裏10 箱入り娘の落とし方(ジーン視点)
オルガの友人ジーンの視点です。妹情報の出所は、オルガ自身でした。
俺の名は、ジーン・ニールセン。ニールセン侯爵家の次男だ。
ニールセン侯爵家は領地貴族だが、どうせ継げない俺は、家で飼い殺しにされるのも嫌なので、騎士団に入るために小さな頃から体を鍛えてきた。
貴族子息とはいえ、騎士団での出世は難しい。何か殊勲でも挙げられればいいが、平和な世の中では、一気に出世できるような殊勲を挙げるのはほぼ不可能と言っていい。
ならば、俺を引き立ててくれる後ろ盾が必要だ。
俺は、学院で、後ろ盾となりうる存在を見付けるつもりでいた。
「おい、その妙に少女趣味のハンカチは何だ? 婚約者はいないんじゃなかったか?
もしかして、そういうのをくれる相手ができたのか?」
「ああ、これは妹がくれたものだよ。ほら、うちの家紋が刺繍されてるだろ」
「ふうん、妹がいるのか。随分と上手いようだが、いくつだ?」
「今、11歳になったところだよ。僕が休暇で家に帰るたびに、刺繍の練習をしたハンカチをくれるんだ」
この暢気な男は、オルガ・ジェラードといって、領地貴族の嫡男だ。
同じ剣術の講義を取ったことで知り合い、何度か実習で組んでいるうちにそれなりに話すようになった。
家柄目当てに擦り寄ってくる相手には警戒するようだが、普通に付き合っていれば、そのうち警戒を解く。
そして、一旦警戒を解いてしまえば、お坊ちゃん育ちのせいか、妙におっとりしたところのある付き合いやすい相手だった。
ジェラード侯爵家といえば、農業が特に盛んで、王立研究所が開発した新種の作物の栽培許可が真っ先に下りるので有名だ。
市場に出回る新種作物の大部分はジェラード領産と言われるくらいで、かなりの利益を上げているという話だ。オルガのお坊ちゃんぶりを見ていると、噂は真実なのだと思える。
オルガの母親は、ゼフィラス公爵家の出だ。
つい昨年まで研究所の所長だった前公爵の娘で、今の所長、つまりゼフィラス公爵の姉に当たる。
絶世の美女で、多くの高位貴族家から是非息子の妻にと求められ、王太子妃さえ狙えたのに、特に旨味もないはずのジェラード侯爵家に嫁いだ。
その理由は、ジェラード侯爵夫人が先代のゼフィラス公爵夫人のお気に入りだったからと聞く。
栽培許可も、同じ理由で真っ先に下りているという、もっぱらの噂だ。
つまり、オルガと親しくなれば、ゼフィラス公爵家にコネができることになる。
王立研究所長が妻の友人を贔屓するというのは、公私混同もいいところだが、高位貴族の付き合いなんて、つまるところ、そういうのを求めてのものだし、実際、俺も似たようなことを狙っているんだから、別に文句を言う気はない。
出世の近道をこんなに簡単に見付けることができて、俺は幸運だ。
オルガは、剣の腕は中の上に届くかどうかというレベルだが、頭の方は3科目で飛び級したほどの天才だ。
勉強のできる奴が頭がいいとは限らないって実例だな。中身はきっとすごいんだろうが、日常生活でちっとも生かせていない。
確かに多少警戒心はあるようだが、一度信用すると、その後は警戒心の欠片もない。
お陰で、2歳下の妹が、ほとんど領地から出ない箱入り娘だってことまで教えてくれた。
今年、その妹が入学してくる。
オルガの友人でも十分なコネだが、どうせ俺も、結婚相手なんて自分で見付けなければどうにもならない身だ。ゼフィラス公爵の姪と結婚できれば、相当な栄達が見込めるだろう。
夢見がちで、運命の人に憧れてる、ね。いかにも世間知らずのお嬢さんだ。
知り合いさえすれば後で紹介してくれるとの言質を取ったから、さっさと見付けて唾つけておこう。どこかの嫡男に目を付けられる前になんとかしないと、持っていかれてしまう。
