25 初恋と失恋
ネイクは、公爵邸に運ばれて医師の診察を受けました。
ミルティが泣きながら、安全な場所で治療を、と主張したからです。
幸い、麻酔で眠らされただけで、体に傷はなく、朝までには目を覚ますだろうとのことでした。
これもまたミルティの厚意で公爵邸に招かれたアインさんは、ネイクの傍を離れませんでした。
心配する気持ちはよくわかりますから、私もミルティも、アインさんをネイクと2人だけにしてあげることにしました。
ですから、目を覚ましたネイクが最初に見るのは、ベッドの脇で椅子に腰掛けて見つめているアインさんということになります。
少し不謹慎ですが、物語のお姫様みたいです。
私も倒れたら、こんな風にアーシアン殿下が……ちょっと待って、どうして殿下が…、今、私、何を…?
私は、何を求めているの…? 殿下はミルティの婚約者になる方なのに。
殿下が、好き? 私は…
大切なミルティの婚約者なのに、私は、なんて浅ましいことを考えているのでしょう。
先日のクッキーの時、私は殿下に褒めてほしくて、社交辞令を返されたから落胆したのですね。
妹分の婚約者に横恋慕だなんて、なんてひどい姉でしょう。
いけません、それはミルティに対する裏切りです。
自分の気持ちになんて、気付かなければよかった。
気付かなければ、こんな惨めな思いはしなくてすんだのに。
いいえ、これは罰。身の程知らずにも殿下に惹かれた私への。
ミルティの婚約者となる殿下が、私の運命の人のはずがありません。
運命の人ではない殿下に恋をしたなら、それが破れるのもまた運命。
私は、この想いを地に沈めなければなりません。
誰にも悟られないよう、地の底深くに。
ミルティがお兄様への初恋に破れたように。
私は、いつか出会う運命の人に胸を張って対せるように生きなければ。
ごめんね、私の初恋。後でちゃんと弔ってあげるから、今は涙を流させないで。
いつの間にかウトウトしていたようです。
目を覚ますと、もう夜半でした。
客間を出て、ネイクの眠る部屋に様子を見に行きましたが、まだネイクは眠っていました。
私は客間に戻り、今日の襲撃のことを考えてみました。
ニコルは、ネイクをどうするつもりだったのか、そして黒幕は誰で、何が目的だったのか。
ニコルがネイクに好意を抱いていたとは思えませんから、攫って自分のものにしようという目的でないことは確かです。
では、素直に自分の道具にならなかったことへの復讐でしょうか。
それなら、薬で眠らせる必要はありません。
単に殺すだけの方が遙かに簡単なのですから。
もし、今日、通りすがりにネイクを刺したのだったら、私達はネイクを守れなかったでしょう。
今ミルティに元気がないのは、それを理解しているからだと思います。
肝腎な時、傍にいてあげられなかった。
比喩ではなく、ミルティがいない時は、私達にとって唯一の戦力であるルージュがいない時なのですから。
ルージュがいれば、むざむざとネイクを捕らわれたりしませんでした。
ああ、脱線してしまいました。過ぎたことをあれこれ言っても仕方ないのはわかっているのですが。
本題に戻って、もう1人の男、あれは誰だったんでしょう。
恐らくは、麻酔薬の塗られたナイフで私を襲ってきた…ということですよね。
ナイフに塗られていた薬が何だったのかは、王城で調べているのでしょうけれど、あのナイフが刺さった男は生きていましたから、即死するような毒でなかったことは間違いありません。
普通に考えるならば、私を攫うのが目的だったというところでしょうか。
私の利用価値は血筋と家でしょうが、学院内であれだけおおっぴらに襲ってきた以上、私との結婚が目的ということはないでしょう。
そうすると、私を人質にして、おばあちゃまに何かを要求するつもりだったのでしょうか。
とすると、ネイクは、私の自害防止用の人質?
ありそうな話ですね。
だったら、ニコルは、本当に利用されるだけされて、ことがすんだら殺される、と。
おばあちゃまの研究を欲しがる輩はいくらでもいるでしょうけれど、そもそもおばあちゃまの研究のことを知っている貴族は少ないですし、黒幕の候補を絞るのはそう難しくないかもしれません。
二度とネイクを狙うようなことのないよう、王城の方で手を打っていただけると嬉しいのですが。
結局ネイクは、明け方に目覚め、改めて医師の診察を受けました。
そして、体には問題ないとのお墨付きをもらい、そのまま公爵邸で数日休んでいくことになったのです。
ネイクは恐縮していましたが、私達が守りきれなかったせいでこんなことになったんですもの、当然の権利です。
念のため、ネイクが休養している間も、私達はなるべく一緒に動くようにしていましたが、幸い何もありませんでした。
そして5日後、叔父様から公爵邸に呼び出された私は、ミルティと共に、ことの顛末を聞かされました。
今回の件は、やはりネイクと私を攫うためのものだったそうです。
ニコルを利用していたのは、ゴースン伯爵という王立研究所の、それも上の方に役職を持つ官僚貴族でした。
なるほど、おばあちゃまのことを知っているわけです。
私を襲った男は、ゴースン伯爵家に仕えている影で、院生で嫡男であるファイゼル・ゴースンの制服を着ていたのだとか。
処罰しないわけにはいきませんが、おばあちゃまのことを公にするわけにもいかないので、今回の事件はアーシアン殿下暗殺未遂事件として発表されるそうです。
ちょうど殿下が居合わせましたし、影が殿下にナイフを投げたのは間違いないので。
ゴースン伯爵家は反逆罪で一家全員死刑、使用人についても、関わった者は全て処刑されるそうです。
ニコルも処刑されますが、ヒートルース子爵家は既にニコルを廃嫡していたこともあり、連座は免れました。
実際と違う罪で処刑されることに、思うところがないわけではありませんが、叔父様が仰るには、研究所に勤める者がジェラードに手を出したことは十分反逆罪に当たるのだそうで、処罰の規模と範囲は同じなのだそうです。
私としても、ネイクを巻き込んだことは許せないので、異を唱えることはしませんでした。
そして、ネイクは、あんな目に遭ったにもかかわらず、その後も私やミルティの傍にいてくれています。
もう二度とネイクを巻き込まないように、私にできることはないでしょうか。
ミルティは、ネイクが被った被害に対して申し訳なく思っています。
一歩間違えばネイクを喪いかねなかったことも理解しています。
ただ、刺客とのパワーバランスを考えると、この対処がギリギリの安全ラインだったので、そうせざるを得なかったのです。
そして、次回裏25-1話は、カトレア視点による事件の内情と結末になります。
もちろん、今回マリーが聞いたのが全てではありません。