31 新たなる誓い
前作から引っ張ってきた最後の大イベントです。
ここまで長かった…。
この年末、私は初めて領地に帰らず王都に残りました。
…いえ、今は、この公爵邸が私の家なのでした。
年が明ければ、おばあちゃまも来てくれますから、それを楽しみに待っていましょう。
私とは逆に、ミルティはお兄様と一緒に領地に行ってしまいました。
あの2人、いつの間にかすっかり仲睦まじい婚約者同士になってしまっていて、びっくりです。
ミルティの幸せそうな様子を見ていると、私も幸せな気持ちになります。
そうそう、ミルティったら、いつの間にか、お兄様のことを「オルガ」って呼ぶようになってたんです。お兄様から、そう呼んでほしいって言われたんだとか。
そう報告してくれるミルティの顔は、本当に幸せに満ち溢れていました。
そういえば、お父様は、結婚する頃までお母様を様付けで呼んでは怒られていたとか。お兄様は、そうなるのを嫌ったのかもしれませんね。
公爵邸での私の部屋は、これまで滞在する時に使っていた客間ではなく、お母様が昔使っていた部屋です。
どうせ週末にしか戻らない屋敷ですから、あまり大きな部屋でなくてもいいのですが、なにしろ跡取り娘になってしまったので、対外的なこともあって、それなりの格の部屋が必要なのだそうです。
誰に見せるというわけでもないのですが。
先日、とても寒い日があって、それ以来、お祖母様は体調を崩しています。
診察した医師の話では単なる風邪らしいのですが、なにしろお年ですから少し心配です。
時々お部屋を訪ねると、ベッドの中から、ボーッと天井を見ています。
心配してお義父様にお話ししたら、お祖父様が亡くなって以来の癖なんだとか。
時々、気が抜けたように、虚ろな目で宙を眺めているのだそうです。
やはり、お祖父様が亡くなって寂しいのでしょう。
風邪の方は、少し熱がある程度なのですが、それでなくても食が細っているのに、熱のせいでほとんど食事を取れていません。
これでは、体力が落ちるばかりです。
年が明けて、お祖母様の容態が悪化しました。
風邪をこじらせて肺炎になってしまったのです。
万一のことも考えて、領地の方に早馬を出しました。お母様とおばあちゃまの出発を早めてもらうために。
私にできることは、お祖母様に水や薄めたスープを飲ませたり、氷嚢を替えたりといった簡単なことだけです。
少しでも栄養を取ってもらわないと、体力が奪われるばかりですから。
今ではもう、一日の半分以上は意識がない状態です。
「……」
お祖母様が何か喋ってる? 意識がないのに。うわごとでしょうか。
お祖母様の口元に耳を近づけると
「もう少し…セリィ…」
と言っているようです。何を言っているのかわかりませんが、おばあちゃまを待っているみたい。
おばあちゃま、早く来て。お祖母様が待ってる。
お祖母様は、もう自分で薬を飲むこともできないので、スープの後で水に溶いた薬を飲んでもらっています。
今は、意識があるのは、1日にほんの2時間くらい。
後は、夢でも見ているのか、時々お祖父様を呼んだり、おばあちゃまや私やお母様の名前を呼んでいます。
もう駄目かもしれない…そんな思いが湧いてきます。お義父様も覚悟しているようで、昨日、私を部屋から出して、2人だけでお話しされていました。お別れの挨拶でしょうか。
…なんだか、外が騒がしい。きっとおばあちゃま達が着いたんですね。
お祖母様がうっすらと目を開け、私の名前を呼びました。
「マリー…」
私はお祖母様の手を握って答えます。
「お祖母様」
「お祖父様の遺言を、研究を、お願いね」
お祖母様は、お祖父様が亡くなってから、ずっと私のことを見守っていてくれました。それは、私とお祖父様の約束のため。
「はい、お祖母様。約束します。すぐに卒業して、研究所に入りますから」
「もう少し…あと少しで、あの人のところに行ける…」
お祖母様、もう長くないってわかってるんですね。
お祖母様の目が閉じられようとしたその時、おばあちゃまとお母様が部屋に着きました。
