5、怒れる恋人(ニセモノ)
「朝倉の様子がおかしい」
これは確定的だった。
池が言っていたことがどういうことなのかは確認していないが……朝倉に何かがあったのは間違いない。
「朝倉先輩より、優児先輩の方がおかしいんですけど?」
不満気に言うのは、隣を歩く冬華だ。
今は放課後で、彼女と下校をしている最中だった。
どうやら俺は、朝倉のことを考えるあまり、自然と呟いていたようだ。
「いきなり『朝倉の様子がおかしい』とか言うのもですけど、お昼の時だって、私の手作りお弁当を、心ここにあらずの状態で食べてるし……チョーあり得ないんですけどー!?」
頬を膨らませて、非難がましく冬華は言う。
「ああ、そうだったな。……悪い」
俺が謝罪すると、冬華は眉間にしわを寄せたまま、
「というか、先輩は何を難しい顔してるんですかー?」
と、問いかけてきた。
冬華に話そうか、いや……。
もしかしたら、朝倉のプライバシーに傷をつけてしまうかもしれない。
軽はずみな発言には気をつけなければ。
「……なんでもない、気にしないでくれ」
そう思い、俺は冬華に答える。休み時間に話した池も、こんな気持ちだったのだろう。
朝倉を、ロ……ではなく、確信を持てないうちから、何らかの予備軍という先入観を与えたくないのだ。
「……どうせまた、しょうもないことを考えてるんでしょーね」
胡乱気な眼差しを向けてながら、彼女はそう言った。
なんと答えればよいか分からないまま、俺たちはいつの間にか駅についていた。
「あ、もう駅についちゃいましたね」
冬華の言葉に、「そうだな」と応える。
普段であれば、このまま別れるところだが、今回は違った。
反対のホームに、朝倉がいるのを俺は見つけていた。
……そういえば、朝倉は最近言っていた。
ローテの関係で体育館が使えない月曜日は、部活動がオフになると。
この時間に帰っているということは、本日はそのオフの日なのだろう。
――折角の機会だ、探ってみるか。
そう思い俺は、冬華と共に階段を昇った。
「え、え? どうしたんですか、先輩?」
普段とは違う帰路につこうとしている俺に、冬華は動揺を浮かべた。
疑問を抱くのは当然のことだ。
俺は頷いてから、
「やっぱ、気になるからな」
と、詳細を話さずに答えた。
すると、冬華は一瞬唖然とし、それから照れくさそうに視線を俯かせながら、
「やー、そういうことですか?今日の先輩、過去一レベルで積極的すぎて普通に困っちゃうんですけどー?」
と、困惑を浮かべつつ、冗談っぽく告げた。
その言葉に、どういった意味があるのかを考えるものの、朝倉の動向に気を配っている状態では、普段のように彼女の考えを察することができない。
俺のコミュ障力と、朝倉へ気を使うことばかり考えた結果、俺は無言のまま、何も答えることが出来なかった。
「無言とか、マジっぽくて逆に恥ずかしいんですけど……」
顔を真っ赤にし、前髪を片手で梳きながら俯く冬華。
一体冬華は何を考えたのだろうか?
気になるものの、今の第一目標はあくまでも朝倉だ。
俺はそのまま、冬華と共に到着した電車に乗り込む。朝倉は、同じ車両だ。
それなりに混雑しているため、目立つようなことさえしなければ、こちらの存在がバレることはないだろう。
そう思いつつ、彼がどこの駅で降りるのか、神経を集中させていたところ……。
「あの、先輩……」
「ん?」
対面の座席に座る冬華が、上目遣いに問いかけてくる。
「変なことは、しませんよね?」
冬華の潤んだ瞳と震える声。
俺の様子がおかしいことを心配してくれているのだろうか?
だとしたら、ありがたいことだ。
俺はゆっくりと頷いてから答える。
「ああ、心配するな」
俺が答えると、冬華は俺の答えに満足し、微笑んでくれると思いきや……。
どうしてか、渋い表情をして、疑わしそうな眼を俺に向けてきた。
そんなに信用ないのだろうか……と、俺が凹んでいると、
「お部屋、片付けなくちゃだめじゃないですね……」
と、頬を朱色に染めながら、なぜかこのタイミングで関係のない世間話を始めた冬華。
「そ、そうなのか……」
戸惑いを隠せない俺は、ただ一言そう答えた。
朝倉もだが、今日は冬華も様子が変だな……。
少し気になったものの、今は朝倉から目が離せない。
彼は、つり革を手にして立ちながら、ずっとスマホの画面に視線を落としていた。
まだ、電車を降りる様子はない。
それから、なぜだかソワソワしている冬華との会話がないまま、数駅を乗り過ごした。
「あっ、次で降ります」
冬華が小さく呟いた。
「そうか」
俺は一言答える。
朝倉はまだ、降りる様子がなかったので、冬華とはここでお別れか。
そう思っていると、すぐに駅に辿り着いた。
「それじゃ、降りますよ」
どこか恥ずかしそうに、冬華は言い、立ち上がった。
俺は彼女に答える。
「ああ、それじゃあな。気をつけて帰れよ」
何気なく呟いた言葉。
その言葉に、冬華はゆっくりと振り返った。
それから彼女は、呆然とした表情を浮かべつつ――、
「……はい?」
と、固い声音で呟いた。
どうしたのかと思いつつも、
「だから、じゃあな、って。俺はこのまま電車に乗っているからな」
俺が冬華に答えると、無表情のまま彼女は首を傾げつつ、
「え、と。優児先輩は、降りないんですか?」
と、心底不思議そうに呟いた。
「降りる理由がないんだが」
俺がそう言うと、すぐに電車の扉が閉まり、再び動き始めた。
冬華、降りられなかったというのに、大丈夫なのだろうか……。
そう心配していると、冬華は再び俺の前の座席に座り、口元に笑みを携える。
それから、上目遣いに俺を窺いながら、
「えっと、先輩はどうしてさっきの駅で降りなかったんですか?」
顔ではニコニコ笑っているのに、声は硬いし目は笑っていないしで、妙に迫力があった。
「それは俺の台詞なんだが?」
俺は困惑しつつ、即答する。
俺の問いかけには応えぬまま、笑顔を浮かべつつ、ただじっとこちらを見据える冬華。
……なんだか、妙に居心地が悪かった。
それにしても、さっきの駅が、冬華の自宅の最寄り駅ではなかったのだろうか?
どうして冬華はいまだに電車に乗っている?
「……結局、冬華はどこまで行くつもりなんだ?」
「私の台詞なんですけど?」
冬華は意趣返しとばかりに、固い声音で告げた。
やっべー、超キレてる……。
彼女の怒りを察した俺が冷や汗をかいていると、「はぁ」と冬華が嘆息した。
それから、俺を真正面に見据え、問いかける。
「とりあえず、勘違いをした私も悪かったんでしょうけど……一言だけ良いですか?」
「あ、ああ」
狼狽えつつ俺が言うと、冬華は嘘っぽい笑顔を浮かべるのをやめ、恨めしそうに俺を見た。
それから……
「先輩の、バーカッ!」
と、舌を出しながら、不満を口にした。
彼女の起こった理由がわからなかった俺は、子供っぽくて可愛らしい仕草をするもんだな、という現実逃避をするしかないのだった……。