裏13-1 「不世出の才媛」の再来(オルガ視点)
マリーが二段飛び級した。
僕もお父様もできなかったのに。正直言って妬ましい。
植物学だったってことが、せめてもの救いだ。
これが簿学や算術だったら、僕は本当にマリーを妬んでいたかもしれない。可愛い妹なのに。
マリーは、経営学を取っていない。
領地を継ぐわけじゃないし、マリーの希望はお祖母様と一緒に研究することだから。
マリーは、元々領地を出ることが少なかった…というより、王都のお祖父様を訪ねる時以外は領地を出なかったから、その存在自体を知られていなかった。
農業主体の領地貴族は、さすがに我が家に女の子が生まれたという情報をいち早く手に入れて、マリーが8歳になる頃には、こぞって婚約を申し入れてきたけれど。
そんなわけで、マリーが学院に入学して暫くは、静かなものだった。
そのうち、社交の講義などからマリーの名前が流れ始めた。
それはもう、お父様の言っていたとおり、「3科目飛び級したオルガ・ジェラードの妹らしい」「不世出の才媛の孫がもう1人」「娘もいたのか」「既に3代にわたって3科目飛び級しているが、今度はどうだ」など、噂が飛び交っていた。
そのうち、「いつも令嬢に囲まれて歩いている」「婚約者はいないようだ」「平民の娘とよく一緒にいるらしい」なんて話が聞こえてくるようになった。
平民の娘というのは、マリーがよく話題にするネイクという子だろう。
僕は会ったことはないけれど、マリーの口から出てくる友人の名は、そのネイクという子と、その婚約者のヒートルース子爵子息の2人だけだ。
なんでも、2人は幼なじみで、7歳の時に学院での再会と結婚を約束して別れ、本当に学院で再会してすぐに婚約したんだそうだ。
貴族と平民の子が幼なじみという時点で嘘くさい話だけど、マリーはその話を信じているらしい。
相変わらず恋愛に夢を見ていて微笑ましい。
僕やお祖母様の絡まないことをあんなに嬉しそうに話すマリーは珍しいから、本当に仲の良い友人なんだろう。
マリーが言うには、お祖母様にも学院時代に平民の友人がいたんだそうだ。
そんな話、僕は聞いたことないけど、マリーしか知らないお祖母様の昔話は沢山あるから、きっとそうなんだろう。
なんにせよ、仲の良い友達ができたようでよかった。
1か月が過ぎて、マリーが飛び級した。
簿学と算術と植物学だ。
その頃から、マリーに関する噂を聞く頻度が上がった。
「やっぱり3科目飛び級した」「今度こそ二段飛び級するか」「さすがにそれは無理だろう」「言い寄る男を片っ端から切り捨てているらしい」などなど。
そういえば、ジーンは一度マリーと2人で食事に行ったけど、その後は誘うことすらできないでいるらしい。
食事の時に酔っぱらったらしくて、それで距離を取られてしまったようだ。
騎士団志望の院生は、一緒に酒を飲んで連帯感を高めるというのを好むそうだけど、さすがに12歳の女の子とそれは無理だと思う。
第一、ジーンは僕とだって一緒に酒を飲んだりしていないのに、どうしてマリーにそんなのを求めたんだか。
まあ、あの時は酔っぱらって外で寝てしまったらしいし、マリーの前でも大分醜態を晒したんじゃないだろうか。
マリーは、相変わらず男を寄せ付けない。
そのせいで、この前、事件が起こった。
マリーがフォスター侯爵家の嫡男に、ナイフで襲われたんだ。
無事だったからいいけれど、一歩間違えばマリーは死んでいたかもしれない。
フォスター侯爵家というのは、マリーがまだ小さかった頃に、婚約を申し入れてきた家の1つで、農業が盛んな領地を治めている。
当然、すぐに断ってしまったそうだけど、そんな家の嫡男が、今更マリーに言い寄ってきたのが原因だったそうだ。
いつものようにマリーが全く相手にしなかったものだから、彼は立ち去ろうとするマリーにナイフで襲い掛かった。
マリーが持っていたバッグで身を庇い、たまたま鋲に刃が当たったお陰で、怪我をせずにすんだらしい。
このことは、すぐにジェラード侯爵家とゼフィラス公爵家に知らされ、うちのお祖父様から厳重に抗議したらしい。
詳しい経緯はよくわからないけれど、あっという間に子息は退学の上廃嫡、フォスター侯爵家も伯爵に格下げされたそうだ。