私がベッド脇を空けると、2人はベッド脇に膝をついてお祖母様の手を取りました。
「お母様! ドロシーよ、わかりますか? セリィお義母様も一緒よ!」
「カトレア様! しっかりなさってください!」
「セリィ…ありがとう。
あなたのお陰で、あの人は研究だけして生きられました。
あなたの研究を利用させてもらったことは、感謝してもしきれません。
その上、今度はマリーを研究所に引き入れなければならなくなりました。
ごめんなさい。
もう、そうしないとマリーの安全を守れないところまで来てしまったの」
お祖母様の声は、ここ数日の様子が嘘だったかのように、はっきりとしたものでした。
まるで、蝋燭が燃え尽きる瞬間のようです。
「セリィ、あなたの力を借りなければなりません。
マリーを導く役を。
あなたがジェラード領を出たくないのは知っています。が、王都で研究の引継を…。屋敷は用意しました。
ジェラード領への還元は、今後もできるようにしておきましたから、あなたがマリーを支えてあげて…。
今回は、取引する材料がないの。
ごめんなさい。卑怯だけれど、友人として最期のお願いよ… 」
「わかりました。
カトレア様との友情に誓って」
「ありがとう。
あなた、最期の誓いは果たしました。
これで、ようやくあなたのところに行けます…」
まるでおばあちゃまを待つために頑張っていたかのように、お祖母様は力尽きました。
息を引き取ったお祖母様の顔は、あんなに苦しそうだったのが嘘のように晴れやかで。
ずっとうわごとのように言い続けていた言葉、あれは、お祖父様との約束を果たそうとしていたのですね。
お祖父様は、おばあちゃまが王都で私と一緒に研究する日をずっと夢見ていました。
お祖母様は、それがずっと心残りだったんですね。
あんなに晴れやかな顔で…おばあちゃまが王都に出てくると言ったことで、心残りがなくなったのでしょう。
お兄様とミルティも駆け付けてくれていましたが、おばあちゃまに話しかけるお祖母様の邪魔をしないよう、黙って見ていてくれました。
そんな心遣いもあって、お祖母様は安らかな最期を迎えられたのです。
慌ただしい葬儀が終わり、おばあちゃまとお母様が領地に帰った後、私はお義父様に呼ばれました。
「マリー、母上と叔母上の会話は聞いていたな。
叔母上は、母上の遺言で、王都に出てきてくれることになった。
母上が言っていたとおり、既に王都に屋敷が用意してある。
護衛も一流の者を揃えたし、使用人も信用できる者を厳選してある。
春からは、寮を出て、その屋敷に叔母上と住んでほしい。
名目としては、常に指導を受けられるように、ということになっている」
「あの…、院生は寮に住むのが学院の規則では…」
「ニコル事件のこともある。
あの時の関係者は全て処断したが、お前や叔母上を狙う奴らがまた現れないとも限らない。
護衛の便宜から言っても、お前達には一緒にいてもらった方が安全だ。
大丈夫、学院には、許可するよう陛下が命じられた」
おばあちゃまと、また一緒に暮らせるなんて。
「母上は、父上の遺言を守ることに、文字どおり命を懸けていた。
お前の人生を縛るようなことになってしまったが、許してほしい」
「おばあさまと一緒に研究することは、私にとっても夢でした。
それに、私がおばあさまの指導を受ける姿を見せることは、おばあさまの名誉の回復にも繋がるでしょうから、いいことずくめです。
ありがとうございます。
私は、この環境で、精一杯頑張ります」
お祖母様、改めて誓います。
お祖父様との約束どおり、私は民のためになる研究をして、ローズマリー・ゼフィラスの名を轟かせてみせますから。
どこまでもサイサリスへの愛に生きたカトレアの最期です。
読んでいただいた方が泣いてくださると、作者としては嬉しいです。
鷹羽はカトレアが大好きなので、前作でその死を書いた時もかなりのダメージを受けたのですが、今回も書いていて、相当苦しかったです。
次回は、カトレア視点で最期の別れとなります。
あ、もちろん、この物語が終わるわけではありませんから。