第参幕 異能
星の動きを視て吉凶を占う「星見」。
浮世の命運を己の夢に視る「夢見」。
「視る」力を与えられた血族は、確かに存在している。
私の一族、八神もその一つ。
他の者には見えぬ、妖を視る力。
「鬼見」の一族。
物心付く以前より、私は鬼見の力を継ぐ者として育てられた。
厳しい父の教えに、疑問を抱かなかった訳では無い。
寧ろ嫌っていた。
自分達が選ばれた者であるように振る舞う両親を、好きになれなかった。
「生まれ得ざる者」
人々、いや、「鬼」を知る人々は、人外の妖を総じてそう呼んだ。
命の道理に適わぬ者。
死しても朽ちない化物。
人語を解そうと、人の心を持たぬ魔性。
他の命を奪い、屠り、時に狂わす。
殺戮に理は無く、只その餌とする為にのみ人を狩る。
父は私に何度も何度も説いた。
それを滅することこそが、
我等、阿頼耶識の使命である、と。
純粋だった私は、疑問を持ちながらも半ば信じていた。
「生まれ得ざる者」は悪。
「阿頼耶識」こそは正義であると。
そう。
信じていたのだ。
愚かな事に。
柊想介に初めて出会ったのは、私がまだ十代の頃だった。
「生まれ得ざる者」を滅殺する為に、帝国政府が作り上げた異能集団、阿頼耶識。
集団組織とは名ばかり。
実際には阿頼耶識の一員となった異能力者達を、政府の元に置くことこそが目的である。
「上」の人間を、闇の脅威から守る為に。
私の父も兄も、警官だ。
政府の犬と揶揄されるのも頷ける。
そして柊もまた、警察官の一人であった。
視た瞬間、ほんの一瞬で気付いた。
彼は人間では無かった。
「気付いたかい」
余りに穏やかな彼の声に、私は言葉を失って立ち尽くした。
雪が降り始めていた。
「凄い鬼見の力ですね。要が云ったとおりだ」
私はやっとの思いで口を開いた。
「兄は、気付いていないのですか」
柊は微笑を浮かべたまま答える。
「恐らく気付いていないでしょう。要は君よりも真っ直ぐだ。もし知っていたら」
そして少し寂し気に俯いた。
「友人ではいられないだろうから」
いつだったか、私は一匹の猫を拾った。
ただの猫では無いことなど、最初から解っていた。
その時私は既に気付いていた。
「生まれ得ざる者」が、存在悪では無いと云う事に。
しかし、両親も兄も否定した。
兄は何の躊躇いも無く猫を殺した。
私は絶望した。
猫はただ生きていた。
誰を傷付けた訳でも無かった。
これを正義と呼ぶのか?
間違っている。
私は家を出た。
阿頼耶識も鬼見の力も憎かった。
そして、
彼を頼った。
貴方は
何が正義だと思いますか。
正しいとは、何なのですか。
僕にはもう解りません…
「君が正しいと思った事が、正義ですよ」
突然上から降って来た答えに、私は驚いて目を開けた。
「絶対の正義など何処にも在りません。一人一人が己の正義を持っています」
ぼやけた頭では、言葉の意味を咀嚼しきれなかった。
「間違っている答えなど存在しないのです。君も正しいし、君のご家族も正しい。だから人は争う」
私が余程間抜けな顔をしていたのだろう、柊は暫く私の顔を眺めていたが、ふっと横を向いて笑った。
「寝ぼけていますね、巽君。矢張り寝言に答えるのは良くないみたいだ」
その背後から別の声も聞こえた。
「巽、起きているか」
倫太郎の顔が、柊の横から覗いた。
私は漸く覚醒した。
「すみません、何かうとうとしてしまったみたいで」
ソファの上で体を起こしながら柊に向かって云うと、倫太郎が返した。
「うとうとって感じじゃあなかったぜ。熟睡していたぞお前」
「そうかい」
私が少し躊躇って尋ねる。
倫太郎と所長は顔を見合わせて笑った。
「だって、あそこまでやっても起きなかったんだもんなあ。ねえ、ひさぎ姉ちゃん」
いつの間にかソフアの後ろに立っていたひさぎが、何故か顔を赤らめて私から目を逸らした。
「あの、わ、わたし何も見ていません」
人が寝ている間に何をしたのだろう。
気になったが怖くて聞けなかった。
「そういえば柊さん、お仙さんは一緒ではないのですか」
話を逸らすために、私はわざと話題を振った。
「仙なら右京を呼びに行ったぞ」
答えたのは倫太郎だった。
時村右京は、柊エージエンシイの五人目の所員である。
「右京を、ということは、依頼は引き受けたのですね」
私は少し落胆して言った。
「はい。少し迷いましたが」
柊はそう云って微笑むと、私の隣に腰かけた。
「事態は私が思っていたよりも深刻だった様です。人一人亡くなっていますしね」
「それこそ、警察にでも任せておけば良いのではないですか」
投げ遣りに私が吐き捨てると、柊は少し困ったような顔で応えた。
「今の警察がどんなものか、君が一番よく分かっているでしょう。今回の様な件を彼らにだけ任せておけば、余計な血が流れることになるかもしれません」
悲しいことにその通りだった。
彼らは、己の正義を貫くために、他人を犠牲にすることを厭わない。
特に今回は明らかに「生まれ得ざる者」が関わっている。
その正体が例え無実であろうとも、彼らならば躊躇いもせずに殺すだろう。
確かに其れは、私にとって耐え難い事だった。
「明日、もう一度藤堂家を訪ねることになっています」
静かにそう呟いて、柊は私を見た。
「巽君、君も来て下さい」
穏やかなその命令を断ることなど私には出来なかったので、ただ無表情のまま頷いた。
「所長、おいらは」
倫太郎が身を乗り出して尋ねた。
「倫太郎はお留守番です」
柊は諭すような声で、しかしやや悪戯っぽく微笑んで云った。
「またかよ、おいらいつも留守番じゃないか」
不貞腐れてそっぽを向いた倫太郎を優しく見つめた後、柊はひさぎに向かって言った。
「君も、一緒に行って貰えますか、ひさぎさん」
その発言に、私は面喰ってしまった。
「どうして、ひさぎを」
私が勢いよく振り返って尋ねるのを、受け流すかのように柊は笑った。
「行けば分かります。巽君」
謎めいたその瞳は、それ以上語ってはくれなかった。