裏26 後悔先に立たず(アーシアン視点)
「マリー嬢、僕は決めましたよ」
いつものお茶の時間に、僕はマリー嬢に報告した。
「ですから殿下、その呼び方はおやめくださいと、いつも申しております」
この数か月で、すっかり恒例となったやりとりが繰り広げられる。
どうにも縮まらない距離に業を煮やした僕は、ミルティの許しを得て、マリー嬢を愛称呼びしてみることにした。ただし、マリー嬢が許してくれたらという条件で、この屋敷の中限定で。
公爵邸の中でなら、妙な噂が立つ心配がないし、マリー嬢も周囲を気にしなくてすむ分、受けてくれる可能性が高いから。
マリー嬢のことでミルティの許可が必要というのは、少し割り切れないものを感じるけど、公爵邸を使わせてもらったり、ミルティにも色々と協力してもらっている以上、仕方のないこととも思っている。
ただ、全然距離が縮まらなくて、ミルティにはもうやめるように言われてるんだけど…。
「それで、何をお決めになったのですか」
ああ、そうだ、今日の一大発表。
「僕の研究テーマが決まったんです」
「それはおめでとうございます。
テーマは何になさいましたか?」
「染料です」
「染料ですか? 藍などの?」
「そうです。僕は、育てやすく発色の良い染料植物を開発してみたい。
染料が安くなれば、色鮮やかな衣料が安価で手に入るようになります。
それに、新しい色の染料だって作れるかもしれません。
大叔父上の七色のバラの猿まねじゃない、僕だけの研究テーマです」
誇らしく言い終わった後、マリー嬢の顔を見て、僕は目を疑った。
ちっとも驚いていない。というか、表情が変わっていない。
「素晴らしいですわ、殿下。
手軽に染色できるようになれば、衣料の低価格化にも繋がります。
食料品と違って、長距離輸送にも耐えられますから、王国の隅々まで行き渡らせることもできますし、他国への輸出だってできるでしょう。
王家の方らしい、素晴らしい発想だと思います」
確かに褒めてくれているけど、全然喜んでいないみたいだ。
「マリー嬢は、このテーマがお気に召しませんか?」
「いえ? ですから、素晴らしいテーマですと先程から申し上げておりますが」
「でも、全然嬉しそうには見えませんよ。
何か問題でもあるんじゃないですか?」
「いいえ? 何も問題などありませんわ。
とうとう殿下も独り立ちなさるのだと思うと、感無量です。
綿花は領地の方で研究していましたが、さすがに染料系の植物は経験がございませんので、お手伝いできないのが心苦しいところです」
え? しまった! つまり、教えられないから、後は僕1人でやれってことか!? それは予想しなかった。
なんとか共同研究の道を残さないと…。
「あの、マリー嬢は、綿花は研究しているんですよね? よければ、マリー嬢の開発した綿花を、僕の開発した染料で染めるというのはどうでしょう?」
「申し訳ありませんが、綿花の研究をしているのはおばあさまで、私はご存じのとおり、とうもろこしを研究しているのです」
ああ、もう、僕のバカ! このままじゃ、この貴重な2人の時間を終わらせてしまう。なんとか方向を変えないと…。
「あ、あの、方向性は多少違っても、情報交換とか色々できることはあると思うんですけど…」
「確かにそういう面はございます。
別に、以後の交流を断つというお話ではありません。ただ、毎週顔を合わせるほどの必要もありません。
毎度毎度、公爵邸をお借りしているわけですし、これ以上、必要もないのに続けるのも申し訳ないですから」
僕の必死の食い下がりもあっさりかわされ、僕の憩いの時間は失われてしまった。
そして、ミルティに怒られる、というか、バカにされるというか…
「…殿下。もう協力はできないわよ。
なんであっさり切られてるのよ!
これからも色々教えてほしいって食い下がるところでしょう、そこは!」
「わかってるけど、難しいんだよ…。
マリー嬢は、なんて言うか、とりつく島がなくって…」
「それよ! マリー嬢って呼ぶのはもうやめなさいって、前に言ったわよね。
殿下がマリー嬢呼びするようになって、明らかにお姉様は一歩引いたわよ。
お姉様は、馴れ馴れしい男は嫌いだって知ってるでしょ!
