裏12-2 子爵家の跡継ぎ(ニコル視点)
今回は、アインの兄:ニコル・ヒートルースの視点です。
なお、裏11-3話と12話の間に、本作における貴族制度の解説を置いておきましたので、参考にご覧ください。
まったく、どうしてこんな複雑なシステム作ったんだか…(遠い目)
俺は、ヒートルース子爵家の嫡男として生まれた。
幼い頃から、父に「ヒートルース子爵家を継ぐのはお前だ」と言われて育ったし、周りもそのように接してきた。
1歳下の弟がいたが、弟と俺は至る所で扱いが違っていて、俺の幼い自尊心を満足させてくれた。
1歳違いということもあって、アインが着るもののほとんどは俺の着古しだ。
その他の道具にしても、ほとんどは俺の使い古しで、アインのために新しく買ったものなど、そう多くはない。
嫡男と次男の差ということもあるし、我が家がさほど裕福ではないということもある。
我が家は、祖父の時代に子爵位を得た。
官僚貴族は、領地貴族と違い、役職と爵位に応じた俸禄以外に収入源を持たないから、あまり贅沢をするわけにはいかないのだ。
もちろん、王城からの俸禄は、平民から見れば十分高額だ。子爵ともなればなおのこと。
しかし、その分、貴族は体面のための支出も大きいから、無駄使いするわけにはいかない。
そして、俺が登用試験に受からなければ、我が家は父の退官と同時に爵位を失うことになる。
だから、俺は7歳になると同時に家庭教師について学び始めた。
アインは、時折街に出て好き勝手やっていたが、俺にはそんな暇はないし、そんな勝手が許される立場でもない。
やがてアインも7歳になり、俺と同じ家庭教師から学ぶようになった。
2人も家庭教師を雇うわけにはいかないから、当然のことと言える。
アインも学ぶようになって暫くした頃、俺は父の書斎に呼び出された。
「ニコル、もう少し本腰を入れて学べ。
家庭教師から、成績が今ひとつだと報告が来ている」
「別に、不真面目にやっているつもりはありません」
「ならば、尚のことだ。
今のままでは、登用試験には受からんぞ。
そうなればどうなるか、わかっているな」
官吏になれなければ、俺は嫡男としての意味と立場を失う。
当面は父の俸禄で食っていけるだろうが、俺は平民になってしまう。
「わかっています」
「ならばよい。精進しろ」
最悪の未来を示唆された俺は、それからは以前にも増して励んだ。
学院に入学して1年が経とうとしている。
俺の成績は振るわず、家に戻るたびに父から小言を食らうようになった。
「わかっているんだろうな。
今の成績で、登用試験を通れるのか?」
「精一杯やっております」
「そうか、それならいいが、登用試験に通れなければ、家を出て1人で生きていくことになるから、覚悟はしておけよ」
「家を出る…ですか?」
「爵位返上となれば、わずかな年金で暮らさねばならん。
無駄飯食らいを飼っておく余裕はないな」
無駄飯食らい? 俺は、嫡男だぞ。俺を追い出して、アインにでも継がせるつもりか。
「では、アインはどうするのです?」
「あれは、どのみち学院卒業と同時に家を出ることになっている。
援助もせんが口出しもしない。
好きに生きて行けばよかろう。
問題は、跡継ぎであるお前の体たらくだ。
巻き返して見せてくれるのだろうな。
楽しみにしておるぞ」
「わかりました」
家を…追い出される? 嫡男の俺が?
そんなバカなことがあってたまるか!
アインが入学してきた。
講義棟の自習室で、平民の娘と一緒にいるのを見かけたので、その後も様子を探っていたら、週に一度そうしているようだ。
しかも、様子を見る限り、平民の娘に教わっているように見える。
アインめ。官吏になるためなら、平民にさえ頼るか。
情けない奴だ。
会話からすると、娘の名前はネイクミットというらしいが、無論、知らない名だ。
俺に平民の知り合いなどいないからな。
1か月が経った。
俺達の学年では出なかった飛び級が2人も出たそうだ。
しかも、2人とも女だとか。
1人は、ローズマリー・ジェラード。3科目飛び級するので有名なジェラード侯爵家の令嬢らしい。
彼女も、やはり3科目飛び級した。
どうやったらそんな成績を取れるのか、教えてほしいものだ。
まあ、領地貴族の侯爵令嬢では、声を掛けるのも憚られるから、どだい無理な話だが。
もう1人は、ネイクミット・ティーバ。平民だそうだ。
どこかで聞いたような名前だと思ったら、アインの奴が一緒にいた娘じゃないか。
アインめ、どういうことだ。
一緒にいたのは、入学してすぐの頃だ。まさか飛び級するのを見越していたのか? いや、さすがにそんなことは不可能だ。それにしても、いつの間に知り合った?
