裏21-1 公爵令嬢のお気に入り(ナシール視点)
時系列的には、長期休暇に入ってすぐ、前話でミルティがジェラード領を訪れる前になります。
俺は、この春、ジョアンナと結婚した。
ジョアンナは昔から俺に憧れていた……なんてことはなく、単なる縁繋ぎの政略結婚だ。
少なくとも彼女は俺に嫌悪感なんかは持っていないし、それなりに夫婦仲はいいと思う。
まぁ、商家の次女なんて、ハナから政略結婚するものと割り切っているところもあるから、否応ない話なのだろう。
かつての従業員だった親父のことも、ちゃんとお義父さんなんて呼んでるあたり、さすがだ。
結婚するに当たって、ドリストの親父さんには、ネイの飛び級やアイン坊ちゃんとの婚約のことは親父から伝えてあったようで、将来有望な俺との縁繋ぎというよりも官僚確実なネイの生家との縁繋ぎという感じになっている。
今ひとつ釈然としないが、俺もネイが官僚になったら、その辺は利用させてもらうつもりだから、仕方ないだろう。
俺達の結婚式にはネイも顔を出していたが、元々ネイとジョアンナにはあまり付き合いもなかったので、通り一遍の挨拶で終わっている。
で、6月頃、ネイから手紙が来た。
ゼフィラス公爵家のご令嬢に勉強を教えたら飛び級したとかで、ご令嬢を愛称で呼ぶことを許されたとか、王太子殿下の第2王子とも繋がりができたとか。
お前はどこのお貴族様だ!? 官僚になれるどころの話じゃない。
これもまた、詳しい話は帰ってからということになっていた。
その帰郷だが、今回はオークール子爵家の馬車で送ってもらわないらしい。
逆に、オークール子爵令嬢と一緒に、別の馬車で来て、子爵家の馬車とはうちの前で待ち合わせるんだとか。
普通の乗合馬車で来るはずはない。なにしろ子爵令嬢が一緒だ。
じゃあ、どこの馬車で来るんだ? アイン坊ちゃんか?
せっかく連絡をくれたのに、これじゃあ何のことかわからない。
ネイがこんな書き方をしてくる以上、敢えて伏せているのは間違いないが、今度は一体何だっていうんだ。
一応心の準備はしておいたつもりだったが、全然足りなかった。
まさか公爵家の馬車で来るとは。
馬車からは、まず子爵令嬢、それからネイの順に降りてきた。
おいおい、順番が逆だろう。なんでネイが後なんだ。
子爵令嬢に挨拶していたら、ネイの後ろから、小柄なお嬢さんが顔を出し、俺と目が合うと一瞬悪戯っぽい笑みを浮かべた。高位貴族の令嬢らしくない笑みだ。
お嬢さんが馬車を降りると、どこかで出番を待ってたんじゃないかってタイミングでオークール子爵家の馬車がやってきて、子爵令嬢は、俺とお嬢さんに挨拶して去っていった。
そして、ネイは
「ミルティ様、これが兄のナシールです。
兄さん、こちら、ミルトリア様。ゼフィラス公爵家のご令嬢よ」
とそれぞれに紹介した。
ああ、わかってたよ。馬車の紋で。なんで公爵家のご令嬢がお前を送ってきてくださるのかは、さっぱりわからないけどな。
俺は、精一杯恭しく、ご令嬢に挨拶した。
「お初にお目に掛かります。ネイクミットの兄で、ナシール・ティーバと申します。
この度は妹がお手を煩わせましたようで…」
「そんな挨拶はいいわ。ネイクの手を煩わせているのは私の方なのだから」
俺の挨拶は、ご令嬢にぶったぎられた。
「あなたがネイクの兄君? あなたがいなければ、ネイクは学院を受験できなかったと聞いてるわ。
あなたには感謝しているのよ。あなたのお陰で、ネイクは私達のところに来てくれたんだから。
感謝の印に、あなたにあげたいものがあるんだけど、その前に奥方にお話があるの。
こんな通りではできない話なんだけど、お邪魔して構わないかしら。ああ、お茶とかはいらないわ。護衛の毒味が増えるだけだから」
