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第弐幕 探偵

震災後の復興事業の一つとして、この町に現れた巨大な舗装道路、大正通り。

道なりに進めばやがて、所狭しと古書肆が立ち並ぶ風景が見える。


神田神保町。


入り組んだ細かい路地を二つ程曲がると、そこに現れるのはごく小さな稲荷神社。

私達の事務所は、その奥に在る。

神社の中からしか出入り出来ないという不便な部分に目を瞑れば、鉄筋の白い建物は中々に立派な建築物であった。

三階建てで、二階が事務所、三階が所長の自宅、一階は使われていない。

 

私は、脚を怪我しているひさぎの手をそっと引きながら、ゆっくりと神社の石段を昇った。

ひさぎは物珍しそうに辺りを見回してから、呟く様に云った。

「すみません。私、ご迷惑おかけして」

ひさぎがどこか不安げな表情で、側面から私の方を見た。

「気にする事は無いよ。怪我が酷く無くて何よりだ」

私が笑顔でそう返すと、ひさぎは何故か益々恐縮した様子を見せる。

彼女は眉根を寄せて困った顔をすると、実に小さな声でそっと囁いた。

「本当に、申し訳ありません」

云われて私は、ただ苦笑するしか出来なかった。


神社の境内を通り抜けて、私とひさぎは事務所へと続く白い外階段を昇った。

右足を庇いながら一段ずつ進むひさぎを、私が傍らで支える。

ひさぎが体勢を崩してよろめく度に、その小さな右手を引き上げて均衡を保たせた。

短い階段も一苦労だ。


ひさぎは矢張り申し訳無さそうな表情を浮かべたまま、階段の手摺りに捕まる。

「御免なさい、あの」

口篭って私を見詰める。

「八神さん」

やや上がり調子で尋ねるように、ひさぎが私を呼んだ。

「巽です。方角の巽。出来れば下の名で呼んで貰えないかな」

仙は誰であっても苗字で呼ぶので仕方が無いと諦めているが、私は今、余り八神の名で呼ばれたく無いのだ。

 

私が真顔でそう云うと、ひさぎは素直に頷いて呟いた。

「巽さん、有難うございます」

 

私は彼女を先導したまま、静かに二階に辿り着いた。

目の前に硝子戸が現れる。

 

柊エージエンシイ。

 

扉には白い文字でそう書かれている。

私は見慣れたその扉を押し開けた。


「お帰り」

扉が動いた瞬間、まるで待ち構えていたかのように事務所の中から元気な声がした。

声の主は、革張りの立派なアームチェア(所長の席だ)から飛び降りると、私達のいる入り口の方に走って寄って来た。


「あれ、巽だけか。所長と仙は」

私は事務所に入りながら答える。

「そのまま藤堂家に行ったよ。例の依頼の件でね。それと倫太郎、ここにいるのは僕だけじゃない」 私が背後にいるひさぎを見遣ると、少年はそちらに目を向けた。

「ああ、あんたが、巽が拾ってきたって云う姉ちゃんか」

笑顔でそう返し、彼はひさぎを室内に招き入れながら云った。


「おいらは早乙女倫太郎。よろしくな」

云われたひさぎは、倫太郎に小さく微笑んでから、少し戸惑った顔で私の方を見た。

私はそれに気付いて説明する。

「倫太郎はここの、所員というか、何と云うか、まあそんなものだ」

「所員だよ。れっきとした。所長は認めてくれてるぞ」

私の言葉に倫太郎が不服そうに文句を付けた。

はいはい、と云って私はいなす。

そしてひさぎに向き直って云った。

「ご覧の通り口は悪いけれどね、これで結構良い奴だから大丈夫」

ひさぎはまだ少し戸惑った表情のまま、曖昧に笑った。


外向的な性格の倫太郎は客人が余程嬉しいのか、漸く玄関口に入ったひさぎの目の前に踊り出るとその手を取って応接用の黒いソフアに招いた。

「ここに座ってなよ。今茶を持ってくるからな」

倫太郎はそう云って、自分もソフアに勢いよく座った。

 

