2、二学期
夏休みも終わり、今日から二学期が始まる。
いつも通りに登校し、いつもより騒がしい教室に入ろうとして、俺は扉の前で一度とどまる。
……長期休暇明けの初日。
俺はこれが結構苦手だ。
休みの間にあった出来事を、楽しく話をしている級友たちが、俺が教室に入った途端、しんと静まり返る。普段よりもその落差が激しいのがはっきりとわかる。
……しかし、ここにいても仕方がない。
意を決して扉を開け、教室の中に入る。
予想通り、教室の中では各々夏休み中の出来事を楽しそうにおしゃべりしている。
部活に精を出していたのか、すっかり肌が日に焼けた者や、逆に夏休みの間中引きこもっていたためか、青白くなっている者。開けたピアスを友人に見せびらかしているものなど、様々だ。
俺が級友たちを見ていたように、近くにいた男子が俺を見て、呟いた。
「あっ、友木君……」
ただ一言、それは微かな声だった。
しかし、その周囲にいた者には確かに聞こえていたようで、先ほどまでのおしゃべりを中断し、無言となる。
一部の無言が、周囲にも伝播する。
いつしか教室内は、静寂に包まれていた。
このクラスの連中は、これまでよりもずっと俺に理解のあるやつらだとは言え、流石に休み明けにこの強面を見るのはしんどいか。
そう思いつつ、俺は自席に向かうと――
「うっす友木! 久しぶりだな」
声をかけられた。
振り返りその声の主を見ると、朝倉だった。
「……ん? どうした?」
不意にかけられた声に、俺の思考に空白が生まれていた。
その様子を不思議に思ったのか、朝倉は首を傾げながら問いかける。
「……いや、何でもない。久しぶりだな、朝倉」
俺が朝倉に応える。
朝倉が「おう」と言うと、いつの間にか周囲の級友たちもおしゃべりを再開していた。
……助けてもらったか。
いや、朝倉の場合は、天然でこういうことをしているのかもしれない。
どちらにしても、良い奴だな、と俺は素直に思った。
「それにしても、こうして話すのも割と久しぶりだよな」
「前会ったのが、一緒に海に行った時だしな」
俺がそう言うと、途端朝倉の表情が曇った。
どうしたのだろうかと思っていると、
「……一緒に海? 俺は夏休み中は部活漬けだったから、海に行く暇なんてなかったぞ」
「いや、朝倉が俺と池と甲斐を誘って「俺は部活漬けだったから、海に行く暇なんてなかったぞ」……」
朝倉が曇った表情をしながら、音飛びの激しいCDみたいなことになっていた。
そして、海に行った時のことを思い出し、俺は察した。
……小学生をナンパしてしまったことが、誰にも触れられたくない黒歴史になっていたんだな。
「……ああ、俺たちは海になんて行っていない。部活お疲れだったな、朝倉」
そう言って俺が朝倉の肩を叩くと、
「同情はやめてくれ。可愛い彼女とクラスのアイドルを独り占めする超絶陽キャの友木には、俺の気持ちなんて分からねぇっ……!」
朝倉は目尻に涙を浮かべ、悔しげな表情で自席へと戻っていった。
……なんだったんだ今のは。
俺は困惑することしかできなかった。
それから、一つ呼吸してから、近くに来ていたクラスメイトに向かって話しかける。
「夏奈も、久しぶりだな」
先ほどから俺と朝倉の会話に入ろうとタイミングをうかがっていた葉咲夏奈に、俺は声をかけた。
「え、き、気づいてたのかな!?」
「気づいてたぞ。朝倉の後ろでこっち見ながらなんだか躊躇っていたりしていることには」
「……う、うぅ。なんか恥ずかしいかな」
と顔を赤くして、夏奈はそう言った。
そういう風に言われると、途端に俺も照れくさくなる。
「夏奈とは、夏祭りぶりだな。まぁ、連絡は取ってたから、久しぶりって感じはあんまりしないけど」
俺の言葉に頷いてから、夏奈はゆっくりと口を開く。
「うん。あんまり久しぶりって感じはしないけど。……その、なんて言うか。なんか、あれだよね」
弱々しくそう呟いてから、手を不自然に握ったり、開いたりする仕草を夏奈はした。
……夏祭りの日、俺が夏奈の手を引いて歩いた時のことを言いたいのだろう、となんとなく察した。
しかし、そのことに触れるのはなんだか妙に気恥ずかしく思う。
俺は彼女から視線を逸らしてから、一言答える。
「悪い、あれが何かは、分からないな」
俺の言葉に、夏奈は残念そうに、そして少し不服そうにムッとした表情を浮かべる。
しかし、俺が目を合わせられないことに気が付いたらしく、どこか優しげに笑った。
「……二学期もよろしくね、優児君?」
「おう、こちらこそよろしくな」
交わす言葉がなんだか無性に気恥ずかしい。
その上、朝倉から怨念の篭った眼差しで見られている気がした俺は、話題を変えることにした。
「そういえば、池はまだ来てないのか?」
俺の言葉に、夏奈は池の席へ視線を向けながら言う。
「朝来て、カバンだけおいてすぐに生徒会室に向かったみたいだよ。始業式には、あっちから直接行くんじゃないかな?」
言葉の通り、池の机には彼のカバンがあった。
池とも夏祭りぶりだったから、挨拶くらいはしておきたかったなと思いつつ、
「そろそろ、始業式始まるし。私たちも移動しとこっか」
夏奈の言葉の後、周囲のクラスメイトを見ると、確かに教室から移動を始めていた。
「そうだな」
俺はそう答えて、夏奈と一緒に教室を出る。
道中、久しぶりに俺を見た他クラスの連中が、
「ひぃっ、友木だ……」「相変わらずこわ……」「目、合わせんな。殺されるぞ」などと陰口を叩かれる残念なイベントがあった。
その際、隣を歩く夏奈が「カッコいいのに……」と呟いたのを、俺は聞こえていないふりをするのだった。
☆
退屈な始業式が終わり、体育館から出る。
そのまま教室に戻ろうとしたところで――。
「真桐先生、おはようございます」
真桐千秋先生と会った。
夏休み中、彼女とは色々あったが、それでも学校では教師と生徒。
いくら彼女のポンコツっぷりを知っているからと言えども、俺にとって真桐先生は尊敬する恩師なのだ。
だからこうして、顔を合わせば挨拶だってする。
俺の声が届いたのだろう、彼女は振り返って、こちらを見た。
それから――どうしてか、動揺を浮かべた。
……どうしたんだろうか? そう思っていると、彼女は今度は頬を赤くして、気まずそうに、恥ずかしそうに視線を俯かせてから、口を開いた。
「おはようございます、友木君。いきなりだけど……放課後、生徒指導室に来るように」