言で視線を送る。
参ったように肩を竦めてから、口を開いた。
「……どうやら、友木先生には隠し事が出来ないみたいね。ちゃんと話すから、そんなに怖い顔で睨まないで欲しいわ」
……怖い顔をしていたつもりはなかったけど、怖がらせてしまったらしい。
「友木先生はやめてもらって良いですかね……」
真桐先生は、俺の言葉に「ふふ……」と可愛らしく笑ってから、
「文化祭、気が重いのよ……」
「確かに大変そうですけど、悩むほどですか?」
「文化祭にかかる労力に対してではなく……」
真桐先生は一度言葉を区切ってから、
「バレてしまったの……文化祭の日程が、父に……っ!!」
真桐先生は、両手で顔を覆いながら嘆いた。
それを見て、俺の脳裏にはあの堅物の皮を被ったツンデレ親父の顔がよぎった。
「……大変ですね」
ガチな感じで落ち込んでいる真桐先生に、俺はただ一言告げた。
「というか、なんで文化祭の日がバレたんですか?」
俺の質問に、
「SNSで学校名+文化祭で調べたら何件もヒットするし、学校周辺のお店には、文化祭開催のポスターを掲示しているし、そもそも学校のHPにも日程はアップしているの。……対策の取りようがなかったわ」
言われてみれば、確かに高校の文化祭の日程を調べる手段は、いくつもあるだろう。
ちなみに我が校のHPは、阿〇寛のHP並みに軽量サクサクらしい。
「流石に、この間の体育祭で真桐先生に怒られたから、反省したんじゃないですか?」
「……この間電話をしたけれど。あの人はまた優児君の家族として来る気満々だったわ……!」
あの親バカツンデレおじさん、はたから見てる分には面白いな、と俺は真桐先生の思い悩んだ姿を見ながら、そう思った。
「生徒の父兄が参加するのは全く問題ないけれど、何故教師の親が参加をするのよ。この年になって授業参観を受ける気分だわ……」
はぁ、と深くため息を吐いてから、
「流石に、身内を不審者として通報するのは気が引けるけど……仕方ないわね」
と、真桐先生は生気の失せた瞳で、そう言った。
「……俺が千之丞さんを見つけたら、大人しく帰るように伝えておきますよ」
俺の言葉に、真桐先生は笑みを浮かべる。
「そうしてくれると助かるわ。私の言葉よりも、友木君の言葉の方があの人には効くと思うし」
「……良かったですね、真桐先生」
俺の言葉に、真桐先生は「どういう事かしら、友木君?」と、満面の笑み(ただし目は笑っていない)を浮かべた。
「そんな何でもないことで悩めて、良かったんじゃないですか?」
間違いなく、かつての父娘の関係では考えられないような悩みだ。
それはきっと、悪いことばかりではないはずだ。
「……そうかもしれないわね」
と、プイと視線を逸らしながら、彼女は言った。
それから、口元に笑みを湛えてからこちらに視線を向け、
「友木君も。今年の文化祭は精一杯、楽しみなさい」
と、優しく告げた。
俺は、ただ気恥ずかしくて、無言で頷いてから一口、すっかり氷の溶けたコーヒーに口をつけるのだった。