裏11-3 最高の伴侶(アイン視点)
今回は、アイン視点です。
ここまで、あちこちに張ってきた伏線をようやく消化できました。
俺の名は、アイン・ヒートルース。
官僚貴族であるヒートルース子爵家の次男だ。
兄は1歳上で、ニコルという。
ニコルは、たった1歳しか違わないくせに、俺から全てを奪っていく。
家名は、そりゃあ嫡男なんだから持って行くのも仕方ないが、親の興味も、使用人の歓心も、幼い頃から全てニコルのものだった。
そして、それは貴族である限り当然のことでもあった。
最初にそれを思い知らされたのは、いつのことだっただろう。
父に「お前が日の目を見るのは、ニコルに何かあった時だけだ」と言われた時だったか。俺は、兄のスペアでしかないのだと、その時はっきりと思い知らされた。
だが、うちは官僚貴族だから、まだマシな方だ。
領地貴族だったら、俺は一生部屋住みで飼い殺しにされただろう。それこそ、嫡男は労せずして領地と領民を得て、次男は表に出ることなく家でこき使われることが多い。
うちは官僚貴族だから、登用試験に受からないことには爵位を継げない。もっとも、爵位は継げても役職は継げないのだが。役職は、あくまで本人の能力で決まるからな。
しかも、爵位を継げるのは嫡男だけだ。
嫡男が官吏になれなかった場合、爵位は返上となる。
この場合、次男が官吏になっても、爵位を継ぐことはできない。
そうしないと、貴族が固定化してしまい、既得権益やらなにやらで国政が滞るからだ。
この制度のお陰で、官僚貴族の新陳代謝が起こり、優秀な次男三男が爵位を得られるので、俺にとってはありがたい話でもある。
次男が爵位を継げるのは、嫡男が病弱などの理由があり、事前に陛下の許可が下りた場合だけとされている。
もちろん、しっかりと調査が入るので、病気になったと嘘の報告で誤魔化すことはできない。
許可が下りる前に嫡男が死んだ場合も、爵位は返上となる。
かつて、次男の方が優秀な家が、長男を病死させて次男を繰り上げさせた例が相次いだためだ。
嫡男がいない家は、例外的に事前に陛下の許可を得ていた婿養子が官吏になれれば、爵位相続が認められる。
官吏になった後に婿養子に入っても、爵位は継げないのだ。
そういうわけで、官僚貴族の次男以降が爵位を得るには、官吏か騎士になるしかない。
さもなければ、家を追い出されて平民になるか、家でこき使われる未来が待っている。
幼い頃から、とにかく兄と扱いに差を付けられてきた俺は、自分のものになるのは自力で掴み取ったものだけだと悟った。
親に与えられたものは、親の気が変われば取り上げられる。
5歳でそれを悟ったのが、早かったのかどうかは知らない。
当時、どうせ家にいても居心地が悪いだけだった俺は、街に飛び出した。
広場で遊んでいる平民に混じって遊んでみたが、そこでは俺は、1人の子供として扱われた。溶け込みきれないまでも、いないものとしては扱われなかった。
俺は、時々家を抜け出して広場に出掛け、平民の仲間達と遊び、目端の利きそうな奴には目星を付けておいた。
俺が爵位を得るには、誰か有能な腹心が必要だ。
やがて7歳になる頃、俺にも家庭教師がつけられた。
どうやら頭のデキは、兄より俺の方が上らしい。
それでも、ニコルは官吏になれさえすれば子爵になれるが、俺は簡単には爵位はもらえない。
そんな時、俺が目を掛けていた中の1人、ネイクミット・ティーバが、父親の独立に伴い、テヅルに引っ越すことになった。
俺と離れるのを悲しんで泣くネイクミットに、俺は、官吏になればずっと一緒にいられると教えてやった。
こいつが俺に好意を向けているのは知っていたし、焚き付けてもきた。幸い、俺は容姿に恵まれているから、ここの娘達にはそれなりに好かれている。
俺の足下を固めるための手駒は多いに越したことはない。
それからも、俺は目を付けた相手に官吏になるよう勧めた。
残念ながら、学院に入学できたのは、ネイクミットと、声を掛けていなかったトロリー・サントスだけだったようだ。
合格者名簿の中に2人の名前を見付けた俺は、近いうちに2人を探すつもりだったが、他にも手駒を補充したいとも思っていた。
そして、入学式の最中、学長の話を聞き流している少女を見付けた。
雰囲気からして、多分領地貴族の子爵か男爵辺りの令嬢ってとこだろうと当たりを付けた俺は、その娘に声を掛けた。
領地貴族は、王城には顔が利かないが、基盤がしっかりしているから、その令嬢を娶れば出世に有利になる。
世間知らずの田舎娘も多いから、相手にし易いだろう。
そう思って声を掛けてみると、
「ですから、私はネーキミーさんという方ではございません。
今は入学式の最中なのですから、静かにしてくださいませ」
ときた。
随分と下手なごまかしで逃げるものだ。
思わず吹き出しそうになったので、手で口を押さえてなんとか堪えた。
これは、かなりの田舎娘だな。与しやすそうだ。
入学式が終わったら、食事にでも引っ張り出そう。
…と思ったのだが、思わぬ邪魔が入り、上級生らしき男に令嬢を奪われてしまった。
一応、翌日の約束を投げつけてみたから、待っていてみよう。
翌日、待ち合わせ場所に行ってみると、ちゃんといてくれた。と思ったら、声を掛けてみると別人…というか、知った顔だった。
「ネイクミット? …あれ? えっと、なんでお前がここに?」
近いうちに探そうと思ってはいたが、どうしてここで、こいつが待っているんだ?