人がせっかく忠告してあげたのに、無駄にしてくれちゃって、あなたは!」
「時間がないんだ。学院で一緒にいられるのは、あとたったの2年ちょっとなんだよ。
その後は、2年も離れ離れで、多分、研究所ではパスール殿が待ち構えてるんだ。焦りもするさ」
「それで、あと2年の猶予をフイにしたわけ?」
うっ……正論を吐かれると、返す言葉もないんだけど。
「そんなこと言ったって、春になれば僕も研究室に入っちゃって、今みたいにマリー嬢の研究室に見学には行けないし、何か他に接点が欲しいじゃないか」
「あのね。
どのみち殿下とお姉様が公爵邸以外で2人で会うことなんて、できっこないのよ。
いい加減、現実を見なさいよ。
お姉様にとって殿下は、私の婚約者候補で、教え子でしかないのよ。
しかも、せっかく作ったクッキーを社交辞令でしか褒めなかったっていうおまけ付きの!」
「だから、それは…」
「殿下がどういうつもりだったかじゃなくて、お姉様がどう受け取ったかが大事なの! 今更、あれはそんなつもりじゃなかったなんて言ったって、通じないのよ。
まして、殿下はお姉様に好きって言っちゃいけないんでしょ? まあ、言ったって嫌われるだけだと思うけど」
「まず、僕とミルティが婚約者じゃないってことを納得してもらわないと…」
「むしろ、今まで半年以上掛けて、どうして説明していなかったのか、わからないんだけど。
自分でなんとかしようって気はないの?」
「説明は何度もしたんだけど、どうにも理解してもらえなくて…。
マリー嬢は、頑固というか、聞く耳持ってないんだよ」
「そこを何とかするのが甲斐性というものでしょ。
とにかく、お姉様がおしまいと仰った以上、もうここで勉強会はできないわね。
あとは、研究で成果を挙げて、見直してもらうしかないんじゃない?
ねえ、殿下、あなた今までお姉様に何かしてさしあげたことあった?
勉強教えてもらって、飛び級させてもらって、クッキー作ってもらって、あなたはお姉様に何をしてあげたの?
ああ、そうだ、ニコルの時には、お姉様を庇おうとしたそうね。その後、逆にお姉様に庇われたけど。
そういうのはね、匹夫の勇って言うのよ。
殿下が騎士目指してる剣の名手とかってんならともかく、腕っ節がからっきしなんてこと、お姉様も知ってるのよ。
それなのに、一応王子様が危険に身を晒しちゃって、お姉様が大人しく守られていられると思う?
殿下のせいで、お姉様は、刺客とはいえ人を傷つけることになったのよ。
あの優しいお姉様が! 人に向かってナイフを投げたのよ! 下手したら人殺しになっちゃったかもしれない! お姉様になんてことさせたのよ!
殿下は、お姉様のためにならない。
一緒にいる資格はないわ。
胸張ってお姉様の隣に立てるだけの何かを見せてみなさいよ。
それができるまで、もう私は協力しないわよ」
どうしよう。ミルティに見放されてしまった。
いや、元々僕の恋なんだから、自分で何とかしなきゃいけないんだけど。
「わかった。マリー嬢に認められるだけの研究者になってみせるよ」
「そうね。それと、その呼び方はやめなさいよね。
殿下にそんな呼び方をする資格はないって言ったでしょ」
「あ…うん…」
「いい? 胸を張ってお姉様と会えるようになるのよ。それができないなら、お姉様のことは諦めなさい」
こうして、僕は、マリー嬢との接点を失った。
来春登用試験を受けるパスール殿は、2年後には研究所でマリー嬢と再会し、接触が許されることになる。
僕は残り2年ちょっとあったアドバンテージを失い、マリー嬢の卒業後は、更に2年間会えない日々が続くことになる。
アドバンテージを失ったことは、悔やんでも悔やみきれないけど、とにかく僕にできることは、マリー嬢に認めてもらえるような研究成果を挙げることだけだ。
頑張るしかない。
殿下、フルボッコです。
実は、感想欄ではアーシアンは嫌われてまして、どうしてあんなに嫌われてるのかなあなんて思ってたんですけど、ミルティの言葉で納得しちゃいました。
なんで、こんなだめだめ君になっちゃったんでしょうね。
マリー嬢呼びはやめろと言われても、心の中ではやめない辺りも、嫌われそう…。
襲撃の時、マリーを突き飛ばしてナイフを受けるとかしてたら、もう少し違ったかもしれません。
ともかく、アーシアンもこれで一時退場です。




