14 虫除け
ああ、もう、鬱陶しい!
二段飛び級して、ようやく研究室と温室を与えられたというのに、研究に集中できません。
毎日毎日入れ替わり立ち替わり、お茶だ食事だと誘いに来る人達が後を絶ちません。
私が8歳の頃に婚約をお断りしたような方々が、当たり前のようにやってきます。
とっくにお断りしたはずですと言っても、それは家同士の話だから、自分個人を見てほしいとか言ってきます。
その前に、私個人を見たらどうなんですか!
幸い、と言っていいのか、先日のフォスター伯爵の一件があったので、暴力に訴える方は出ていませんけれど。
お断りすると、その場は引き下がってくれるのですが、翌日にはまた声を掛けてくるので、ちっとも話が進みません。
ネイクは、アインさんと一緒にお出かけしたり勉強会をしたりと、充実した日々を送っているというのに、どうして私はこんな日々を送ることになっているのでしょう。
二段飛び級したら、研究に没頭できると思っていたのに!
誰かが研究室の前で待ち伏せしていました。
初めて見る人です。
「よ、俺はパスール・スケルス。君とは血縁だ」
スケルス?
「スケルス公爵家というと、お祖父様の兄君が入られた家でよろしかったでしょうか」
「そうそう。
えらくデキがいいって評判のハトコ殿を見に来ただけだから、そんなに警戒しなくていい。
少なくとも、君を利用して官吏を目指そうなんて、これっぽっちも思ってないから。
知ってるだろ? 公爵家には年金が入るから、あくせく働く必要はないって」
確かに、領地を持たない貴族の中で、公爵家だけは官吏にならなくても爵位を世襲できるし、一定額の年金も入りますから、私を利用する意味は薄いでしょう。
「なるほど。
お初にお目にかかります。ローズマリー・ジェラードと申します」
「君、随分と男に言い寄られて困ってるらしいじゃないか。
なんとかしてやろうか?」
「なんとかとは、どういうことでしょう」
「要するに、虫除けかな?
俺が一喝すれば、大抵の奴は寄らなくなると思うぜ」
「その場合、あなたのメリットはなんでしょう」
「君の笑顔を独り占めできる」
「お戯れはおやめください」
「冗談で言ってるわけじゃない。本気で、君を気に入ったと言ってるんだ。
君、母君の絵姿って見たことあるか?
最近のではなくて、十代の頃の」
「結婚当時のものなら」
「今度よく見てみな、君とそっくりだ。
知ってるか? ドロフィシス・ゼフィラス公爵令嬢といえば、学院時代、男達の憧れの的で、女神なんて呼ばれてたそうだぞ。
俺も学院時代の絵姿しか見たことはないが、君は当時の母君に生き写しだ。
君に言い寄ってくる男どもの中には、利害じゃなくて君の美しさに惹かれた奴ってのも多いんじゃないか」
「母に似ていると言われるのは嬉しいですが、外見に惹かれたと言われても喜べませんわ」
「まず外見に惹かれて、それからってのもアリだと思うがね、俺は。
君の顔は、君個人のものだろう? 君の表情は、君の内面からにじみ出るものだ。
それに惹かれるってのは、君個人に惹かれるってのと同義じゃないのか?
まぁ、君が男に興味がないってことはよくわかった。
別に、焦る必要もない。
今日のところは、これで消えるとするさ。
また、近いうちに」
スケルスさんは、言いたいことを言って去っていきました。
私の顔、ですか。
お母様に似ていると言われるのは確かに嬉しいですが、外見が気に入ったと言われても、ねえ…。
本当にスケルスさんが何かしたらしく、私に言い寄ってくる人が途絶えました。
その分、スケルスさんが、3日と空けずにお茶に誘いにやってくるようになりました。
肩書きに寄ってくる人に比べればまだマシですが、こうもしつこく誘われると、はっきり言って迷惑です。
かといって、他の方々をどうにかしてくれた手前、毎回断るというわけにもいかず、3回に1回くらいはお茶に付き合わされています。
お陰で、研究室にいられる時間が減っています。
ああ、もう! 今日は、早く切り上げてネイクと勉強会をする日なのに。
私では、公爵家子息のスケルスさんには強いことが言えません。
週末にミルティを訪ねがてら、お祖母様に相談してみましょう。
週末、私はゼフィラス公爵家を訪ねました。
いつものように門をくぐると、何か違和感を感じます。
なんでしょう、妙に懐かしいような…。
不思議に思いながら屋敷の扉まで行くと、いきなり扉が開いてミルティが飛び出してきました。
「お姉様! いらっしゃい!」
どうやら、窓から私の姿を見付けて、部屋から駆けてきたようです。
輝くような笑顔が眩しいですが、来年学院に入学する淑女として、これはいただけません。
「ミルティ、公爵家の令嬢が扉を開け放って飛びついてくるなんて、はしたないですよ」
「ごめんなさい。お姉様。
お姉様に久しぶりに会えると思ったら、つい…」
私は、メイドに頼んで、お祖母様に面会を申し入れてもらい、それまでミルティとお茶を飲むことになりました。
「お姉様、二段飛び級、おめでとうございます。
お姉様ならきっとできると、私、信じてました」
「ありがとう、ミルティ。
やっと研究室に入れたわ」
「お姉様、やっとって、まだ学院に入って2か月ですわ。
普通は、2年掛かるんですよ」
あ…そうでした。
「ごめんなさい、つい、気が急いちゃって。
早くおばあちゃまのところに帰りたいものだから」
「お姉様があんまり早く卒業してしまわれると、私が一緒にいられる時間がなくなってしまいます。
1歳しか違わないのに、このままでは学院では3年しか一緒にいられません」
考えてもみませんでした。
そうか、私は、早くおばあちゃまのところに戻ることばかり考えて、ミルティのことは考えていなかったのですね。
でも…私は、早く卒業して、おばあちゃまと研究したいのです。
なら、せめてミルティとは、卒業までなるべく一緒にいてあげましょう。
「ミルティ、私が卒業しても、会えなくなるわけではありませんよ。
でも、ミルティが入学してきたら、なるべく一緒に過ごすようにしましょうね。
それなら寂しくないでしょう?」
「…わかりました。いつも一緒ですよ?」
ミルティは、一応納得してくれたようです。
そんな話をしていたら、お祖母様のお時間が空いたようです。
「まずは、二段飛び級おめでとう。
旦那様もお喜びでした。
さすがはセリィの愛弟子だけのことはあります」
「ありがとうございます。
今日は、お願いがあって参りました」
「パスール・スケルスのことですね」
「! どうしてそれを?」
「マリーが私に用と言えば、困ったことがあって助けを求めに来たと考えるのが筋です。
随分としつこいようですね」
「そうなんです。
最近は、スケルス公爵家のご子息が毎日のように来るんです。
公爵家の方ですし、お母様の従兄の方のお子様ですし、簡単に話を切り上げることもできなくて、研究に支障が出ています。
「パスール・スケルスについては、あなたでは手に余るでしょうね。
こちらで少し動きを抑えましょう」
「ありがとうございます、お祖母様」
お祖母様が何をしてくれたのかはわかりませんが、スケルスさんが私につきまとうことはなくなりました。
これで、やっと研究に集中できます。
おばあちゃま、マリーは頑張ります!
懐かしい違和感の正体、それはマリーの来訪を伝えに来ていたクロードの気配…。
マリーが予想より早く来たため、クロードは慌てて気配を消して隠れました。
パスールに何があったかは、次回、パスール視点にて。
あっという間の退場ですが、もちろん、これで終わりではありません。