そうこうするうちに、プライドの欠片もない奴らが、平民の娘に取り入ろうとしては断られているという噂が聞こえてきた。
なんでも、娘は、ヒートルース子爵家の子息と婚約していると言って断っているらしい。
つまり、アインとってわけか。
あいつめ、うまくやりやがって。
平民とはいえ、飛び級したというなら、官吏になれるのは間違いない。
いや、待て。
官吏と結婚したからって、あいつが爵位を継げるわけじゃない。
あいつが爵位を得る一番簡単な方法は、娘しかいない官僚貴族家に婿入りすることだ。
あいつの人脈には、貴族の令嬢はいない…だからか。
なるほど。
優しい兄が、跡継ぎ娘を紹介してやろうじゃないか。
そして、小娘は噂どおり、ヒートルース子爵子息である俺と結婚すればいい。
たしかモラーテ・キューレル子爵令嬢は、跡取り娘で、有望な婿探しをしていたはずだな。
「兄上、そんなにいい令嬢を見付けたのなら、あんたが娶ったらどうだ?
いいか、ネイクは俺が自分で見付けた伴侶だ。
誰にも渡さん。
奪おうというなら、それなりの覚悟をしてもらうぞ」
くそ、何を偉そうに。
せっかく俺が労せずして子爵位を得られる相手を見付けてやったというのに。
キューレル嬢に、なんと説明すればいいんだ。
「ヒートルース様、先日のお話は、その後どうなっておいででしょうか?」
まずい、キューレル嬢…。なんと言ってごまかす?
「ええ、先日弟に話をしたところ、大変いい話だと喜んでおりまして…」
「はぁ……。弟君の仰るとおりの方ですのね。
浅薄で欺瞞家で。
もう結構です。
弟君から、勉強会に参加なさっている方をご紹介いただけることになりましたから」
「え…あの、ちょっと…」
キューレル嬢は、つい、と踵を返すと、後ろも見ずに行ってしまった。
いったい、どういうことだ!?
アインがどうしただと!?
俺は、混乱したまま取り残された。
次に帰宅した時、俺はまた父の書斎に呼ばれた。
「ニコル。キューレル子爵家の令嬢に不義理をはたらいたそうだな。抗議が来ている」
「ふ、不義理などと!
私は、ただ、アインに子爵令嬢を紹介しようと…」
「アインには、既に婚約者がいると聞いているが?」
「家を通さぬ婚約など、認められないでしょう!」
「ほう? そんな決まりがあったのか?
にしては、お前は平民の娘に婚約話を持ち込んだようだが?」
「いったい誰がそのようなことを…」
「件の令嬢からだ。
お前がアインの婚約者を奪うための当て馬にされたと言ってきている。
抗議は、それにまつわるものだ」
「私は…そのようなことは…」
「ことの真偽は問題ではない。
改めて言っておく。
お前が重篤な病に冒されたり、大怪我を負ったりした場合、お前を廃嫡して放逐する。
それが嫌なら、自力で官吏になってみせろ」
「私を廃嫡して、アインに継がせるのですか!?」
「あれは、我が家の爵位に興味などない。
既に平民の娘と婚約し、学院卒業と同時に我が家を出ると言ってきている。
あれはあれ、お前はお前だ。
権謀術数も結構だが、あくまで実力あってのことだということを忘れるな」
なんてことだ。父は、やると言ったら、本当にやる。
このままでは、無一文で追い出される。
かといって、俺の成績では、登用試験に受かるのは難しい。
俺が怪我したら追い出されるんじゃ、あの平民の娘と結婚したところで無駄だ。
ちくしょう、アインめ、官吏になれそうな奴を餌にして、キューレル嬢を懐柔したのか。
汚い手を使いやがって。
何か逆転の妙案はないのか…。
アインの反撃!
ネイクと共にキューレル子爵令嬢を訪ね、自分達が婚約していること、ニコルがネイクを奪うためにキューレル子爵令嬢を利用したことを説明し、更に勉強会に参加している貴族子息を紹介する(紹介後の交渉は干渉しない)と利益を示しました。
勉強会に参加している子息には、次男三男もいますから、キューレル子爵家に婿養子に入ることですぐに爵位を得られるならと考える人も多分います。
そういう人なら、子爵令嬢を紹介したアインに感謝するでしょう。
アインは、新たな人脈である勉強会メンバーを紹介することで、子爵家に婿入りできるメンバーに恩を売り、子爵令嬢を味方に付け、自分が親に抗議するのではなく令嬢から抗議させ、ニコルがネイクに手を出せない状況を作り出しました。
腹黒アインの面目躍如です。
今回のアインとニコルの会話の内容がわかりにくいとのことなので、解説です。
通常、アインが爵位を得るには、
1 登用試験に受かる
2 人並み外れた実績を積む
3 誰かが退官する
という条件が必要です。
夫婦のどちらかあるいは両方が優秀だと、2を満たしやすくなります。
で、官僚貴族家に婿養子に入ると、2を省略できます。
つまり、大した実績がなくても、養父が退官すると爵位を継げます。
なので、「労せずして」なのです。
ちなみに、キューレル子爵令嬢は、元々婿養子候補を探すために学院に来ているようなものですので、動機に純粋も不純もありません(修道院3話での、院生の説明の5つ目「花嫁修業をしつつ、将来の伴侶を探す者」のパターンです)。