11、登校
金曜の朝。
今日は気持ちの良い晴れ。
そのためだろうか、俺は少し早めに家を出て、登校してしまった。
一週間平日を過ごした週末の倦怠感も、この天気に少しは和らいでいるかもしれない。
見れば、前を歩く同じ学校の制服を着た数人の男子グループが、元気に悪ふざけをしながら歩いていた。
周囲を憚らない様子に呆れるが、元気なことは羨ましい。
そう思いながら、俺はその男子グループの横を通り過ぎる。
すると、俺が通った瞬間、
「おい、お前らやめろって、マジでー! ちょ、マジ……」
「は、何急にお前黙っ……」
「え、どうし、と、友木っ……」
あれだけ楽しそうにおしゃべりしていたのに、全員が示し合わせたかのように黙り込んだ。
この学校の生徒は、俺の近くでは静かにしましょう、と打ち合わせでもしているのだろうか?
なんならこれ、俺が軽くいじめられているのではないか?
そんなことを思いながらも、気にしないように努めて、歩を進める。
「ふぃー、殺されるかと思った」
「やっぱ友木が人殺した噂って、本当っぽいよな」
「あの目で堅気って、信じられないもんな……」
歩きつつも、俺の耳には三人の男子生徒の声がバッチリと届いた。
人殺しなんてしねぇよ、どんな噂だよ、それ……。
はぁ、と小さくため息を吐く。
週末の疲れと、憂鬱さが俺の身体に重くのしかかる。
そんな調子で歩いていると、今度はきゃぴきゃぴとした女子生徒の声が聞こえた。
「つか聞きたいんだけどさー、冬華ってマジであの先輩と付き合ってるわけー?」
「あー、友木? っていうんだっけ? あのめっちゃ顔の怖いヤンキー」
「そうそう、あたしたちのアイドル、冬華とは住む世界がマジで違う系の人―」
「闇社会の住人って顔してるよね、あのヤンキーの人」
「闇社会! マジじわるんですけどー」
その不愉快な笑い声と共に、会話の内容が聞こえる。
……俺の話だった。
前を歩くのは、三人の女子生徒。
一人は、後ろ姿でもすぐに分かった。
冬華だ。
そして、キャハハと品のない笑い声をあげているのは、冬華の友達だろうか。
とにかく、一年生で間違いないだろう。
「いやー、確かに優児先輩、超怖いし、実際ヤバい人だけどさー」
冬華は、あっけらかんとした口調で言った。
そのヤバい奴を購買にパシらせたお前は一体何者だよ。
「でも、私のことめっちゃ好きでさー、超大事にしてくれるし、超優しいの♡そういうとこ、結構可愛いかなー、って感じ?」
……なんだ、別人の話か。
俺は別に冬華のことがめっちゃ大好きではないし、超大事にしてはいないし、超優しくもしていない。
思い返せば、別に俺は闇社会の住人って顔もしていないな、うん。
なるほど、俺とは違う優児先輩がいるんだな、納得だ。
「うっわー、流石冬華。でも、どんなに好かれてても、あたしは無理かなー」
「確かに、怖すぎて隣に立たれたら漏らすって!」
「漏らすなよー。てか、あたし的には冬華のお兄さんが超タイプなんですけどー」
優児先輩とやらの話は終わり、唐突に池が話題に出てきた。
池は一年の間でも、話題になっているのか。
まぁ、あいつは本当にイケメンだし、性格も良い。
素敵な先輩としてチェックされているのも、納得だ。
「分かる! 春馬先輩マジイケメン! あんなイケメンのお兄様がいたから、冬華の男の趣味が変わってるんじゃね?」
「言えてる! ねぇねぇ、冬華―? 春馬先輩って今フリーなんでしょ? 紹介してよー、頼むよー、友達でしょー?」
「ちょ、抜け駆け? あ、ウチにも紹介してね、冬華?」
二人から池を紹介してほしいとせがまれる冬華は、