「昨日、坊ちゃまが私と間違えてジェラード様に声をお掛けになったと伺ったので…」
ジェラード? ジェラードって、あのジェラード侯爵家か?
娘がいるなんて知らなかったぞ!?
待て、なんで俺がジェラードの令嬢とネイクミットを間違えた話になってるんだ?
ジェラード侯爵領と言ったら、テヅルの町とは反対方向だ。どこで知り合った?
「簿学の講義でご一緒したので」
つまり、今日知り合ったってことか?
そういや、あの令嬢、「私はネーキミーさんという方ではございません」とか言ってたよな。とぼけているのかと思ったが、ネイクミットはあのお嬢さんと背格好が似ているし、「ネーキミー」と「ネイクミット」から、人違いしたと勘違いしてくれたか。
「そうか、昨日の彼女は、ジェラードの令嬢だったのか…。それはよかった」
ジェラード侯爵家といえば、2年上に嫡男がいて3科目飛び級したという話だし、その妹だろう。
ジェラードの令嬢とお近づきになれたら、この上ないコネになる。
だが、俺が近付くわけにはいかない。
身の程知らずだと思われる。
折角ネイクミットと間違えたと思われているんだ、ネイクミットを利用しよう。
「まあ、長くなるし、立ち話もなんだ、夕飯を食いながら話してやるよ」
話をしてみると、言葉の端々から、ネイクミットの俺への好意が透けて見える。
昔蒔いた種は、ちゃんと育っているようだ。
ならば、ネイクミットを側に置き、ネイクミットを介してジェラード嬢とお近づきになるとしよう。
「あの…坊ちゃまは、その、ジェラード様と親しくなりたいということでしょうか」
まずい。変に勘ぐってやがる。
そうか、こいつは貴族の格の違いなんかわからないんだ。誤解されるとまずい。
「バカを言うな。領地持ちの侯爵家令嬢だぞ。
官僚子爵家の次男ごときが近づけるわけないだろうが
人には分てもんがあるんだ。
そうじゃなくて、コネだよコネ」
よし、誤解は解けたな。
もう1つ、ダメ押しだ。
「それにな、俺、昨日、お前と間違えて声かけちまったんだよな。
謝らなけりゃまずいんだが、俺が下手に近付くともっとまずいことになるんで、お前から、俺が謝ってたって伝えといてくれ」
これで、ネイクミットはジェラード嬢に近付かざるを得ないし、俺と再会できたこともアピールできる。
あとは、こいつをその気にさせとかないとな。
「平民だろうが貴族子息だろうが、官吏同士なら分相応だ。
いいか、お前が俺と一緒にいられる方法は他にはないんだ、2人で官吏になるぞ。
…これ、持っとけ。」
俺はネイクミットに、いつも持っている家紋入りのハンカチを渡した。
そして、言質を与えないよう細心の注意を払い、ネイクミットをその気にさせる言葉を紡いだ。
種は芽吹いた。
ネイクミットは、その飾らない性格から、ジェラード嬢の信頼を勝ち取ったようだ。
ネイクミットの話を聞いていると、ジェラード嬢は、どうしてあんな勘違いをしたのか首を傾げるほど聡明なようだ。
俺が直接話すと打算を見透かされそうだから、俺は極力彼女には近付かないようにした。
ネイクミットを不安にさせない意味でも、そこは重要だ。
ただ、誠意を見せる意味で、1回だけ本人に会って謝罪した。
これで、俺の評価は、ネイクミットの誠実な婚約者ってことになるだろう。
俺は、ネイクミットとゆっくり話をするために、自習室で一緒に算術の勉強会をするようになった。
驚いたことに、ネイクミットはとんでもなく優秀だ。
ジェラード嬢から簿学と算術を習っているそうだが、習ったことはきちんと身についている。
算術について、ジェラード嬢の説明したとおりに言われると何を言っているのかわからないのに、ネイクミットはそれを噛み砕いて説明することもできる。
俺もそれなり以上に努力してきたし、登用試験に受かるだけの力は付けてきたつもりだったが、ネイクミットは数段上だ。
そのまた数段上を行くジェラード嬢は、もう化け物だな。
一月も経たないうちに、ネイクミットは簿学の教科書を1冊終わらせてしまった。
それはつまり、1年掛けて学ぶはずの基礎科の内容を学び終わったということだ。
「ネイクミット。お前、飛び級の試験を受けてみろ」
渋るネイクミットをやっと説き伏せて試験を受けさせると、案の定、飛び級した。
平民の娘では、初めての飛び級だ。