入学式の後、早速探しに来たが、やっぱりナンパされていた。
しかし、何が「私はネーキミーさんではありません」だよ。どう見てもナンパだろうが。どうして人違いと思えるんだよ。
よくわかった。やっぱりこの娘は、箱入りで世間知らずなんだ。だったら、困ってるところを助けて、適当に話を合わせとけば、すぐに靡くだろ。
「君、しつこい男は嫌われるよ。
先約があるって断ってる女の子に食い下がるのは、みっともないと思うけどね」
どうやらナンパしてたのは新入生だったらしく、少し殺気を見せたら逃げていった。
ちょうどオルガもやってきたので、紹介してもらった上、うまいこと3人での食事に持ち込めた。
この調子で、近付いていこう。
簡単だと思ってたが、意外とガードが堅い。
お茶に誘っても、オルガが一緒じゃないとのってこない。
これは、オルガが言っていたとおり、“兄の友人”だと思われてるか。
まずい。
頭がお花畑とは言え、オルガの妹だ、多分飛び級するだろう。
そうなると競争相手が増える。
急がないと…。
ようやく、2人で夕食の約束ができた。
少し強引な手を使ってでも何とかしないと、貴族の嫡男なんかが出てきたら、俺に勝ち目はない。
女の子受けの良さそうな、デザートが美味い店を予約した。
食前酒には、少しアルコール強めのものを指定してある。
後は、会話が弾めばガードも弛むだろうし、その後は…。
「ローズマリー嬢は、やはり飛び級を目指すんだろう?」
「もちろんです。ジェラードの家に生まれた以上、避けては通れません。
皆様も、結果を楽しみにしておられるのでしょう?」
なんてことだ、会話が弾まない。
飛び級試験のことを話題にしても、まるで他人事のように淡々としていて、気負いも不安もありはしない。
これでは、励ますことも慰めることもできないじゃないか。
友人が少ないことにも平然としているし、どうやら意識して男に対して壁を作っているらしい。オルガとは違って、自分が狙われる立場だと自覚しているようだ。
俺からの食事の誘いに応じたのは、とりあえず俺をある程度信用しているから、ということになるわけか。ここまで3週間かかったからな。
なら、競争相手のいない今のうちに片を付けた方がいいだろう。
デザートと一緒に、あらかじめ頼んでおいたとおり、飲み物にはコーヒーが運ばれてきた。
「少し苦いが、このケーキに合うだろう?」
どうも苦すぎると思ったようだから、先手を打って、苦さを肯定しておく。
実は、このコーヒーには、店員に金を握らせて、睡眠薬を入れさせてある。
睡眠薬と言っても、違法なものではないし、ごく弱いものだから、食前酒で酔ったと誤魔化せる。
できれば、食事中にも酒を飲ませたかったんだが、やはりそこはガードが堅かった。
ともかく、眠ったお嬢ちゃんを寮まで送るか、どこかで一晩休んでいけば、後は噂が勝手に広まってくれる。
そうなれば、俺と婚約するしかない。
外に対しては、この娘が俺のお手つきであるかのように振る舞い、この娘には、何もしなかった紳士として対すれば、後はすんなり進むだろう。
俺のバラ色の人生は約束されたも同然だ。
「こんな時間だ、寮まで送るよ」
「いいえ、ニールセン様は大分酔ってらっしゃいますから、早くご自分の部屋にお戻りになられた方がよろしいですわ」
おかしい。
なんでこいつは眠らない。それどころか、なんだか俺の方が眠っちまいそうだ。
酔うほど飲んだはずは…ないんだが…。
どんどん重くなっていくまぶたに、意識を手放したのはいつだったか。
翌朝、俺は、寮の門の脇で、顔に引っ掻き傷を作り、野良猫を抱き締めて眠っている姿で発見された。
箱入り娘を落とし損ねて寝落ちしてしまいました。
ジーンは、この姿が噂になって、しばらく笑いものになりましたとさ。
飲み過ぎと黒猫には注意しましょう(笑)