裏3 兄と妹(オルガ視点)
マリーの兄オルガ視点になります。
裏3話ではありますが、内容的には、1話時点からの話になります。
ぼくの名前は、オルガ・ジェラード。5歳。
ジェラード侯爵家の跡取り息子です。
お父さまから、領地をつぐために勉強するように言われて、まいにち家庭教師から難しいことを習っています。
もう、たし算もひき算もばっちりです。
ぼくには、2つ下のいもうとがいるんだけど、このごろは遊んであげられません。
いもうとのマリーは、ぼくのことがだいすきで、いつも「おにいちゃま~」ってやってくるんだけど、ぼくは勉強しなきゃいけないから、先生が「お嬢様はお部屋に入ってはなりません」って言って、部屋に入れてくれません。
マリーが部屋に入るとうるさくて勉強できないから、しかたないんだけど、ちょっとかわいそう。
でもしばらくしたら、マリーが部屋にこなくなりました。
お母さまにきいたら、おばあさまが外にあそびにつれていってくれてるんだそうです。
それなら、マリーはさみしくないね。
今日のお茶のじかんに、マリーがクッキーを見て
「お父さまとお母さまは4つずつね、マリーとお兄ちゃまは5つずつ」
って言いました。
お父さまやお母さまより、ぼくたちの分をいっぱいにするなんて、マリーはくいしんぼだね。
お母さまはちょっと怒ってるみたいだけど、お父さまはマリーをほめてました。
なんでだろう?
「おにいちゃま、マリーね、おばあちゃまからナイショの数え方、ならったんだよ。
おにいちゃまにも教えてあげる」
マリーは、右手の指をたくさん動かして、おもしろい数え方をおしえてくれました。
「へえ、おばあさまから習ったの?
おもしろいねえ」
いっぱい数えられてべんりだから、つかってみようと思ったんだけど、だめでした。
「あれ、この指だといくつだろう?」
7までは指の形をおぼえられたんだけど、せっかく数えても、どの指を折ってるときがいくつなのかわかりません。
これじゃあ、また数え直しです。
マリーの数え方は、おもしろいけど使えないなあ。
なんだろう、お父さまがお仕事の部屋にぼくをよぶなんて、はじめてだ。
「オルガ、マリーのことは好きかい?」
「はい」
「そう。マリーもオルガのことが大好きだってさ。
もちろん、私達もオルガのことを好きだよ。
これから話すことは、とっても大事なことだから、覚えておいてほしい。
前にも言ったけど、オルガは、このジェラード侯爵家の跡継ぎだ。
何があろうと、それは変わらない。
オルガは、普通の人より賢い子なんだ。
だから、ちょっと早いけど、勉強を始めさせた。
12歳になったら、王都の学院に入るけど、多分、入学して暫くは大変だと思うんだ」
「たいへん、ですか?」
「そう。
お祖母様は、すごく頭のいい人でね。
昔、学院に入学して2か月で3年生になってしまったんだ」
「2か月で3ねんせい?」
「試験でものすごくいい成績を取ると、そういうことができるんだ。
でも、それができたのは、お祖母様しかいないんだけどね。
私も結構成績が良かったから、1か月で2年生にはなれたけど、2か月で3年生は無理だった」
「おばあさまは、とってもすごいんですね」
「そう。
オルガは、お祖母様の孫だからね。
周りの人は、きっとオルガもすごいんだろうって思って見てる。
だから、最初のうちは大変だと思うよ。
でも、多分、オルガも1か月で2年生になれるだろうから、1か月の辛抱だよ。
君につけている家庭教師からは、君はいい成績を取れるだろうって言われているからね」
「わかりました。
1か月で2ねんせいになれるようがんばります」
「うん、頑張りすぎない程度に頑張ってね。
それとね、マリーも、オルガの妹だし、きっと賢い子だと思うんだ。
でもね、マリーは女の子だから、大きくなったら、どこかにお嫁に行くことになる。
だから、その日まで、マリーのことを可愛がってあげてほしい」
「はい、もちろんです。
マリーは、いもうとですから」
4年経って、あの時はわからなかったお父様の言葉の意味が、ようやくわかりました。
マリーはもう7歳になるのに、ついている家庭教師は、社交術やマナー、ダンスだけ。
貴族の令嬢には必要なものだから、そういうのを中心にしていると思っていたけど、違うんですね。
マリーは、お祖母様から勉強を教わっているから、家庭教師がいらなかったんだ。
この前、マリーが落としたノートには、僕がまだ習っていない難しい何かが書いてありました。
2歳も年下なのに!
僕は、お父様に聞きに行くことにしました。
「お父様、マリーはなぜ、お祖母様から勉強を教わっているのですか?
