裏15 マリーの弱点(カトレア視点)
無敵のマリーにも弱点がありました。
マリーにつけている影から、報告が入りました。
パスール・スケルスがマリーにつきまとっていると。
身辺を洗わせたところ、どうやらパスールは、幼い頃からドロシーの学院時代の絵姿に憧れていたとのこと。
幼い頃のドロシーにそっくりなマリーに、その憧れを投影しているのかもしれません。
野心を持ってマリーに近付いたのでないなら、本来はこちらから手を出すべきではないのですが、予想以上にマリーが困っています。
男性に免疫がなかったところに、学院で多くの男性に言い寄られたことで、アレルギー反応を起こしているようです。
今のマリーでは、このままだと潰れてしまいかねません。
仕方ありませんね。
少々手荒ですが、排除するとしましょう。
私は、パスールを我が家に呼び出し、旦那様からパスールに釘を刺してもらうことにしました。
呼びに行かせたのは、来年ミルティが学院に入学する時に護衛となる予定のルージュ。
ルージュは、ベルモット伯爵が育てた密偵の1人です。
ゼフィラス公爵家の跡取り娘であるミルティの護衛という触れ込みで、学院内に送り込むことになっています。
先日の暴漢騒ぎのお陰で、ミルティが護衛を連れて歩くことを学院側に認めさせることができました。
もちろん、ミルティの護衛もやってもらいますが、本当の目的は、他人に見られても困らない状態でマリーの護衛をすること。
今マリーについている影は、いずれも男性ですから、余程の非常事態でなければマリーに近付くことができません。
かといって、侯爵令嬢であるマリーが堂々と護衛を連れ歩くわけにもいきません。
そこで、ミルティの護衛名目で、女性であるルージュを送り込むのです。
幸い、ミルティはマリーに懐いていますから、放っておいても、学院に入ったらマリーの傍にいることが多くなるでしょう。
今、ルージュには、ミルティとの顔合わせも兼ねて、我が家に出入りさせていますから、一仕事頼むとしましょう。
旦那様の演技も堂に入ったものです。
今回は、旦那様の兄君の孫であるパスールに対して、ゼフィラス公爵家の方がスケルス公爵家より立場が上であること、マリーが未来の王妃にさえなれる血筋であることを強調する形でシナリオを作りました。
パスールは、なまじ血筋がいいだけに、より上位の血統から頭ごなしに叩かれれば引くと読みましたが、当たったようですね。
今のマリーには、大きな弱点があります。
能力に関しては、申し分ありません。
セリィをして自分以上の才能と言わしめたほどですもの、誰も太刀打ちできないでしょう。
マリーの弱点は、心の幼さです。
マリーは、野心も理想も何もなく、ただセリィに対する思慕だけで研究者を目指しています。
言い換えれば、マリーはセリィのために研究するのです。
恐ろしく純粋で、脆い動機です。
セリィも、ジェラード侯爵のために研究しています。
彼女が領地を離れられない唯一の理由は、夫と離れたくないという、ただそれだけ。
一見、マリーと同じ理由に見えますが、実は大きく違います。
セリィとヴァニラセンスは1歳違いの夫婦であり、セリィはジェラード侯爵領を富ませるという目的を持って研究しています。
つまり、研究成果に対して合理的な欲望があるのです。
対してマリーは、セリィに褒められたい、セリィと共にありたいという慕情から研究しています。
セリィを超えたいというのならいいのですが、マリーはセリィの傍にいたいだけ。
マリーが研究するのは、それがセリィと一緒にいられる一番大きな理由になるから。そして、研究が上手くいくとセリィが褒めてくれるからに過ぎません。
極端な話、セリィが褒めてくれるなら、そしてセリィの隣にいられるなら、マリーは家で刺繍をするだけの生活でも全く不満を持たないのです。
その気になれば、何科目でも飛び級できるだけの才能を持ちながら、敢えてセリィと同じ3科目に抑えたのも、そう。
兄オルガとの兼ね合いで、「二段飛び級は植物学だけ」とセリィと約束していなければ、セリィと同じになるために、算術でも飛び級していたでしょう。
