25、恥じらい
千之丞さんの父発言には少々驚いたが、冷静に考えれば、流石に真桐先生の親とは言えないかと納得する。
この学校で、おそらく唯一である生徒の知り合いである俺の名前を咄嗟に出したのだろうが、もしも俺の親と夏奈が知り合いだったらどうするつもりだったのだろうか……。
その時点で嘘が露呈し、ただの不審者(今も怪しい)扱いで終わるだろうに。
呆れつつ真桐先生の方を見ると、「あ、ああ……」と顔は真っ赤になり、目元には涙が溜まっていた。
無理もないが、相当恥ずかしそうだ。
「あ、優児君のお父さんなんですか、初めまし……ええーー!? 優児君のお父さんなんですか!? そ、その……初めまして、私、葉咲夏奈って言います! 優児君にはいつもお世話になっていて、その、なんていうか……これからも末永くよろしくお願いします!」
千之丞さんの言葉を聞いて、顔を真っ赤にしてから頭を下げる夏奈。
彼の戯言を、彼女は信じてしまったようだ……。
「あの、真桐先生……。止めた方が良いんじゃ?」
「下手なタイミングで止めに入って、私の父親だとバレてしまったら……私はお父さんをこの手で……」
固い声音で真桐先生が怖いことを言っていた。
そんなことにはならないように、俺は祈ることしかできない。
「さ、流石にあの人も、これ以上おかしなことは言わないんじゃないすか?」
「そう願いたいわ……」
祈るように、真桐先生が呟く。
俺と真桐先生は、夏奈と千之丞さんの会話に耳を傾けることにした。
「末永く、とはおかしな言い方だね。その言い方だとまるで、優児君と君が交際しているようにも聞こえてしまうが?」
早速おかしなことをぶっこんだ千之丞さん。
ややこしくなりそうなことを平然と言った彼に、俺と真桐先生が唖然としていると、
「そ、それは……。確かに、優児君の彼女のことも知っているお父さんにとってはおかしいかもしれませんが……」
と、夏奈が肩を落としつつ言った。
それを見て、隣にいる真桐先生も、どうしてか言葉にしづらい、悲しそうな表情を浮かべていた。
「それでも私、負けませんから! きっと、お父さんにも認めてもらえるよう、諦めませんから!」
それから、夏奈は千之丞さんに向かって宣言をした。
夏奈の気持ちは嬉しいし、それに応えられないことを申し訳なく思う。
……しかし何よりも、なぜおまえは無関係なおっさんにそんな大胆な宣言をしているんだ、という残念な感想ばかりが浮かんでしまい、俺はとても悲しかった。
「ほう……それは楽しみだ」
千之丞さんは、夏奈の宣言を聞いて、満足気に頷いた。
「……それでは、私は競技に出ないといけないので、ここで失礼します。また、ご挨拶に伺いますので!」
そう言って、夏奈は千之丞さんに背を向けて立ち去った。
千之丞さんは、夏奈の背中を見ながら満足そうにふむと頷いていた。
「友木君、悪いけどあの男と少し話をして、足止めをしてもらっても良いかしら?」
真桐先生は俺の肩を叩き、普段より数段低い声音でそう言った。
俺は逆らう気も起きず、無言のまま首肯し、千之丞さんの下へと向かった。
「千之丞さん、どうも」
俺が彼に近づいてから声をかけると、バッと勢いよく振り向く。
「優児君か!」
緩んだ口元で、俺の名を呼ぶ千之丞さんは、すぐに「おほん!」と咳払いをして、口元を固く引き締めた。
「こんなところで奇遇だ。元気にしていたかね?」
と、白々しさ100%でお送りする千之丞さん。
奇遇も何も、今日ここでは俺の通っている高校の体育祭があるのだが。
「元気にしていましたよ。それにしてもどうして……じゃなくて、なんで夏奈と話していたんすか?」
どうしてここに来ているのか問いかけそうになったが、やめる。
真桐先生の様子を見に来たに決まっているからだ。
