22 しょっぱいクッキー
マリーの弱点その2です。
ちょっとラブコメっぽい感じになってます…多分。
ジェラード領から王都に戻った私が最初にしたことは、ゼフィラス公爵邸に行ってお祖母様に挨拶することでした。
その後、ミルティにも会おうと思ったのですが、来客中とのこと。
殿下でしょうか。
それは、休暇中にだって会いにくらい来ますよね。婚約者候補なんですから。
私が帰ろうとすると、私の来訪を聞きつけたミルティに引き留められました。
「お姉様、お帰りなさい。
今、ちょうどネイクとお茶を飲んでいるんだけど、お姉様もご一緒にいかが?」
ネイク? 殿下じゃなくて? …よかった。
「お邪魔でなければ、ご一緒させていただこうかしら」
私がそう言うと客間に通され、お茶が運ばれて来ました。
ミルティとネイクも。
ネイクは、もうミルティの遠乗りの話は知っていて、アインさんは遠乗りなんかしたことがないという話になりました。
「王都では、嗜みとして馬に乗ることはあっても、遠乗りするような用はないそうなんです」
「そういえばそうね。
うちのお兄様は、領主の嗜みとして習ったって言ってたもの。
私は、一応馬には乗れるけれど、遠乗りや狩りに連れて行ってもらったことはないわ。
ミルティは、よく遠乗りになんて連れて行ってもらえたわね」
「伯母様からお願いしてもらいました。
でも、まだまだです。お兄様が加減してくれなかったら、置いてかれるところでしたもの」
「ふふ、お兄様は紳士だもの。
ミルティを置いてきぼりになんてしないわ」
「お兄様、私のサンドイッチを美味しいって言ってくれたんです」
ミルティ、嬉しそう。そうね、自分の作ったものを美味しいって食べてもらえたら、嬉しいでしょうね。
「今度、クッキーでも焼こうかしら。2人とも食べてくれる?」
「お姉様のクッキー、久しぶり! ぜひお願いします」
「あの、私も、その、よろしいのですか?」
「ええ、ネイクにもぜひ食べてほしいわ。それじゃあ、お祖母様にお願いして厨房を貸してもらわないと」
「私からお願いしておきます」
「じゃあ、お祖母様の分も焼かないと」
「ついででいいので、殿下の分も。週末なら、ちょうど勉強会の休憩に出せますし」
「え…? ああ、そうね。いつも殿下がお菓子をお持ちになっているもの、たまには私が用意しなくてはね」
意外な成り行きで、私が焼いたクッキーを殿下にお出しすることになってしまいました。
…別に、いいですよね。お菓子を差し上げるくらい。ほかならぬミルティが言い出したことですし。
サンドイッチくらい、私も作れるけれど、殿下とサンドイッチを持ってお出かけするわけにはいきませんし、クッキーくらい、ね。
私の焼いたクッキーはおばあちゃまにも美味しいと言ってもらえてるし、殿下も喜んでくれるでしょうか。
美味しいって、言ってくれるでしょうか。
そうして、長期休暇も終わり、最初の週末。
私は、朝からゼフィラス公爵邸に行き、厨房を使わせてもらってクッキーを焼きました。
ミルティとネイクとお祖母様と、それから殿下の分です。
作るのは随分久しぶりだったけれど、綺麗に焼けました。
殿下の持ってくる料理人作のお菓子に比べれば見劣りするけれど。
殿下は、美味しいと言ってくれるでしょうか。
なぜだか湧き上がってくる不安を押し隠して1時間の勉強会をこなし、お茶の時間です。
「あ~、ローズマリー嬢。すみませんが、今日は茶菓子を持ってきていないので…」
うまい具合に、殿下はお菓子を持ってきていないようです。
「ちょうどよかったです。
実は、私、クッキーを焼きましたので、今日はそれでお茶にいたしましょう」
部屋にワゴンが運ばれ、お茶とクッキーが並べられました。
「お口に合うとよろしいのですが」
「ローズマリー嬢の作ったものなら、美味しいに決まってますよ」
殿下はにっこり笑って言いますが、その言い方は、つまり、最初から期待していないから嘘でも美味しいと言うってことですよね。もしかしたら、私が作ったクッキーなんて、ってことでしょうか。
考えてみれば、いつも料理人やプロの菓子職人が作ったお菓子を食べ慣れているわけですし、素人の作ったものなんて食べたくはないですよね。
ミルティが作ったものならともかく、私が作ったものなんて、社交辞令で褒めるに決まっています。
「! まさかこれほどとは…。
ローズマリー嬢は、本当になんでもできるんですね」
クッキーを一口齧った殿下は、目を見開いて驚いた後、にっこり笑ってそう言いました。
…やっぱり社交辞令が返ってきました。クッキーはお気に召さなかったようです。
こんな時に限って完璧な王子様を演じなくてもいいでしょうに。
いえ、食べながら眉根を寄せていますから、我慢して食べているのが丸見えです。
私は、なんて愚かだったんでしょう。いくら殿下が裏表のない方だと言っても、こうして出されたら、嘘でも美味しいと言うに決まってるじゃないですか!
クッキーがお気に召さなかったせいか、いつものお茶会に比べて会話も盛り上がらず、クッキーもかなり残ってしまいました。
殿下は気を遣って
「これ、貰って返っても構いませんか?」
と言ってきます。
そんなに気を遣わなくてもいいのに。
「いいえ、殿下に残り物をお持たせするわけにはまいりませんから」
残ったクッキーを侍女に下げてもらい、後半の勉強会を始めましたが、殿下は妙に集中力を欠いています。
「殿下、そこ、違います。
どうなさったのですか? もう3回も同じようなミスが続いていますが」
「すみません、あの、さっきのクッキーですが…」
「殿下、気持ちを切り換えてください。
殿下は、ここにお菓子を食べにいらしているわけではないんですよ」
気に入らない出来だったのは申し訳ありませんが、集中できないほどですか?
「すみません…」
その後、少し集中力を取り戻した殿下との勉強会を終え、私は帰宅の途に就きました。
手に、お土産用のクッキーを持って。
殿下がお気に召したら、お持ち帰りいただこうと思って用意したのですが、お渡しするわけにはいきませんよね。
誰かに見られるのも嫌なので、こっそり持ち帰ります。
寮の自室に持ち帰って1人で食べたクッキーは、なぜか涙の味がしました。
私、どうして泣いているのかしら…。
わからないけれど、涙が止まりませんでした。
塩と砂糖は間違えていません。
マリーのもう1つの弱点。
それは、自分の能力に自覚が薄いこと。
マリーは公爵邸でも何度かクッキーを焼いていますが、そのたび周囲から褒められているのに、お世辞だと思っています。
実際は、店が出せるレベルです。
ちなみに、下げられたクッキーは侍女と厨房の皆さんが美味しくいただきました。
その辺は、裏22話で。
マリーは殿下に惹かれていますが、まだ、自覚はありません。
ミルティとネイクのために焼くはずだったクッキーだったのに、いつの間にかアーシアンのためのものにすり替わっていることにも。
泣きながら食べたのは、たった1つだけ作ったハート型。
マリーが自分の中の矛盾に気付くまで、あと僅かです。