裏38-2 王の独り言(ギルビス視点)
連載1周年記念で掲載した、国王ギルビス・フォア・ガルデン視点を移動しました。
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「ギルビス、次の王はお前と決めた。
サイサリスを上手く使ってこの国を発展させろ」
ある日突然、父王に言われたあの日のことを、俺は忘れないだろう。
下の弟のサイサリスが生みだした新種のイモは、これまで不毛の荒野と思われていた土地でも育ち、我が国の耕地面積を実質的に大きく増やすことになった。
しかも、栽培を許可制にしたことで、農業主体の領地貴族の生殺与奪も自在ときている。
今回だけならともかく、もし次の新種があるなら、と考えれば、王家の威光に逆らう馬鹿もいない。
サイサリスがこのイモを完成させた時、父は、王城の小さな部署に過ぎなかった研究所を、新たに王立研究所として独立させ、サイサリスを所長に据えた。
俺達3人兄弟のうち、俺もラビリスも凡庸な人間だったが、サイサリスだけが特別だった。
幼い頃に疑問に思った花の色の話を学院に入るまで忘れず、植物学を専攻するほどに追い求めた。
周囲の人間は、皆一様に陰でサイサリスを笑っていた。
さすがに、ラビリス以外に表立ってサイサリスを笑う者はいなかったが、サイサリスは笑われていることに気付いていたはずだ。
だが、あいつは全く気にしなかった。
誰に笑われようと意に介さず、バラの研究を続けた。
そして、その背後には、常にカトレア・ランイーヴィル嬢の姿があった。
元々単なる政略結婚のはずだったが、カトレア嬢は随分とサイサリスを慕っていたようで、サイサリスが動きやすいように裏で色々と動いていた。
それこそ、10歳にもならないうちからだ。
彼女もまた、一種の天才なのだろう。
天才は天才を知るという。カトレア嬢には、今に至るサイサリスの研究の辿る道が見えていたのかもしれない。
バラにしか興味がなかったサイサリスに、イモの研究をするよう促したのも彼女だったようだ。
同じ研究室に所属する令嬢との共同研究だそうだが、王国に寄与する研究を完成させたとなると、その功績は大きい。
やはり、あいつは特別な人間だった。玉座はサイサリスのものだ。
…そう思っていたのだが。
「あれは、玉座にはとんと興味がなくてな。
政に時間を食われるのはご免だとぬかしおった。
どうにも欲がないが、それでは国は任せられん。
仕方ないから、玉座はお前に任せる」
「仕方ないから、ですか」
「そうだ。お前なら、サイサリスの価値を正しく認識できよう。
努々ないがしろにするなよ。国が滅びかねんからな」
その時は、国が滅ぶとは随分大仰だと思ったが、いざ王位を継いでみれば、大げさでもなんでもないことがわかった。
食料の生産力は、国力を大きく左右する。
兵力にせよ人口にせよ、飢えさせない食糧事情が必要だ。
もし、サイサリスが他国で力を振るったとしたら、我が国の国力が落ち、テザルトの国力が上がることになる。
それは、侵略してくれと言っているようなものだ。
サイサリスに不満を持たせないことは、最重要課題となる。それと、カトレア嬢も。
父が、ゼフィラス公爵家を興させるほどにサイサリスを優遇したのは、王位を欲しがらないあいつへの手向けだったのだろう。
だが、その妻となるカトレア嬢は、王妃の座に未練はないのか。
俺は、カトレア嬢の真意を探るため、サイサリスとカトレア嬢の結婚祝いにかこつけて、2人を招待した。
途中、サイサリスが席を外した隙にカトレア嬢と話してみたが、彼女もまた玉座にも王妃の肩書きにも興味を持っていなかった。
「旦那様が研究に専念できるよう場を整えるのが私の役割と心得ております」
俺は、己の幸運に感謝すべきなのだろう。
サイサリスを好きにさせておくだけで、稀代の名君と呼ばれることになるかもしれないのだから。
だが、俺とて多少の野心は持ち合わせている。
もし、研究を俺の思うように動かせたなら、俺自身の手で国を富ませることだってできるだろう。
手駒となる者が手に入れば。
キドー・ベルモットに命じて共同研究者だったセルローズ・ジェラードの身辺を調査させた結果、イモの研究は彼女が主導してのものだったことを知った。
となれば、そちらを懐柔すれば…と思ったのだが、彼女は、学院で夫人の取り巻きだった娘だ。下手に彼女と接触すれば、夫人を敵に回すことになる。
夫人は、サイサリスの立場を脅かす者を許さない。
夫人を敵に回せば、俺は王位を継いだことを後悔する羽目になるだろう。
断念せざるを得なかった。
4年後、夫人から、娘をルーシュパストに対面させたいとの申し入れがあり、俺は、内心、小躍りせんばかりに喜んだ。
