33、お義姉ちゃん
自分の名前を呼ばれてびくりと肩を震わせた竜宮は、顔を上げた。
彼女の目尻からは、涙が流れている。
弱々しい眼差しで俺を一瞥してから、口を開いた。
「友木さん、ですか」
「ああ。……こんなところで、何をしているんだよ?」
震える声で俺の名を呼んだ彼女に対して、先ほどと同じ問いかけをした。
「……何でもありません」
何でもないわけがない。
しゃくりあげる彼女を見ながら、俺は嘆息しつつ続けて問いかける。
「生徒会副会長が、体育祭の後片付けをサボるってことか?」
俺が言うと、彼女は涙を乱暴に拭ってから、キッと俺を睨みつけた。
「放っていて下さい。生徒会とか、副会長とか。……もう、そんなのはどうでもいいんですから」
彼女らしくないその言動。
投げやりなその様子を見て、彼女がどうしてこうなってしまったのか……俺には、思い当たることがあった。
「……なら、俺もサボるわ」
今の彼女を、一人にしたくない。
俺はそう思い、彼女の隣に腰を下ろした。
ビクッと肩を震わせ、それから
「私の言葉、通じてないですか? 放っていてください、って私は言ってるんです」
「俺はここで勝手にサボってるだけだ。竜宮に構った覚えはないな」
「……サボりはいけませんよ」
「竜宮には言われたくないんだが」
竜宮の言葉に、苦笑しつつ応える。
それからしばし、彼女のしゃくりあげる声と、遠くから聞こえる後片付けの物音だけが聞こえるだけだった。
その静寂を破ったのは、竜宮だった。
「私は元々、生徒会なんて興味なかったんです」
意外な言葉を放つ竜宮に、俺は視線を向けた。
「私は、ものすごく優秀なんです」
と、いきなり自画自賛が始まり、俺は呆れそうになったが、彼女の表情を見ていると冗談を言っているようでもなく、とりあえず続く言葉を待った。
「体格はあまり恵まれなかったので、スポーツについては諦めた部分もあるのですが、中学では勉学で常に一番の成績でしたし、芸術方面でも認められることが多かったんです。子供じみた全能感に、そのころは浸っていました。私は、誰よりも優れた特別な人間だと、他者を見下していた節さえあります」
どこか恥ずかしがるように、彼女は言った。
「そのちっぽけな全能感は、彼に出会って早々に、砕け散りましたけど」
「容姿端麗、頭脳明晰。その上人望もあり、誰からも認められる、完璧超人。……正直言って、彼と直接かかわり合いがない時は、いけ好かない方だと思っていました」
竜宮は、過去に思いをはせる様に言い、そして苦笑を浮かべた。
「私は彼に、勉学で一度も勝てませんでした。人望で上回ろうと生徒会選挙で競っても、敗北を喫しました。それでも、意外と負けず嫌いな私は、彼に勝とうと、必死に追いかけ続けて――彼の努力を知りました」
彼女の言葉に、暖かさが宿っているように感じた。
「彼の隣にいれば、これまでと違う自分になれると思いました。私は特別な人間ではないから、努力を怠らず、そして周囲の人たちと同じ目線で関わることが出来る様になったのだと、自分では思っています」
竜宮の言葉に、俺は耳を傾ける。
「それから私は、彼に勝つことばかりを考えていました。そうしたら自然と、いつの間にか。彼のことばかり考えていて……。気が付いたときには、好きになっていました」
彼女は、「我ながら、単純ですよね」と言ってから、柔らかく笑った。
きっと今この時も、その彼とやらのことを考えているのだろう。
「私は、いつもひたむきに頑張れる彼のことを好きになりました。……私は、彼は自分と似ていると思ったから。だから、彼に愛される資格があるのは、同じように努力を重ねられる人だと、そう思っていました」
どこか自嘲気味に、竜宮は言う。
「だから、私はきっと受け入れてもらえると思っていたんですけど……そう単純なお話でもなかったようです」
それから彼女は俺をまっすぐに見据えてから、口を開いた。
「先ほど、片づけのために会長と、生徒会室で二人きりになりました」
俺が「ああ」と相槌を打つと、彼女は続けて口を開いた。
「勇気を出して、告白をしました」
それから、悲しくなるくらい儚げに笑ってから、彼女は一言、
「振られちゃいました」
と、小さく呟いた。
どう答えたらいいかわからなかった。
正直、竜宮の想いが受け入れられる可能性はあったと思うのだが、同時に池が断ることも予想は出来た。
こうして目の前で落ち込む彼女に、なんというべきか。
それが分からない俺にできたのは、一拍間を置いてから、「そうか」と小さく呟くことだけだった。
それから、再び俺たちの間には静寂が戻っていた。
自分の気持ちを吐露した竜宮に、俺は何かを言いたい。