廃嫡は当然としても、爵位まで下げられちゃうんだな。
偶然鋲に当たったから怪我をせずにすんだけど、普通なら大怪我してるところだ。
僕なんかじゃ暴漢から守れるほどの腕はないけど、少しマリーの周辺に気を配った方が良さそうだ。
そうそう、マリーの友人のネイクも簿学で飛び級したと話題になっていた。
平民の女子では初めてだし、同じ科目で2人も飛び級するのも初めてだったから。
しかも、マリーがネイクに勉強を教えていたというのも噂になっている。
「平民の娘が、ジェラード侯爵令嬢に教わって飛び級した」って感じで、マリーの手柄みたいな言われ方をしている。
たった一月マリーに教わったくらいで飛び級できるわけがないから、ネイクって子は、元々優秀だったんだろう。
それで、「飛び級した平民は、ヒートルース子爵家が手に入れた」って噂になっていた。
マリーは、飛び級する前から2人は婚約していたのにと言って怒っていたけど、まあ、普通に考えてそんなことあるわけないから仕方ないよね。
で、どういうわけか、その2人を中心に大規模な勉強会が開かれるようになったらしい。
官吏志望者が集まって、お互いに得意なことを教え合う集まりだそうだ。
みんな登用試験では競争相手になるんだろうに、敵に塩を送り合う集まりというのは、不思議な感じがする。
とは言え、その勉強会は評判がいいみたいだ。
ことに、学院からのウケがいい。
そりゃあ、官僚候補を育てるために学院があるんだから、優秀な院生が増えることなら大歓迎なんだろうけど。
主催者であるヒートルース子爵子息は、随分評価が上がったらしいけど、それだけで官吏になれるものじゃない。
ライバルを助けて自分が登用試験に落ちたら元も子もないけど、その辺は大丈夫なのかな。
そんな1か月の後、マリーが二段飛び級した。
周囲からの期待のプレッシャーなどないかのように平然と。
さすがに、僕に報告に来た時は満面の笑みだったけど。
それにしたって、二段飛び級したことの喜びというよりは、お祖母様と同じことをできたことへの喜びって感じだった。
お父様が言っていた「大好きなお祖母様に褒めてもらえるのが嬉しくて才能が目覚めた」っていうのは、こういうことなのかもしれない。
マリーは、王都のお祖父様のところにも報告に行って、随分褒められてきたみたいだ。
そして、学院では、二段飛び級の噂で持ちきりだ。
「2人目の二段飛び級が出た」「不世出の才媛の孫が奇跡を起こした」「不世出の才媛の再来だ」などなど。
正確には、お祖母様は、植物学と算術の2科目で二段飛び級しているから、マリーはお祖母様に並んだわけじゃない。
でも、たとえ1科目でも、お祖母様以来36年ぶりとなった二段飛び級が、その孫娘によってなされたというのは、かなりのインパクトだったと思う。
確かに、マリーはお祖母様の後継者に相応しい力を示した。
ジェラード侯爵家の後継者としてじゃなかったことにホッとしている僕は、器が小さいんだろう。
僕とマリーの違いは、いったい何だろう。
マリーは、お祖母様と研究したくて頑張った。
それじゃあ、僕は? 何のために勉強しているんだろう。
領地を継ぐため? でも僕は、何もしなくても継ぐことが決まっている。
もちろん、継ぐだけで終わりじゃないのは、わかってる。
お祖母様はお祖父様のために。お父様はお母様のために。マリーはお祖母様のために。
みんな、目標があって頑張った。
じゃあ、僕は何を目標にすればいいんだろう。
それさえ見付かれば、僕も成長できるんだろうか。
僕は、マリーに、兄として胸を張れる男でいたい。
とりあえず、今はそれを目標にしてみよう。
マリーの二段飛び級を心から祝福してあげられるように。
ようやく、二つ名の「奇蹟の再来」が出てきました。
兄オルガは、よく言えば繊細、悪くいえば線が細いタイプのため、大事にされて育ってきました。
自分の立ち位置や、目指す方向について、ようやく目を向けることになります。
いささか遅い感もありますが、まだ14歳ですから、まだまだ挽回できるでしょう。
次回は、ようやくパスール・スケルスの登場になります。
これで、前作で予告されている4つのイベントの2つ目です。