やや強引な倫太郎にまだ少し戸惑う様子ながらも、ひさぎは彼の対面に座る。

楽しそうな様子の倫太郎は、突然体を後ろへ捻り、ソフアの背もたれに両肘をついて事務所の奥へと叫んだ。

「小梅、お茶を持ってきて」

云い終わると体を戻し、満足気な表情で再びソフアに沈んだ。


呆気に取られている様なひさぎに、倫太郎が尋ねる。

「そういや、あんた名前は」

「え、ああ、その」

聞かれて口ごもったひさぎの代わりに、私が答えた。

「彼女はひさぎ。それ以外はまだ思い出せないそうだ。杉田先生臼く、何かの衝撃で記憶が一時的に消失してしまったらしい」

私は云いながら倫太郎の隣に座る。


「そうなのか、記憶が」

倫太郎はひさぎを見ながら、考え込む様に口元に手を遣った。

「記憶、脳内の電気信号…外部から同じパルスを与えれば、いや、刺激は」

突然俯いて何かを呟き出した倫太郎に、ひさぎはまたしても目を丸くする。

「気にしないでひさぎ。何時もの事だから」

私がそう口にした時、ソフアの背もたれの後から、かたかたと云う音がした。


音の正体は人形だった。

しかし只の人形ではない。

見た目は普通の日本人形である。

に切り揃えられた黒髪に、愛らしい童女の顔。

その手に、大きな茶色い盆を持っていた。

更にその盆の上には、茶飲みが二つ、確かに載っていた。

よく見れば、童女の足は無く、代わりに二つの車輪が付いている。

人形はゆっくりと倫太郎の方に近付き、その目の前で動きを止めた。


ひさぎは驚きに眼を見開く。

「あの、これは一体」

人形から茶飲みを受け取り机に載せていた倫太郎は、得意げに答えた。

「こいつは小梅。おいらが造った自動人形さ」

「自動人形?」

ひさぎは首を傾げる。

「倫太郎はこう云う物を造る天才なんだ」

私が云った。

ひさぎは僅かに口を開けたまま、感嘆の声を漏らした。

「凄い。勝手に動く人形だなんて」

云われた倫太郎は、どうだ、とでも云いたげな満足そうな顔を私に向けた。

つられて私も笑顔を返す。


「姉ちゃんの記憶だって、おいらの発明できっと元に戻してやるよ」

倫太郎は、机に覆い被さるように手を伸ばし、茶をひさぎに差し出しながら云った。

ひさぎも微笑み返す。

「有難う、倫太郎君」

それを見て私も云った。

「それ迄はここに居ればいい。大きな建物だから、部屋だけは沢山ある」

倫太郎が含みの有る笑顔で私を見る。

「そうだな。居候がもう一人増えた所で何でも無いだろうから」

私はその目に思わず顔をしかめる。


私も居候の一人だからだ。

偉そうな事は云えない。

しかも私の場合は記憶を無くして身許が判らない訳でも無く、簡単に云ってしまえば只の家出である。

尚更立場が無い。


「そうだ、姉ちゃん」

突然思い出した様に倫太郎が云った。

ひさぎは少しびっくりして、茶を口に運ぶ動きを止めた。

「な、何か」

「おいら、先に姉ちゃんの部屋案内してやるよ。所長に云われてたんだ。このビルの中を見せてやれって」

云いながら倫太郎は早速立ち上がる。

「ほら、行こうぜ」

急かす倫太郎を私が諌める。


「倫太郎。ひさぎは脚を怪我しているんだ。動くのは辛いよ」

倫太郎は私を振り向くと、眉をひそめて口を尖らせた。

「そんなの問題無いよ。小夏」

倫太郎が又しても、事務所の奥に向かって叫んだ。

かたかたと再度音がして、現れたのは車椅子の様な木製のからくり人形だった。


「小夏」は人形と云うより、車椅子に童女の頭が載っただけの物に見えた。

車輪の部分が普通のホイルではなく、戦車のキャタピラの様になっている。

「小夏は階段も昇れるんだ。姉ちゃん、乗ってよ」

私は、勝手に進める倫太郎に巻き込まれる形のひさぎに申し訳無く感じ、云った。

「良いんだよひさぎ。倫太郎なんか気にしないで。君はここでお茶を飲んでゆっくりしていればいい」

しかし、私の気遣いとは裏腹に、ひさぎの瞳は好奇心に溢れた光を宿して小夏を見詰めていた。

「わたしが乗ってもいいの」

倫太郎は嬉しそうな顔で頷いた。


程なくして、小夏に乗ったひさぎは、倫太郎に連れられて外階段を三階へと昇って行った。

ひさぎは意外と、倫太郎と合っているのかもしれない。

ただ内気なだけの少女だと思っていたが、あれでいて実は好奇心旺盛だった様だ。


一人になった私は安堵とも失望とも取れない溜息を吐いた。

ソフアに深く沈んで、何とも無しに辺りを見回してみた。


黒檀の梁。

同じ木製のドア。

磨り硝子。

逆転した柊エージエンシイの文字。

主不在の所長席。

机上は書類で埋め尽くされている。


何時の間にか、茶汲み自動人形の小梅が私の横を通り過ぎ、台所のある右手奥へと帰って行った。


所長と仙は何時頃帰って来るだろう。


藤堂家の依頼は引き受けて来るつもりなのだろうか。


私は、行きたくないな。

あそこには、とても厭な空気が在る。


それに、

阿頼耶識。


兄さん……


私はゆっくりと睡魔の手に墜ちた。

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