裏14-2 夢の実現(サイサリス視点)
パスールが帰ると、カトレアが応接室にやってきた。
「お疲れ様でした」
「及第点は、もらえそうかい?」
「及第などと…十分以上に上手くいきましたわ、あなた。
これで、彼はマリーに近付くことはできなくなりました」
そうか、それならよかった。しかし…。
「兄上に言って抑えてもらう方がよかったんじゃないのかい? その方が話が早かったという気がするんだが」
「たしかに早いでしょうが、マリーの才能を潰してしまう恐れがあります。
陛下にお願いするのは、道ができた後でなければいけません」
「道?」
「そうです。
マリーの才能は素晴らしいものですが、1つ大きな弱点があるのです。
今そこを突かれると、マリーの研究者としての未来が潰えてしまいます」
「潰える? どうして!?」
「マリーに婚約者がいないのと同じ理由です。
あの子は、自分の心に素直なのです。
自発的に動く分には、誰より成果を挙げるでしょうが、人に強制されるとやる気を失います。
研究は、熱意なしに臨めません。
マリーは、セリィと一緒に研究したいという思いで動いています。
二段飛び級したのも、セリィと同じ成果を求めた結果に過ぎません。
今、陛下に対処を求めるということは、マリーに研究所に入るよう強制することに繋がります。
研究所入りを強制され、セリィと引き離されたら、あの子は研究に対する熱意を失うでしょう。
研究で成果を挙げれば挙げるほどセリィと離れるなら、二度と研究しないとまで思い詰める危険があります」
相変わらずカトレアの言うことは難しいが、今は大雑把にはわかるようになってきた。
「つまり、マリーは夫人と一緒でなければ、研究に打ち込めないということかな」
「そうです。
さらに言うなら、セリィはジェラード侯爵から離れませんから、マリーも卒業後はジェラード侯爵領に戻ることになるでしょう。
セリィから学ぶことは多いでしょうし、マリーの成長のためには喜ばしいことと思いますわ」
「夫人に続いて、マリーも領地に引っ込むのか…。
なんとか2人で王都に出てきてくれないものかな」
もう何度もカトレアに願い、無理だと言われてきたことだが、私は言わずにいられない。
2人が素晴らしい発想で研究し、奇蹟のような新作物を生み出す瞬間をこの目で見ていたい。
残された僅かな時間では、マリーの卒業すら見届けられそうにないのが口惜しい。
「いずれは王都に出てきてもらえるでしょうが、それには準備が必要です。
一朝一夕にはいきません。
マリーの才能は、いくつもの条件が複雑に絡み合う絶妙なバランスの上で成り立った、ほとんど奇蹟のようなものです。
どこか1つでもバランスを崩せば、あの奇蹟の才能は輝きを失ってしまいます。
慎重の上にも慎重に、あの子が自発的に動くよう環境を整えてあげなければ。
今のところ、あの子にとって一番大切なのは、セリィの傍にいることなのです。
かといって、ジェラード侯爵から引き離したら、セリィが倒れます。
セリィにとって、夫と長く離れることは、身を切るように辛いことです。研究どころではなくなります」
「難しいものだな」
「セリィが王都に住む唯一の方法は、夫婦揃って移り住むことです。
そのためには、爵位をノアに譲ってもらうしかないでしょう。
少し時間が掛かりますが、マリーが卒業するまでにそうできるよう、手を打っているところです。
そうしたら、また学院時代のように、4人で食事でもいたしましょう」
カトレアが無理に明るく振る舞っているのがわかるくらいには、私も人の気持ちを読めるようになったのだろうか。
「ところで、マリーの研究を手伝いに行ってみたいのだが、いいかな」
マリーが卒業するのを待てない以上、私が学院に出向くしかなさそうだ。
「ええ、それは問題ないでしょう。
マリーのお許しを得る必要はありますが」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、カトレアが言う。
こういう笑みを浮かべる時は、本当に問題がないし、カトレア自身が賛成している時だ。
「そうか、マリーが認めてくれないと駄目か」
「ええ、そうです。
『この程度では、私の助手は務まりません!』と言われるかもしれませんわ」
「では、せいぜい役に立つところを見せるとしよう」
夫人と一緒に研究することは、若い頃から私の夢だった。
私も大概突飛な発想をすると言われたが、夫人の発想はその上を行っていた。
しかも、理路整然とした方法論に裏打ちされ、結果を出すのだから、驚異的だ。
研究者として太刀打ちできないほどの差を見せつけられ、私は彼女の才能に憧れた。
カトレアのお陰で、彼女との繋がりを保ち続けられたが、彼女の傍で研究を見守ることは、遂にできなかった。
マリーという新たな才能の宝庫を見付けたことは嬉しいが、マリーが巣立つまで私の命はもちそうにない。
ならば、せめて、体が動くうちに、マリーの傍で研究を見守りたい。
私のそんな思いを、カトレアは汲んでくれたのだろう。
「カトレアも一緒に行かないか」
「いいえ、あなたお一人の方がよろしいかと。
もちろん、護衛は連れて行っていただきますが」
翌週、私は、ようやく念願を果たした。