だけど、失恋した女子にかける言葉を、俺は知らない。
適当な慰めを言うようなことも、したくはない。
そう思いつつ、彼女の言葉を振り返る。
竜宮乙女は……どこか、冬華に似ていると思った。
池という存在を前にして、挑み続けた二人の女子。
一人は、自分自身のアイデンティティを守るため。
一人は、初めてできた立ちはだかる壁を打ち破るため。
高校で初めて出会った同級生か、同じように育った妹かという、立場の違い。
池に対する想いが、憧れに変わったか、劣等感に変わってしまったか。
どちらがより優れて、どちらかが劣っているとか、そういう話ではない
俺に言えるのは、ただ一つ。
……冬華といい、竜宮といい。
池の『友人キャラ』で満足していた俺には、彼女らの想いや努力は、あまりにも眩い。
「かっこいいな、竜宮は」
「あら、皮肉ですか、友木さん?」
うすら笑いを口元に浮かべつつ、恨めしそうに俺を見た竜宮。
俺はゆっくりと首を横に振り、真剣に彼女を見やる。
すると、俺が真剣だと分かってくれたのだろうか、彼女は薄ら笑いをやめた。
「せっかく話してくれたのに、悪い。俺は、竜宮に慰めや励ましの言葉をかけることが出来ない。それに、愚痴を聞いたりも、必要ないよな?」
俺は竜宮に言った。
彼女は、ハッとした表情を浮かべる。
そう、彼女にとって俺なんかの言葉は、必要ではない。
彼女は強く、そして逞しい。
これから進むべき道は、彼女の中に確固としてある。
だから、寄り添うことも、励ますことも、背中を押すことも。
彼女にとって、必要ではないはずだ。
「そうですね、よくわかっているじゃないですか。……友木さんの前で取り繕っても仕方ありませんね」
真剣な眼差しを俺に向けてから、竜宮は言う。
「私は、会長のような完璧超人ではありません。彼に認めてもらって、告白をしてもらう――そんな王道は、きっと望めないんでしょう」
訥々と語ってから、彼女は深く息を吸って、そして思いを言葉にした。
「だからと言って、何が何でも欲しい、池春馬のとなりのポジションを諦めるつもりはありません。みっともなくても、例え邪道だとしても! 彼の隣にいるためならば、私はどんな手段も用いてみせます!」
たかだか一度振られたくらいで落ち込んで、再起不能になる可愛げは、竜宮乙女には似合わない。
大胆不敵に笑いつつ、彼女は俺に向かって問いかける。
「どうです、こんなみっともなくってあきらめの悪い女、カッコ悪いと思いますよね?」
「めちゃくちゃカッコいいと思ったけどな」
俺の言葉を聞いた竜宮は、一瞬呆けた様子を見せたが、すぐにツンとすました態度を取ってから言った。
「冬華さんが友木さんを選んだ理由が、ようやく少しだけ、分かったような……気がしないでもないです」
どこか不満気なその態度に、俺は思わず問い詰める。
「あ、どういうことだ?」
「なんでもありませんよ」
彼女はそう言ってから、今度は悪戯っぽい表情を浮かべて、俺を指さしてから言う。
「『将を射んと欲すればまず馬を射よ』と、昔の偉い方は仰いました。……これからもよろしくお願いいたしますね、お馬さん?」
「おい、馬は酷いだろ」
「会長にとってのそのポジションは、友木さんに違いはないと思いますが?」
と、竜宮は思わせぶりに言う。
その言葉が少し気になったのだが、彼女の次の言葉が告げられたことにより、ツッコむ機会を逸することとなる。
「私たちは、とても仲良くなりました。だから、改めて。これからもよろしくお願いしますね、優児さん?」
これまでどこか他人行儀に、苗字呼びをしていた竜宮からの、不意打ち気味の名前呼びに、俺は少々動揺した。
「私のことも、『お義姉ちゃん』と呼ぶことを特別に許して差し上げます」
それから、彼女はゆっくりと俺に向かって手を差し出した。
握手を求めているのだろう。
俺は彼女のその手に視線を落としながら、口を開いた。
「『お姉ちゃん』なんて、かなり気を許してもらえているみたいで光栄だ……なんていうと思ったか? 一体何を企んでいるんだ、竜宮。正直怖いんだが」
と、俺が言うと、彼女は可愛らしく頬を膨らませつつ、答えた。
「失礼ですね、優児さん。私はそんなに企んではいません。ただ……将来的に、義理の姉弟になる可能性があるわけですから。早めに呼び方に慣れていただいても、私としては差し支えないかな、と思っただけですよ」
あー、『お姉ちゃん』じゃなくって『お義姉ちゃん』ってことだったのか……。
色々とツッコミどころのある竜宮の言葉を聞いて、やはり吹っ切れてもポンコツはポンコツなんだな、と遠い目をしながら俺は思いつつ。
「これからも、仲良くしてくれ、竜宮」
そう言って、俺は差し出された彼女の手を、握るのだった――。