僕より難しいことを教わっているようなのですが」
お父様は、ため息を吐きました。
「実のところ、私もマリーがお祖母様に何を習っているのかは知らないんだ。
お祖母様は、マリーが君の勉強の邪魔をしないように面倒を見てくれていたんだけど、いつだったか、マリーに勉強を教えてみたいと仰ってね。
マリーについては、お祖母様に全部お任せしているから、詳しいことは知らないんだ。
ただ、忘れないでほしい。
何度も言っているとおり、我が家の跡取りはオルガ、君なんだ。
マリーが何を教わっているにしても、それは変わらない。
マリーが、君の可愛い妹だということも。
人には、得手不得手というものがある。
マリーの方が君より得意な科目もあるだろうけれど、それが全てじゃない。
私はね、オルガ、君には懐の大きな男になってほしいと思っているよ」
「マリーの方が跡継ぎに相応しいとは思わないんですか?」
「思わない。
跡継ぎはオルガだよ。
恐らくマリーは、研究者になりたいと言うんじゃないかな。
お祖母様が得意な植物学というやつだね。
領地経営には、必要なものじゃない。
せっかくだから、1つ昔の話をしよう。
お祖母様にも兄上がいらっしゃる。
ブルーノ大伯父様といってね、お祖母様の方が全部の科目で成績が良かったものだから、学院では随分とご苦労されたらしい。
でも、お祖母様のことを、ずっと妹として可愛がっておられた。
今は、バラード伯爵家を継いで、立派に領地経営しておられる。
成績がいいに越したことはないけれど、成績が全てでもないよ。
大切なのは、自分にできること、やるべきことをきちんとやるってことなんだよ」
「やるべきこと、ですか」
「そう、君は、我が家の跡取りだ。
君が何よりやるべきことは、この領地を受け継ぎ、次代へ継承することだよ。
まあ、私自身が未だ爵位を継いでいない現状で、爵位を継ぐ話をしても実感は湧かないだろうけどね」
「お祖父様は、ご健勝ですから」
「お祖父様が爵位を継いだのが、私が産まれた時だからね、もう20年も経っている。
とはいえ、お祖父様はまだ30代だ、爵位を譲るには早いとも言える。
まあ、元々お祖父様が爵位を継いだのが早かったということもあるからね、お祖父様の代が多少長くなるのは仕方ないところだと思うよ」
「お祖母様の手腕があまりにも見事だったので、ひいお祖父様が隠居を早めた、と聞きました」
「よく知っていたね。それはまあ、そのとおりだよ。
正確には、お祖父様がしっかりしていて、そこにお祖母様が的確な助言を与えているから、2人に任せれば大丈夫だと思ったってことらしいけどね」
「それだけ、お祖母様がすごいということですよね。
そのお祖母様がマリーの才能をお認めになったんでしょう? マリーの方が、僕より跡継ぎに相応しいということではないのですか?」
「そう自分を卑下するものではないよ。
お祖母様はね、マリーを研究の跡継ぎにと考えておられるんだ。領地や爵位のことではないんだよ」
「研究、ですか?」
「うちの領地では、王立研究所が開発した新しい作物が自由に栽培できる。
それがどうしてか、知っているかい?」
「いえ…。王都のお祖父様が研究所の所長で、真っ先にここに栽培許可が出るという話は聞いたことがありますが…」
僕のお母様は、王都のゼフィラス公爵家の出身だ。
それに、王都のお祖母様とうちのお祖母様は元々友達で、その縁でお父様とお母様が知り合ったと聞いている。
「これは、あまり知られていないことだけどね。
実は、あれらの作物は、全てうちのお祖母様が開発したものなんだ。
自分で開発したものだから、自分で好きに栽培できるって、ただそれだけのことなんだよ」
「お祖母様が開発したんですか?」
「そう。お祖母様は、研究所の所長、つまり王都のお祖父様直属の研究員でね。
領地の中で研究しているんだ。
それで、いいものができたら王都に送って、実用化されたら自由に栽培する許可が下りるっていう形を取っているんだ。
まあ、お城の中では、色々と難しい手続があるんだよ」
「あの…作物は、何種類もあるはずですが、それを全部、お祖母様が作ったんですか?」
「そうなんだよ。信じられないことにね。
もちろん、研究所の中でも、新しい作物は研究している。
そこで開発されたものもいくつかあったと思うけど、それはうちでは作っていない」
「お祖母様、1人で…」
「お祖母様はね、王都で『不世出の才媛』と呼ばれていて、その名にふさわしい実績を持っているのさ」
「不世出の才媛?」
「二度と出ないであろう天才少女、というところかな。
実際、学院での二段飛び級をやったのは、お祖母様以外にいないわけだから、王国で一番の天才と言っても嘘にはならないと思うよ」
「王国でいちばんの天才…、そのお祖母様が、マリーの才能を認めたのでしょう?」
だったら、僕なんていらないんじゃないか…。
「研究者としては、ね。
お祖母様が二段飛び級したのは、植物学と算術の2つだよ。
そして、お祖母様がマリーに期待しているのも、その2つさ。
領主としての才能を期待してるわけじゃない。
マリーは、領主の才能を持っているわけじゃないんだよ。
ああ、それと。
これも知っておいた方がいい。
お祖母様はね、お祖父様と婚約するまでは、勉強は苦手だったそうだよ」
「天才なのに?」
「お祖母様はね、領主の妻になるために頑張ったことで、才能が目覚めたんだ。
私もね、お母様の婚約者として認められるように頑張った結果、飛び級できた。
マリーも多分同じで、大好きなお祖母様に褒められるのが嬉しくて才能が目覚めたんだろう。
オルガも、これから、何かのきっかけで眠っている才能が目覚めるかもしれない。
それでなくても、君の教師達は、口を揃えて君が優秀だと言っているけどね」
「僕が…優秀……」
そうなのかな? マリーの方が難しいことをやってる気がするけど。
「それにね、学院に入ったら、君の前に立ち塞がるのは、マリーじゃなくてお祖母様と私だよ」
「お祖母様とお父様?」
どうして?
