12 戦ってでも守る
飛び級から2週間が経ちました。
私には相変わらず困ったお誘いが途切れませんが、ネイクの方は沈静化しました。
アインさんと婚約しているという噂が広まったためです。
と言っても、残念ながら、真実とはかけ離れた“ヒートルース子爵家が、飛び級した平民の娘をいち早くものにした”という噂です。
これでは、まるで飛び級した女性なら誰でもよかったかのようで、私としては少し面白くありません。
アインさんは、ネイクが飛び級するよりずっと前、入学式の時から探し、再会したその場で婚約を申し込んだというのに。
いいえ、もっと前、7歳の時に結婚を約束して別れたんでした。
そんなアインさんを、ネイクを出世の道具にしようとしてる人達と同じに扱うなんて。
そんな不満をネイクに漏らしたら、「知らない人が何を言っても、私には関係ありませんから」と笑っていました。
本当に、信じ合えるってすごいことなのだと思います。
その後も、ネイクとの簿学の勉強会は続いていますが、本科になったら手こずっているようで、2週間経っても教科書の3分の1くらいしか終わっていません。
なので、ネイクは、今度の飛び級の試験を受けないそうです。
ところで、飛び級の後、私に「勉強を教えてほしい」という申し入れが来るようになりました。
以前から、私とネイクの学習室での勉強会は、女子寮ではそれなりに知られていたようです。
ただ、女子で官吏を目指す方はほとんどが平民で、貴族に教えてほしいと願い出る勇気のある人はいなかったのでしょう。
それが変わったのは、ネイクが飛び級できたのは不世出の才媛の孫が教えたからではないかという噂のせいでしょう。
なにしろ、平民の女子としては初の快挙ですから、何か秘密があるんじゃないかと思われているみたいですね。
ある日、寮の食堂でネイクと朝食を食べていたら、6人の女の子がやってきて、「私達にも勉強を教えていただけないでしょうか」と頭を下げました。
面識のある人は1人もいませんでしたが、近くで見ていたのか、社交の講義でお付き合いのある方まで加わって、「私もお願いしてよろしゅうございますか?」と言ってきました。
正直言って、少しムッとしたのですが、敵を作るわけにもいかないので、試しに1回、勉強会をしてみることになりました。
一応、
「私は家庭教師ではありませんので、うまく説明できるかわかりませんわよ」
とは言っておいたのですが。
私がムッとした理由は2つ。
1つは、言外に「ネイクにだけ教えてあげるなんてずるいから、自分にも教えてほしい」という意識が見えること。
もう1つは、私が教えれば誰でも成績が上がると軽く考えていることです。
ネイクが飛び級したのは、ネイクの努力の成果であって、私はほんの少しお手伝いしただけです。
実際、この前のサントスさんは、私が教えても理解してもらえませんでしたし。
ネイクもあの時のことを思い出したのか、お手伝いを申し出てくれました。
それで、1回勉強会をしたのですが、予想どおり惨憺たる有様でした。
やはり、と言うべきなのでしょうか、私の説明は誰も理解できず、前と同じようにネイクが説明することになりました。
ようやくわかってきたのですが、どうやら私の教え方は、ネイクくらい優秀でないと理解できないようなのです。
ですから、ネイクのしている、この異様に回りくどい説明こそが、一般的な分かり易い説明というわけです。
私には、できそうにありません。
どうやら皆さんも懲りてくれたらしく、以後、私に教えてくれと言ってくる人はいなくなりました。
その分というか、逆にネイクが引っ張りだこです。
私の説明を噛み砕いて解説したネイクの姿に、飛び級が彼女の実力であることを理解してもらえたようです。
ネイクの説明は余程分かり易かったらしく、女子だけでなく男性からも頼まれているようです。
しかも、貴族も混じっていて、恐らくは不本意なのでしょうが、そんな気持ちはおくびにも出さず、素直に頭を垂れて教えを請うてきたとか。
さすがにネイクも困って、アインさんに相談したところ、アインさんが同席している時に限るという条件付きで、男女合同の勉強会を開くことになったそうです。
アインさんの出した条件は2つで、1つは先程の、アインさんが同席していること、もう1つはネイクに対して敬意を払うことでした。
ちゃんとネイクの立場を考えてくれていることに嬉しくなってしまいました。
そんなある日、飛び級試験の申し込みのために管理棟に行く途中で、アインさんが誰かと言い合いをしているのを見かけました。
相手は知らない人ですが、どことなくアインさんに似ている気がします。
ネイクも一緒にいるようです。
ちょっとはしたないですが、様子を窺っていると、
「いいか、ネイクは俺が自分で見付けた伴侶だ。
誰にも渡さん。
奪おうというなら、それなりの覚悟をしてもらうぞ」
などという声が聞こえます。
なるほど。あの人は、アインさんのお兄様ですか。
それで、アインさんからネイクを奪って結婚することで、爵位を継ごうという狙いなのですね。
つまり、あのお兄様は、登用試験に合格できそうにない、と。
なるほど、官僚貴族は、嫡男が官吏になれなければ爵位を返上しなければなりませんものね。
嫡男の妻が官吏になれば、例外的に爵位を継ぐことを許される場合がありましたから、それを狙うと。
随分とこすっからい手を使う方ですね。
しかも、そのために弟の婚約者を奪おうだなんて、人としてどうかしているとしか思えません。
それに比べて、アインさん。
本当にネイクを大切にしているんですね。
「奪おうというなら、それなりの覚悟をしてもらうぞ」だなんて。
格好いいです。
ネイクを奪おうとする人がいたら、本当に命のやりとりも辞さないでしょう。
それだけの気迫が伝わってきます。
おばあちゃまが言っていました。
ほかの男の人から結婚を申し込まれそうになった時には、鳥肌が立って気持ちが悪くなって、それでおじいさまが運命の人だと気付いたって。
運命の人と出会ったら、その人じゃなきゃ駄目になるって。
奪おうとするなら、戦ってでも守る。
私も、誰かにそんなこと言われてみたいです。
いつか……いつか、ね。
マリーは、人の本音を感覚的に見抜きます。
殺気を読んだりするのも、その一環です。
「奪おうというなら、それなりの覚悟をしてもらうぞ」という言葉に、アインの本気が籠もっているのを見抜いたマリーは、アインに対する評価をまた上げました。
もし、アインがネイクを選ぶ前の言葉をマリーが聞いたら、こうはならなかったでしょう。
アインがマリーを避け続けてきたのは、そういう理由です。