サイサリスの娘を王太孫の婚約者に迎えれば、王家とゼフィラス公爵家はより強く結びつくことになる。
ゼフィラス公爵家に取り入ろうとする他の貴族へのいい牽制にもなるだろう。
しかし、ルーシュパストは、ドロフィシスの愛らしさに照れてしまい、つい心にもない憎まれ口を叩いて嫌われてしまったらしい。
まあ、子供のことだし、少し間を置いて改めて、と思っていたら、ドロフィシスはさっさと婚約してしまった。
相手は、ジェラード侯爵の孫、例の不世出の才媛の息子だ。
仮の婚約ということだが、そちらはそちらで意義が大きいから、横槍を入れるわけにもいかない。
その後、ルーシュパストは、諦めきれずにドロフィシスに接触していたが、やんわりと拒絶され続けた。
逃がした魚は大きかったが、機を見ることの大切さを学ぶまたとない機会となったと思えば悪くない話だ。
研究所は、夫人が切り盛りして、順調に新種を生みだしている。
俺が下手に口を出さない方が効率がいいのは、よくわかっている。
夫人の要請により、ジェラード領の研究施設に派遣した影からの報告では、セルローズ・ジェラードは、何を考えているのか理解に苦しむ人物だそうだ。
偏屈というわけではなく、論理が飛躍しすぎて、話についていけないということらしい。
何を考えているのかわからない相手に言うことを聞かせるというのは難しい。
相手にとって何が利益となるのかわからなければ、交渉のしようもない。
夫人に、どうやってセルローズ夫人と付き合っているのか聞いてみると、
「彼女には、彼女の論理があります。
一見、飛躍しているように見えたとしても、彼女は趣旨一貫しているのです」
と言われてしまった。
結局、不世出の才媛を御することができるのは、カトレアしかいなかった。
セルローズ夫人の孫娘ローズマリーに、護衛と護身術の師を、と要望された時も驚いた。
できうる限り有能な人間を、と珍しく語調強く言い募ったカトレアは、その理由として、生半可な師ではすぐに追い抜かれてしまうから、と真顔で言った。
わずか8歳の娘が、本当に大の大人を上回るというのか、と笑いたかったが、夫人の顔つきがそれを許さなかった。
信じがたいが、夫人が本気で言っている以上、こちらも相応の対応が必要だ。
真偽を見極めるべくキドー本人を送り込んでみたが、2か月後、キドーからの報告は「信じがたいほどの天才」というものだった。
武門・学問、いずれにも超一流の才能を示し、8歳にして不世出の才媛の説明を理解し、達人級の見切りを身に付けているという。
夫人の見立ては、またしても正しかった。
結局、キドーはローズマリー嬢をいたく気に入り、弟子の中から秘蔵っ子を専属護衛として送り出した。
それでもまだ大仰ではないかとの思いを捨てられなかったのだが、学院に入学したローズマリー嬢は、すぐに頭角を現した。
36年ぶりとなる二段飛び級をしたかと思えば、ナイフで襲い掛かったガキを鞄1つで返り討ちにし、テザルトの影さえ倒してみせた。
彼女を研究所長に迎えねばならない。
我が国の未来には、彼女の力が必要だ。
院生の身でありながら、ローズマリー嬢が独力で新種を完成させた時、俺は強く思った。
夫人からの報告では、遂にセルローズ・ジェラードを王都に連れてくる算段が付いたようだ。
さすがに、可愛い孫のためなら、領地を離れる決心が付くらしい。
これで王国の未来は明るい。
後は…
「ルーシュパスト、次の王であるお前に申し伝えておく。
ローズマリー・ゼフィラスの結婚相手は、彼女の希望する者とするように。
その相手がどこかの貴族なり他国なりの手の者ならば、暗殺しろ。それ以外の理由なら、一切手出し無用だ。
いいか、ローズマリー嬢がドロフィシスに生き写しだからといって、妙な横やりは入れるなよ」
「アーシアンが入れ込んでいると聞いていますが」
「そうだ。アーシアンが口説き落とせるなら、婿にくれてやれ。
ローズマリー嬢が心置きなく力を振るえるよう状況を整えるのが、王としてお前の最重要課題だと思え。
ドロフィシスに拘ると、ロクなことがないぞ」
「わかっています。
機を見るに敏なれ、でしょう。
懲りてますよ」
俺ももう年だ。いつ死んでもおかしくはない。
とりあえず、できることは全てやった。
非公式ながら、ローズマリー嬢とも対談できたし、その人となりも知れた。
入所1年目にしてまたしても新種を完成させたローズマリー嬢の底知れぬ才能に驚かされたが、まさかそれ以上があるとは思わなかった。
「信じがたいほどの天才」…キドーの言葉の本当の意味を知った時、俺は戦慄した。
ローズマリー嬢を失ってはならない。