「てか私、兄貴と別仲良くないしー」
と、固い口調で言ってから、不意に後ろを振り返った。
疲れたような表情をした冬華と、目が合う。
すると、冬華はニヤリと口元に笑みを浮かべてから、
「やーん、せんぱーい! 後ろにいたなら声をかけてくださいよぅ♡」
猫なで声で告げてから、俺に向かって駆け寄ってきた冬華。
その行動に、残りの二人の女子生徒が、焦ったような表情を浮かべた。
「……悪い。いつもよりも早く起きたせいか寝ぼけてて、気が付かなかった」
俺の返答に、残った二人はほっとしたような表情を浮かべて、
「ごめーん、冬華。あたしら邪魔しちゃ悪いから先行くー」
「また後で」
と言った。
「うん、後でー。……って、聞こえちゃいなさそうですねー」
速足で学校へと向かって行った二人の背中を見ながら、冬華はつまらなさそうに言った。
「それで、聞こえてたんですか、今の話?」
「ああ、俺の知らない、顔が超怖くて冬華のことが大好きな優児先輩とかいう人の話だろ?」
「やーん、全部聞いてるー。もしかして、怒ってるんですか?」
甘ったるい声を出しながら、俺に問いかける冬華。
「……怒ってない。こんなことで怒っていたら、キリがないからな」
「そうかもですねー。でも、やっぱり優しいですね、先輩って」
「なんのことだ?」
「気が付かなかったって言うのは、結局あの子たちに気にするなって言いたかったからでしょ?」
無表情のまま、冬華は小さな声で続ける。
「でも、分からないと思うなー、あの二人」
「別に、誤解されたままでも構わない。……というか、友達より俺を優先して良かったのか?」
俺の言葉を聞いた冬華は、眉を顰めてから答えた。
「いや、友達じゃないですから。私、たまたま絡まれただけだし」
「あー、やっぱりそうなのか。明らかにめんどくさそうに話していたもんな」
「そう、めんどくさいんですよねー、色々と」
諦観の表情を浮かべながら、冬華は呟いた。
俺はその言葉に、気の利いたことを返すこともできず、「そうか」とつまらない相槌を打つだけだった。
「そういえば先輩って、今週の土日は何してるんですかー?」
話題を変えようと思ったのだろう、冬華は俺にそう問いかけた。
「特に予定もないし、池にどっか遊びに行かないか聞いてみようと思う」
俺が答えると、冬華は途端に不機嫌そうな表情を浮かべた。
「は? いやいや、なんで恋人の私よりも先に、クソ兄貴を誘おうとしてるんですか? 超ありえないんですけど?」
「いや、恋人ってもニセだし。……ていうか何、誘ってほしかったの?」
俺が問いかけると、冬華は口元を引き攣らせながらも、周囲にいる登校中の生徒に聞こえるような声量で、
「やーん、先輩! それじゃ次の土日で初デートですねっ! 楽しみにしてますから♡」
と、訳の分からないことを宣った。
いやいや、何を言ってんの? とツッコミを入れようとしたところで、
「うわ、池ってマジで友木先輩と付き合っていたのかよ」
「俺、本気で狙ってたのに……」
「やっぱり、可愛い女の子は悪い男に染められるのが世の常なのか……?」
などと、周囲の怨嗟の声が俺の耳に届いて、それどころではなくなった。
この女、どこまでも俺を男避けに利用してくるな……!
不満を口にしないまま視線で表明していると、彼女はからかうような笑顔を浮かべてから、
「上手にエスコートしてくださいね、先輩♡」
と、俺の耳元で囁いてきた。
俺は、はぁと溜め息を一つ吐いてから観念した。
まぁ、良いか。どうせ土日に予定はなかったのだから。
「……期待はするなよ」
俺の言葉に、冬華は小悪魔的な微笑みを浮かべて、応じたのだった。