17 お祖父様との約束
予定どおり、王都に戻ってくると温室では蕾がほころんでいるところでした。
花が咲くのを待って受粉させます。
小さな頃、おばあちゃまのお手伝いをしていたことを思い出す、単調だけど楽しい作業です。
王都に戻った時、お祖父様のところにも顔を出したので、やっぱりお祖父様もお手伝いに来てくれました。
お祖父様はわかっている人なので、簡単に説明するだけで何をすればいいのか理解してくれます。
おばあちゃまのお話で、お祖父様が研究の理論と実践を求めていることがわかりましたから、できるだけお祖父様に伝わるように説明しました。
お祖父様は、理論そのものよりも、理論を形作る発想部分を聞くのがお好きなようです。
つまり、一見突飛なようでいて筋が通っているというようなギャップ──お祖父様が自分では考えつかないような理論を組み上げる発想を聞くのが好きなのです。
取り敢えず、今育てている第1世代に求めること、予想される性質、そこから第2世代を生み出す行程についてお話しました。
お祖父様は、とても喜んでくれました。
私ではなく、おばあちゃまでもなく、ただ実験と研究が好きなのだとよくわかります。
私がこんなことを言うのも変ですが、子供のような顔をして楽しそうにしています。
私とじゃれている時のミルティのような無邪気な顔です。
おばあちゃまは、研究している時、こんな風には笑いません。
同じように研究が大好きなのに、おばあちゃまは、こんなに楽しそうに笑いながら作業はしていません。
おばあちゃまがこんな嬉しそうな顔をするのは、おじいさまと一緒にいる時です。運命の人であるおじいさまと一緒にいる時の穏やかな笑顔。
お父様とお母様も、よくこんな笑顔で寄り添っています。
ああ、きっと、この顔には、運命の人と一緒にいられることへの幸せが溢れているんですね。
お祖父様は、研究が運命の相手なんです、きっと。
お祖父様の運命の人はお祖母様だけど、運命の相手は別にあってもいいんですよね。
私は研究が好きだけれど、こんな風に楽しんで研究しているでしょうか。
そういえば。
私は、ネイクといる時、お兄様といる時、こうやって心からの笑顔になっている気がします。もちろん、おばあちゃまと一緒の時も。
大好きな人、大好きなものと一緒にいると、こんな幸せな笑顔になるのでしょう。
じゃあ、私にとって、研究は何なんでしょう。
楽しいけれど、こんな笑顔にはなれません。
じゃあ、私はどうして研究が好きなんでしょう。研究は、運命の相手じゃないのに。
秋になる頃、第1世代のとうもろこしが実りました。
早速茹でてみて、お祖父様と一緒に食べてみました。
水があまりいらない品種との交配のものが一番甘くなっていました。
次は、これをベースに、甘い品種、大量に取れる品種、痩せた土地で取れる品種を更に交配してみましょう。
そんなお話をしていたら、お祖父様がとても喜んで、
「マリーが独自の研究を進める姿が見られて、本当に良かったよ」
と笑いました。
まるで、もう来ないみたいな言い方だったので聞き返したら、
「いや、第2世代がどうなるか、見に来るとも」
と言って帰って行きました。
お祖父様が倒れたという連絡が来たのは、3日後のことでした。
知らせに来たルージュに促されるまま馬車に乗り込み、ゼフィラス公爵邸に向かいます。
私が駆け付けた時、お祖母様以外は、お祖父様の部屋の外にいました。
叔父様も叔母様もミルティも、もうお別れはすませたということで、今は部屋にはお祖父様とお祖母様の2人だけです。
お母様のところにも知らせをやったそうですが、間に合わないだろうとのことです。
叔父様に促されて私がお祖父様の部屋に入ると、お祖母様からベッド脇に呼ばれました。
お祖父様の胸が小刻みに上下していて、とても苦しそうです。
「マリー」
お祖父様がとても優しい声で私を呼びました。
「ここしばらく、お前の研究を傍で見ていて、実に楽しかった。
夫人と同じ、私には太刀打ちできないような才能を感じたよ。
お前なら、きっと夫人に並ぶ成果を挙げるだろう。
研究所の名声は、本来なら夫人に与えられるべきものだ。
夫人の身の安全のためとはいえ、私は夫人の成果を不当に奪ってきた。
マリー、研究所の中なら、どんなものからもお前を守ってやれる。
どうか、研究所で、お前の名前で、画期的な作物を作ってほしい」
お祖父様が手を私の方に縋るように伸ばしてきました。
「お祖父様…」
私がその手を両手で握ると、お祖父様は苦しい息の中、私に話しかけてきます。
「セルローズ・ジェラードの名は出せなかったが、その分、ローズマリーの名を轟かせてほしい。
不世出の才媛の孫にして愛弟子ローズマリー・ジェラードは、セルローズ・ジェラードに比肩する成果を挙げたと世に知らしめてくれないか」
私が成果を挙げることがおばあちゃまのためになるのなら。
「お祖父様、お約束します。
私は研究所に入って、成果を挙げてみせます」
「ああ、ありがとう、マリー。楽しみにしている……」
沢山話をしたお祖父様は、苦しそうに息を吐き、そんなお祖父様の手をお祖母様が握りました。
呼吸が落ち着いた後、お祖父様はお祖母様に話しかけます。
「カトレア…お前には、世話を掛けっぱなしですまなかった」
いよいよだ…そう思った私は、部屋の外にいる叔父様達を呼びに行きました。
「叔父様…お祖父様が…」
私の顔を見て、状況を悟った叔父様は
「そうか…なら、最期は母と2人きりにしてやろう。
父は、マリーに、なんと言った?」
「研究所で、私の名で、研究成果を発表してほしい、と」
「それで?」
「お祖父様にお約束しました。
学院を卒業したら、私は研究所に入ります」
「そうか。
そうしてくれると、父も喜ぶだろう。
父は、叔母上の成果を素直に発表できないことをいつも気に病んでいたからな」
「お祖父様は、どうしてそんなに気にされていたのでしょう?」
「父は、根っからの学究肌だ。
裏表なく、成果は成果として発表したいんだ。
他人の成果を横取りなど、研究の強奪と変わらないと、いつも言っていた。
マリーの研究をマリーの名で発表できるのなら、それは父にとって喜ばしいことだよ」
「お祖父様は、おばあちゃまのことを本当に考えていてくださいました。
私は、そのお祖父様のお気持ちに報いたいと思います」
「ありがとう。そうしておくれ」
話をしていたら、お祖母様が部屋から出てきました。
「ありがとう。ゆっくりお別れできたわ」
お祖母様は、目を赤くしていましたが、穏やかな顔をしていました。
お祖父様と最期にどんな話をしたのかはわかりませんが、最愛の人ときちんとお別れできたのでしょう。
私は、おばあちゃまの名誉を守るために、研究所に入らなければならなくなりました。
おばあちゃまと一緒にいられないのは嫌だけど、おばあちゃまのために私ができることがあるなら、そうしたいのです。
おばあちゃまに言ったら、きっと、そんなことは気にしなくてもいいって言うでしょうけれど、私がそうしたいのです。
おばあちゃまのために、おばあちゃまと離れて暮らす。
矛盾しているようですが、私にもやりたいことができました。
そんなわけで、サイサリス退場です。
まだ自発的と言うには弱いですが、マリーは名声のために研究するという方向に舵を切りました。
次回裏17話は、「最期の誓い(カトレア視点)」です。