突然の……
私が就職したのは小さな印刷会社。その事務として働き始めた。
毎日先輩社員のお姉様に教えられ必死に仕事を覚える。
一人暮らしした際にアパートの資金として弁護士さんから受け取った通帳。その中から部屋を借りる費用、日用品やら洋服。その他諸々を買ってしまえば、残りは心許なくなる。
けれど仕方ない。これが現実だ。
小さい1DKのアパートを見回しフーッとため息をこぼした。
「水瀬さん、これ三時までに五十部コピーお願い」
課長に呼ばれ急いでコピーをとる。
今日は大事な会議があるみたいなので、課長も朝からバタバタしているし、皆んなも結構忙しくしている。
私も先輩に言われた仕事をこなしながら、時々お茶を配ったりして、午前中を過ごした。
お昼休憩は私は先輩社員のカナさんとご一緒させてもらっている。
社員食堂もないので休憩室で持参したお弁当を食べるスタイルだ。
「ねぇねぇ、華ちゃん聞いた? 今日の午後会議、大手印刷会社の社長さんや、その親会社の社長さんも来るんだって。噂の範疇なんだけどうちの会社、子会社にされるみたいよ……? そうなったら営業所になるし、人員整理みたいなのもあるみたい。飽くまで噂だけどね……」
余り美味しいとは思えない自分の自作弁当を食べていた私の手が止まった。
「買収って事ですか……?」
「うーん、良く分からないけどそんな感じ? 華ちゃんが入社前から何となくそんな噂が流れてて、で、今日の会議でしょ? 多分そうなるのか分からないけど、嫌な話よね……」
「そうなったら私クビですかね……?」
「えー! まさか! そんな事ないでしょ? いくらなんでも……」
「でも私一年目だし、高卒だし……」
「若い人員を教育するのがモットーなのよ? それは無いわよ」
そう励まされても何と無く芽生えた不安を拭う事ができなかった……。
そして始まった重役会議。やはり他社のお偉いさん方達が来たみたいだ。
社長を始め、部長課長が会議室へ消えた。
何だか難しい顔をしているのは気のせいだろうか……?
「いよいよ始まったわね。後でお茶出しお願いね」
先輩に言われ頃合いを見て会議室へお茶を運ぶべく給湯室へ向かった。
「あ、水瀬さんお疲れ様」
「工藤さんお疲れ様です。営業大変ですね。段々暑くなってきましたし」
「そー。本当に顧客の要望に応えたり、新規にお客さん見つけたり大変だよ。っと、それ会議室のお茶?」
「はい。今からお持ちしようと」
「そっか、本当にお疲れ様だね」
「そんな事ないですよ。じゃあ失礼します」
二年先輩の工藤さんと立ち話をして、会議室へお茶を運びに向かった。
「失礼します」
ノックをし、そっとドアを開き中へ入る。
お茶を配る順番は先ほど課長に教わった。
粗相のない様に上座からお茶を出していく。
本当にいかにも社長です。って人が三人くらい居て、若い方も座っていた。うちの社長以下は下座の方に座って、何やら資料を見ていた。
緊張感が半端ない気がして、さっとお茶をお出しして部屋を出た。
何だか凄くドキドキした……。
買収って本当なのかな……?そしたら私、どうなるんだろう。
そんな事をぼんやり考えながら午後の作業に取り掛かった。
暫くは平和な日々が続いた。あれから何度か会議が開かれだが、買収とかそんな話は私や他の社員の中でも忘れられているかの様にいつも通りの毎日だ。
段々夏に向けて暑さが増してきた。
うちにはエアコンがないから扇風機でも買おうかなぁ。今度のお給料が出たら買おうかな。なんて呑気に過ごしていた私の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
「ちょっと大変! 華ちゃん聞いた⁈ やっぱりうちの会社買収されるみたいなの!」
出社直後先輩が凄い勢いで私を捕まえそんな言葉を放った。
「表向きは業務提携だけど、立派な買収で、うちは営業所になるんだって。親会社は色んなビジネス展開している大手の会社らしいの。高槻グループだったかな? 基本その傘下の印刷会社の下になるみたいなんだけど……」
「え? 本当ですか?」
「うん。私も先輩から聞いたから本当。今日にも社長からお話があるって……。で、やっぱり人員を整理するって……」
「そう、ですか……」
買収、人員整理……。頭の中で繰り返される単語。
言いようのない感情が込み上げてきて落ち着かない。
それでも仕事をしなければと自席に着こうとした所で課長に呼ばれた。
「こんな申し出を急にするのも会社としては不本意だし、申し訳無いと思うが……。恐らく耳にしただろう? うちが業務提携をすると。で、その際に本社に行く者と此処に残る者の話し合いが行われてね……。その際に辞めてもらう者の話も出たんだよ……。戦力にならない者は要らない。そう言われてね。水瀬君、君は一年目で高卒だったね? 申し訳ないと本当に思うが、来月で退職と言う事になったよ……。本当に力になれなくて申し訳ない。もちろん退職金は支給する。来月までに再就職も難しいだろう。君に合った就職先も紹介しよう。形上来月付けの退職だが、来週から有給を使ってくれ……」
淡々と話す課長の言葉が余り頭に入ってこなかったが、何とか返事をし、挨拶をしてその場を辞した。
「華ちゃん……」
「やっぱり私クビみたいです。来週から有給頂いて来月付けの退職だそうです……。短い間でしたが、お世話になりました……」
先輩に努めて笑顔で報告した。本当は凄く悲しい。いや。悔しい……。私だって精一杯頑張ってきたつもりだ。これからも頑張ろうって思っていた……。
ふと両親が亡くなり、あのおじさんの家に引き取られた時の事を思い出した。
そんな事思い出した所で良い思い出等ないのに……。
私は何処にも必要とされない人間なのだろうか。
誰にも求められず、煙たがられ…………。
卑屈の連鎖は留まる事をしない。両親が亡くなってから幸せだと思った事等ない。
生きているだけでも幸せだと思わなければならないのに。
いつの間にか社長がやって来て社員に今回の事、今後の事を話し始めた。
私には何の関係も無い事ばかりだ。
その日は一日ぼんやりと過ごした。