「これは気が利きませんで、どうぞこちらへ」
俺は、大口の商談用の応接室にご令嬢をお通しして、ジョアンナを呼びに行った。
ネイは、ご令嬢に言われて、ソファの隣に腰を下ろしていた。
ソファの後ろに、御者の隣に座っていたもう1人の少女が立っている。どうやらこの子が護衛らしい。
ジョアンナを連れてくる間に一応聞いてみたが、ドリスト商会ではゼフィラス公爵家とは取引などなく、呼ばれる理由は思いつかないそうだ。
それはそうだろう。
ネイが公爵令嬢をお連れしたんだと言ったら、少し顔色が悪くなっていたからな。
ジョアンナを連れて応接室に入ると、公爵令嬢は、俺達に座るよう促した。
「私はミルトリア・ゼフィラス。ネイクの友人よ。
あなたは、ドリスト商会の次女で間違いないわね?」
「は、はい、ジョアンナ・ティーバと申します」
「では、ジョアンナ、手紙でも何でもいいから、あなたの父君に伝えてちょうだい。
ヒートルースとの取引には気をつけるように、と。
正確に言えば、ニコル・ヒートルースに。
迂闊な物を売れば、後日、ドリストも責任を問われることになるわ」
ニコル様というと、ヒートルースの跡継ぎか。
去年の夏にネイが言っていた、襲ってきそうという話だろうか。
「口を挟むご無礼をお許しください。
ニコル様が何か危険なことをなさろうとしていて、そのための道具なりをドリスト商会から入手するかもしれないということでしょうか」
公爵令嬢は、にこりと笑って
「さすがはネイクの兄君ね。話が早くて助かるわ。
今のところ、はっきりした話ではないけど、子爵がどら息子を見限るのも時間の問題でしょう。
ただ、タイミング次第では、子爵家そのものが取り潰しに遭う可能性もあるわ。
どのみち爵位を継げる者がいなくては、先はないのだし。
そういうつもりで相対しないと、ドリストも波を被るわよ」
横目で見ると、ジョアンナが真っ青な顔をしていた。
無理もない。
実家が潰れるかもしれないと言われてるんだ。
「ああ、勘違いしないでちょうだい。
ヒートルースを切れと言っているのではないの。
取引の内容に気をつけなさいと言っているだけよ。
商会の1つや2つ、どうなろうと私には関係ないのだけど、ネイクの身内となれば、そういうわけにもいかないでしょう。
友人の悲しむ顔を見たくないから忠告しているの。
あなたの嫁ぎ先がネイクの実家でなければ、来年にはドリストはなくなってるところよ。
あなたの実家は見る目があるわ。娘をいいところに嫁がせた。
ああ、それと、さっき言った兄君への感謝の印ね。これを受け取ってちょうだい」
公爵令嬢がテーブルの上に置いたのは、白い封筒だった。
よく見ると、封筒には、ゼフィラス公爵家の紋が箔押しされている。
「これは…」
「ドリスト商会は、茶器も扱っているそうね。
自信のある茶器を持って、ゼフィラス公爵家へいらっしゃい。
門番にこれを見せれば、中に入れてもらえるわ。
その後は、あなた方次第ね。
持ってきた茶器がお母様の目に適えば、以後も出入りできるようになるわよ。
それじゃあ、私はこれでお暇するわ。
ネイク、また学院でね」
そう言って、公爵令嬢は席を立った。
馬車を見送る時は、親父やお袋も外に出てきたが、公爵家の馬車が客人を乗せてやってきたという噂が流れるのは、時間の問題だろう。
うちにとっての利益は、計り知れない。
ネイクの帰郷は、ミルティと共に。
ミルティの高圧お嬢様モードは、余所行きの顔です。
相手によって使い分けるので、いつもこんな高圧的なわけではありません。
次回裏21-2話は、ネイク視点でこの続きになります。