隣に、平然と3科目も飛び級している化け物がいるからさほど騒がれていないが、登用試験を受けるまでもなく、王城から声が掛かるだろう。
ネイクミットを手に入れようとする貴族が、本格的に出てくる。
だが、誰にも渡さない。
ネイクミットは、俺が自力で掴み取ったんだ。俺のだ。渡してたまるか。
俺は、腹を決めた。
ジェラード嬢の友人で、飛び級した才女。
ネイクミット以上の伴侶は、あり得ない。
俺は、ネイクミットの飛び級を祝う席の帰り道、誰もいない公園で、その手を取って跪いた。
「ネイクミット・ティーバ。
俺の妻として、生涯を共に生きてくれ」
お前となら、きっと何でもできる。
2人で一緒に、爵位をもぎ取るぞ。
これで、ようやくアインはネイクを婚約者にしました。
これまでは、実はネイクの独り相撲です。
アインは、最初からこういう狡さを持つ人物として描いていました。
計算高く、コンプレックスの塊で、成り上がる気満々です。
ですので、ネイクとの会話には、もの凄く気を遣いました。
再会した日、「婚約者がいると言えば」とは言っていますが、「誰が婚約者か」はアインは口にしていません。
ネイクは、このセリフから、アインが婚約者だと思っていますが、アインは「お前は俺のもの(手駒)だ」「ハンカチを見せて婚約者がいると(嘘を)言えば、相手はそれを信じて引き下がる」と言っているだけです。
また、「ずっと一緒にいられる」と言っているだけで、「結婚する」とも言っていません。
腹心として、一生側に置くつもりはある、ということです。
なんてひどい男(笑)
アインは、マリーの前でネイクと話したら、こういう裏の意図が読まれると踏んで、マリーには近付きませんでした。
実際、腹芸も得意なマリーなら、すぐに気付くでしょう。
初対面で「ネーキミー」などとボケをかましていますが、基本的にマリーは腹芸も優秀です。
でも、マリーに入ってくる情報は、ネイクの主観フィルターを通った断片的なものですから、気付けないのです。
ネイクの中では、このプロポーズは再会の日の言葉を改めてきちんと言っただけという認識であり、マリーに話す時は、「再会した日に婚約の証としてハンカチを渡されました」「プロポーズの言葉は、『俺の妻として、生涯を共に生きてくれ』でした」という言い方になります。
マリーは、再会した日に「俺の妻として、生涯を共に生きてくれ」とプロポーズされ、ハンカチを渡されたものと思います。
ほうら、アインの株が上がる上がる。
鷹羽自身は、こういう裏のある会話ができない人間なので、言質を与えずにその気にさせるセリフを考えるのは、とても大変で、かつ楽しかったです。
あ、ちなみに、裏11-2でネイクが貴族の求婚を断っているシーンは、このプロポーズの後ですから、本当にアインが婚約者です。
とはいえ、アインは決してゲスい奴ではありません。
本人も努力家ですし、今回プロポーズするまでネイクにはキスもしていませんでした。
ネイクの恋心を利用していますが、女として弄ぶ気は全くありません。
結婚すると決めた今でも、本気で、結婚までキス止まりのつもりです。
爵位を得た後、「でも、あそこの奥様、貞操守れなかったそうよ、やっぱり平民上がりはだめね」などと後ろ指指されると困るので。
体面もそうですが、ネイクが苦しむのは嫌なのです。
ネイクに飛び級試験を勧めるなど、ネイク自身の価値を高めているのも、王城で苦労させないためです。
アインは、基盤を持たない自分達の足元を固めるための方策を常に考えています。
アインは、貴族として、政略結婚を見慣れていますから、有益だからという理由で生涯を捧げ合うのは当然という考え方をしています。
もちろん、打算だけではありません。本気で、ネイクを誰にも渡す気はありません。
その辺の話は、次の機会になりますが。
結果的に、アインとジーンは、表裏一体で、成功例と失敗例の好対照となりました。
いずれも策を巡らせ、打算に満ちて相手に近付いていますが、アインは幼い頃から布石を打ち、しかも打算があるなりに、ネイクの好意に対して真摯に対応しています。
片やジーンは、自分が他に一歩先んじているうちに、つまりマリーが飛び級して競争相手が増える前に勝負を賭けようと焦りすぎました。
相手が悪かったというのもありますが、マリーを口説くには、役者が不足でした。