「そう。
君は、入学すると、周りの人が、こう噂しているのを聞くことになる。
『あの不世出の才媛の孫が入ってきた。息子は3科目飛び級だったが、今度はどれくらいの才能だ?』ってね。
私も、入学した時は、随分言われたものさ。
さっき言ったように、私は飛び級したから、『さすがは不世出の才媛の息子だけのことはある』って言われたけどね。
だから君は、まず、お祖母様の名声と戦わなきゃいけないんだよ。
ついでに、『息子は3科目飛び級だったが』ってね」
「ひどいですね」
「それが現実だよ。
それで、君も飛び級すると、今度はマリーが言われるんだよ。『あのオルガ・ジェラードの妹が入ってきたぞ』ってね。
さらに、いつか君の子供が入学する時も言われる。どこまでも続くんだよ。
だからね、君は、学院で胸を張って歩けるよう、自分のために頑張ればいいよ。
後は、できれば、マリーを守ってあげて。
あの子は、君の妹なんだから」
今、僕とマリーの接点は、食事の時間とダンスの練習くらいのものだ。
確かにマリーは僕に対して以前と変わらない態度で接してくる。
マリーが何を学んでいるのか気にしているのは、僕の方だけなのかもしれない。
でも、マリーを守るなんて言っても、想像も付かない。
お父様は、マリーを、何から守れっていうんだろう。
わからない。
僕が11歳になると、マリーが時々僕の剣術の訓練に参加するようになった。
マリー自身は剣術はやらないんだけど、護身術の一環として短剣術を習っているので、訓練のために僕と剣を合わせるんだそうだ。
正直、マリーの剣はなってない。
腕力がないのは仕方ないとしても、踏み込みも甘いし剣の振り方も話にならない。
僕の剣を反らす度に大きく体が流れてしまうから、反撃に移れないんだ。
それでも攻撃を受けないでいるだけでも上等と言えるかもしれない。
なにしろ、護身術なんだから。
この前、お父様が言ってた。
「君は、ジェラード侯爵家の跡継ぎだから、君と結婚したい女性は、うちに嫁いでくることを前提に君に近付く。
だけど、マリーは、よそに嫁ぐ身だ。
マリーを攫って、嫁がざるを得なくしようとする悪い男もいるかもしれない。
だから、マリーには護身術を習わせているんだよ。
できれば、君も気にしてやってほしい」
やっぱりマリーはか弱い妹なんだから、僕が守ってあげなきゃいけないんだ。
更に1年が過ぎて、僕が学院に入る時が来た。
学院は全寮制だから、長期の休暇でもないと、僕はここには帰ってこられない。
この屋敷も、領地の景色も、しばらくは見られないね。
「お兄様、行ってしまわれるのですね。
寂しくなります。
どうかお元気で。
マリーのこと、忘れないでくださいね」
マリーは、泣きながら僕に抱きついてきた。
もうずっと前から、自分のことを「マリー」とは言わなくなっていたはずなのに、それが出ちゃうなんて、本当に寂しがってるんだね。
「大丈夫。
可愛いマリーを忘れるわけないだろう。
休暇になったら帰ってくるから、マリーも元気でね」
マリーは、「マリーだと思って持っていらして」と言って、僕に自分で刺繍したハンカチをくれた。
すごく上手にできてる。
僕は「大事にするよ」と言って、受け取った。
これは、お守りにしよう。
僕は、学院で、飛び級を目指す。
自分に胸を張って生きられるように。