29 笑顔のために
長期休暇が明け、とうもろこしの収穫の時期がやってきました。私の2年にわたる研究の成果です。
一昨年お祖父様と一緒に食べてみたのが、遠い昔のことのように感じます。
1人で食べるのは寂しいので、ネイクとミルティを誘ってみました。
ネイクが私の研究室にやってくるのは、随分久しぶりです。
ミルティでも半年ぶりくらいになるでしょうか。
これもまた半年ぶりに扉の向こうに立つルージュを懐かしく眺めながら、私は茹でたとうもろこしをテーブルに並べました。
「去年できた成功種と、そこから育てた次世代なの。第一世代の失敗種も2つ混ぜてみたから、食べ比べてみてちょうだい」
ここには4つのお皿を並べて、それぞれ、去年作った第二世代の元になった種から作ったものと、第二世代から取った三世代目の種、それと第一世代の別系統、つまり第二世代には選ばれなかったものが2種類、それぞれ載っています。
多少の個体差があるとして、第二世代と第三世代で同等のものができていれば、実験は成功です。
これが上手くいったなら、世代間で形質が安定したと言えるわけで、そうなれば基礎研究はおしまい。後は研究所に引き継いで、実証実験をしてもらうことになります。
その後、研究所から新作の完成が宣言され、順次栽培許可が下りていくのです。
「私の成果はどうだったかしら?」
食べ終わった2人に意見を聞いてみると、
「AとCが飛び抜けて甘いです。ただ、この2つの区別は付きません」
「私もミルティ様と同じです。AとCが同じくらい甘くて美味しくて、BとDは少し落ちます」
という答えが返ってきました。どうやら、形質は安定しているようです。
「ありがとう、2人とも。これで研究は一応完成ね。後は資料をまとめて研究所に報告して。
ああ、その前にお祖母様にもご報告しないと」
「マリー様。これがマリー様のなさっている研究なんですね。
今まであったものから、それとは別のものを作り出す……器などならともかく、野菜を思うように作り出すなんて奇蹟が人の手で起こせるなんて…。
ティーバ商会は野菜も多少扱っているからわかりますけど、こんなに甘い物は最高級品として、かなり値が張ります。
普通に買える値段でこれが売られたら、きっと大騒ぎになります。
これまで貴族や大商人でなければ食べられなかったようなものが、私達の手に届くようになるなんて。マリー様は、すごい研究をなさってるんですね。今ようやくわかりました」
ネイクが目をキラキラさせて感動しています。
そうか、私は栽培計画とか作付け場所とかそういう方向で、領主的な目線で考えていましたが、流通した先では、多くの人の口に入るんですよね。…多くの人が、美味しいものを簡単に手に入れて食べられるようになる。
今のネイクのように、嬉しそうに食べてくれる。
なんでしょう。胸がムズムズします。どこかで感じたことのある、懐かしい感じ。
これは…昔、おばあちゃまが褒めてくれた時の嬉しい気持ち。世界のナイショを見付けた時の気持ち。
おばあちゃまの他にもいたんですね。こんなにも嬉しい気持ちにしてくれる人が。
私の研究で笑顔になる人がいる。
研究を私の名前で発表するなら、当然結果を見ることもできるでしょう。
市井に下りれば、どんな人が買って、どう喜ぶかさえ見られるかもしれません。
それはきっと、とても嬉しいことに違いありません。
私は今回、技術的に可能かどうかという観点からとうもろこしを対象に選びました。
おばあちゃまは、領地で作ることを前提に、役に立つものをと考えて対象を選んでいると言っていました。
ならば。
これから私は、この国の民が欲しいと願うものを研究していきましょう。
私の作った作物に、多くの人が笑顔を浮かべる、そんな研究を目指しましょう。
そして、笑顔になった人達に、これを生みだしたのは不世出の才媛セルローズ・ジェラードの孫にして弟子、ローズマリーであると胸を張りましょう。
週末。私はゼフィラス公爵邸にお祖母様を訪ねました。
用件を予め告げておいてから訪ねたところ、お祖母様だけでなく叔父様もいらっしゃいました。
「マリー、とうもろこしが完成したそうね。おめでとう。
それがサンプル?」
「はい。第二世代と第三世代で、形質は安定しているようです。試してみてください。
こちらが研究資料になります。
今後は、研究所の方で栽培実験していただければと思います」
「3年で形にしてしまいましたね。
1人での研究は初めてなのに、素晴らしい早さです。
マリー、ゆくゆくは研究所を継いでくれませんか」
お祖母様が突然そんなことを言い出しました。
公爵家ではなく研究所の後継者としての話になりましたけれど、結論は同じことですよね。
「研究所の跡継ぎですか? 叔父様はまだ所長になって5年ですが」
「将来の話だ、マリー。
所長には、世俗的な野心、つまり出世欲を持たない者がならねばならない。そうでなければ、王国が揺れる。
それを避けるためにも、所長職は予め後継者を公表しておくべきだと思っているんだ」
「そうです、マリー。
そして、それは我が公爵家の者であるという形にしたいのです。
優秀な研究者が必ずしも野心を持たないわけではありませんし、事務方に牛耳られるわけにもいきません。
出世欲を持たず、事務方とやり合い、陛下の意を汲みながらも意見することもできる、そんなバランス感覚を持った者が所長になるのが理想です。
あなたなら、その理想を実現できると私達は信じています。
うすうす気付いているでしょうが、マリーにはガーベラスの養女になってもらいたいのです。
もちろん、その場合はあなたに婿を取ってもらうことになりますが、その相手はあなたが選ぶということで構いません。余程問題のある相手でなければ、あなたの望む者を迎えましょう。
ミルティについても、悪いようにはしません」
ミルティの読みが当たってしまいました。
ならば、約束どおりミルティを解放してあげましょう。
「ミルティは、お兄様に嫁げますか?」
「そうなります。ミルティの夢は叶いました」
予期していたのか、すぐに答えが返ってきました。
「私は、公爵家に入ります。
そうなると、今回の研究の名義はどうなるのでしょうか」
「オルガの卒業を待たず、じきにミルティとの婚約を発表し、同時にマリーを養女に迎えることになります。
栽培試験には、最低でも1年は掛かりますから、ローズマリー・ゼフィラスの名で発表することになるでしょう。次期所長としての実績にもなりますから。
大丈夫。旦那様が求めたのは、ローズマリーの名で発表することです。あなたがジェラードで居続けることには拘っていませんでした。第一、嫁げば姓など変わるものですから。
それと、今後ルージュはマリー専属の護衛となります。
公爵家の跡取りは、あなたですから」
「わかりました。
それで、お兄様は婚約のことは?」
「もちろんオルガの承諾は得ています。いくらミルティが望んでいるからといって、無理矢理オルガに押しつけるようなことはしませんから安心なさい」
お祖母様の言葉にほっとしました。
でも、お兄様ったら、いつの間に…。
「マリー、先日の襲撃事件は、テザルト王国の手の者が関わっていたことがほぼ確定した。
隣国のことゆえ、表立っては何もできないが、警戒は続けていく。
国内の者については、関わった者の処分は終わっている。安心して研究所に来てくれ」
私は、叔父様の言葉に頷きました。
こうして、私は、ゼフィラス公爵家に養女に入ることになりました。
ようやく、マリーの研究の土台が定まりました。
1話からの伏線回収です。
「誰かを喜ばせる」、それがマリーの原動力です。
基本的には、好きな人、近しい人の笑顔が一番ですが、もっと漠然とした王国の民の笑顔のためにも頑張れます。
それは、ネイクという一般庶民の価値観を持つ友人を持ったがゆえ。