「ああ、優児君のことを熱心に応援している女の子がいたので、話を聞いてみたくなったのでな。私の勘も、そう捨てたもんではないな。君のことが好きなあまり、隠し続けている千秋との関係のことにも、感づいているようだった。……私に対しても頑なに秘密主義を貫くのだから、学校内で明らかになるような行動は慎んではいるのだろうが、それでも恋する乙女は侮れん、ということか……」
うむ、と深く頷きつつ語る千之丞さん。
ツッコミどころが多すぎて気が遠くなりそうだった。
「だが、私は心配しておらんよ」
フ…、と口元に笑みを浮かべる千之丞さんは、続けて言う。
「何故なら私は、二人のことを信じているからだ。……私のような頑固者の心よりもよっぽど固い二人の絆に割って入れる者など、いるわけもない」
わはは、と心底楽しそうに笑う千之丞さん。
俺が急に饒舌になった彼の言葉のどこから訂正を入れようか迷っていると、
「お話し中すみません。先ほど職員に通報がありまして」
これまで見たこともない満面の笑みの真桐先生が、千之丞さんに対して話しかけた。
「む、こんなところで会うとは、奇遇だな」
千之丞さんは真桐先生を見て、どこか嬉しそうにそう言った。
ごまかしのパターンが少なすぎる親父だった。
「……何のことでしょうか? あなたはそこにいる友木君の父親と偽り、女生徒と接触したと通報がありましたので様子を見に来ただけです」
真桐先生の声音は、その表情に反して、酷く冷たかった。
ここに来て初めて、彼女が激昂していることに気が付いた千之丞さん。
「あ、あー。なるほど、確かに無断でこの場に来たのは悪かった。すまない千秋、私が悪かった。しかし、私も無関係というわけではないのだからすこしく――」
「即刻、この学校の敷地内から立ち去っていただけないでしょうか? こちらとしても、生徒の知り合いを相手に警察沙汰は気が引けますので」
真桐先生は笑顔を浮かべたままそう告げた。
千之丞さんはとても悲しそうな表情を浮かべつつ、
「……失礼をした。知己に挨拶もできたことだし、私は帰るとしよう」
と言って、トボトボと歩き始めた。
真桐先生はその背中を未だ無表情のまま眺めていた。
しかし、千之丞さんの足が止まりった。
それから振り返り、彼は真桐先生の方を見て口を開く。
「開会式の様子を、ほんの少し見ただけだったが。お前が上手くやっていけているようで、安心した」
「……お父さん」
千之丞さんの言葉を聞いて、真桐先生は呆れたような表情をしつつ、それでもどこか嬉しそうに、柔らかな声音で呟いた。
結局彼は、真桐先生のことが心配だっただけなのだろう。
そう思うと、俺の父と偽って体育祭に潜入する非常識さも、どこか微笑ましく感じてしまうので困る。
「……それでは、今度こそ退散するとしよう。今日は暑くなる、二人とも体調には気を付けるように」
先生のようなその物言いに、俺は小さく笑う。
「うす」
一言応じて、彼の背中を見送った。
千之丞さんが立ち去った後、
「本当に、バカなんだから……」
どこか怒ったように、そして恥ずかしそうに。
それでも、少しだけ嬉しそうに呟いた真桐先生の言葉。
「本当に、親バカっすよね」
俺が揶揄うように言うと、真桐先生は頬を赤らめ、キッとこちらを睨みつつ、
「……今見たことは忘れなさい。良いわね、友木君?」
と、縋るように言われる。
俺は彼女の言葉に頷いてから、
「早速、楽しい思い出ができました」
と、精一杯明るい声で言う。
俺の言葉を聞いた彼女は、怒りと戸惑いを浮かべてから、参ったように、
「う、うぅ……。あまり意地悪を言わないでちょうだい」
と、まるで少女のように可愛らしく恥じらいつつ、一言呟いた。
確かに、少し意地悪しすぎたかもしれないが――この真桐父娘のおかげで楽しい体育祭の幕開けになったな、と思うのだった。