これで、もしセリィがいなくなったら…。
セリィももうすぐ50歳、10年後にはどうなっているかわかりません。
それでなくても、ノアを産んだ時に体を壊しているのですから。
セリィがいなくなったら、きっとマリーは研究をやめてしまうでしょう。
それでは、いけません。
セリィも、そんなことは望まないでしょう。
マリーの純粋な一途さは、旦那様の研究への情熱に、とてもよく似ています。
研究結果に実益を求めない純粋さは、旦那様の特徴ですが、それでも、旦那様は自分のために研究していました。
結果に利益を求めずとも、望む色のバラを咲かせること、それ自体が旦那様の目的でした。
マリーには、それさえありません。
能力はあっても、その能力で何をしたいという目的がないのです。
自分の中から湧き上がる理由で研究すること、それが当面のマリーの課題です。
マリーを研究所に迎えることは簡単です。
セリィを、夫ごと王都に呼べばいいのですから。
ノアに爵位を譲りさえすれば、2人で王都に出てこられるのです。
屋敷くらい、用意するのはたやすいこと。それでセリィが王都に来てくれるなら、安いものです。
でも、それでは一時凌ぎにしかなりません。
結局、自分のための理由を見付けられなければ、いずれマリーは研究をやめてしまう。
今回、パスールは、旦那様の前に引き下がりました。
けれど、旦那様が亡くなれば、きっとまたマリーの前に現れる。
その時は、もう陛下にお願いする以外に方法はないでしょう。
陛下にとって、今のマリーは御しやすい金毛の羊、飼っているだけで定期的に金の毛を刈り取れる存在に見えているはず。
マリーにつけている影は、元々王家のものですし、当然、私のところに来ている報告と同じものが陛下のところにも行っています。
陛下は、奇蹟の再来を研究所に迎え入れ、陛下の意を受けて研究するよう懐柔するおつもりでしょう。
先日のフォスター侯爵家の件では、陛下のお怒りはとても強いものでした。
孫を害されそうになった私達よりも、陛下の方が強くお怒りになり、私はむしろ取りなす側に回ることになってしまいました。
単に飛び級しただけのマリーに、陛下が拘っていることを衆目に晒してはいけません、と。
二段飛び級した今、陛下は本格的にマリーに注目しているはずです。
卒業したら、どんな手を使ってもマリーを研究所に迎え入れるでしょう。
今回パスールに言った、マリーが王太孫の妃候補というのは今のところは嘘ですが、近いうちに本当になります。
セリィの身の危険をほのめかされたら、たとえそれがハッタリであっても、マリーは断ることはできません。
そうなる前に、マリーが1人で立てるようにしてあげなければ、
陛下が、保護する価値があると認め、なおかつ無理強いできないだけの強い動機を見付けさせてあげなければ。
旦那様が研究所に顔を出すことで、マリーが自分のために研究することの喜びを見付けてくれるといいのですが。
研究を語り合う時の、あの人の子供のような笑顔…私が愛してやまないあの笑顔の価値を、感じてくれさえすれば。
暗躍する内助の功:カトレアです。
もちろん、マリーがかつてのセリィの研究室を使えるのも、カトレアの仕込みです。
王は、いつでもマリーを保護してくれますが、当然、国のためにです。
純粋にマリーのためを思って動いているわけではありません。
行動原理が不明なセリィは操縦できませんが、マリーなら操縦できます。
卒業を待って研究所に入れる気満々です。
カトレアは、マリーが誰にも操縦できないくらい強く自分の道を歩けるようになることを求めて、色々促しています。
なお、セリィがノアを産んだ際に体を壊したというのは、前作の後日談の登場人物紹介で、リリーナの結婚式にセリィが産後の体調の問題で行けなかったという辺りのことです。
リリーナの結婚が決まる前にノアが産まれているのに、どうして結婚式に出られなかったかというと、数か月まともに動けないほどに産後の肥立ちが悪かったのです。
一応、少々病弱という程度に回復しましたが、セリィはもう子供を産めない体になっていました。
ノアに弟妹がいないのは、そういう理由です。