裏8 再会(ネイクミット視点)
ネイクミット視点です。
あたしは、ネイクミット・ティーバ。
父さんは、ティーバ商会という雑貨商をやっている。
あたしが8歳になる前に、父さんは、この王都にあるドリスト商会から独立して、ティーバ商会を興した。
同じ王都で店を開いても客の取り合いになってしまうから不利だし、何より恩あるドリスト商会に対して不義理だということで、父さんは王都を離れた。だから、私が王都に来たのは5年ぶりになる。
商会は兄さんが継ぐから、あたしは商会で経理を手伝えるようにという名目で、王立学院を受験した。
この国に学校は沢山あるけど、「学院」とついているのは、この王立学院だけ。
王立学院は、優秀な官吏を育てるために、平民にも広く門戸を開いているけど、入学するには試験を受けなきゃならなくて、実際に入学できるのは、受験したうちの1割か2割くらい。
貴族は、貴族だってだけで入学できる。ただ、昔聞いたところじゃ、貴族は小さい頃から家庭教師をつけて勉強しているから、受験すれば合格できるくらいの力は、みんな持ってるらしい。
兄さんは、学院をこの春卒業した。まぁ、それなりの成績を取って、「王立学院卒」の箔を付けて凱旋してきた。
姉さんも2年前に受験したけど、残念ながら受からなかったので、地元の学校に通っている。
姉さんが落ちたってことで、あたしが受験する時は色々と面倒だったけど、無事に合格できてよかった。
これで、約束の第一歩が踏み出せたことになる。
あたしは、事務関係に強くなって、あの人のお側に行くんだ。
あの人…ヒートルース子爵家のアイン坊ちゃま。
ヒートルース子爵家は、代々お城に勤めている官僚貴族家で、ドリスト商会のお得意様だ。
あたしと同い年の坊ちゃまは、ある日、あたし達の遊び場にふらりとやってきて一緒に遊び始めたんだけど、あたしを迎えに来た父さんが坊ちゃまを見て凄く驚いて、それで私は坊ちゃまが貴族だと知った。
なぜかあたしのことを気に入った坊ちゃまは、色々なことを教えてくれた。
貴族が無条件で学院に入れる理由を教えてくれたのも、坊ちゃまだった。
遊ぶようになった頃は5歳だった坊ちゃまは、7歳になると同時に家庭教師をつけられて、遊びに来る回数がぐんと減った。
でも、勉強嫌いな坊ちゃまは、時々抜け出しては遊び場にやってきてくれた。
あたしは、坊ちゃまが大好きだった。
父さんの独立で、あたしが王都を離れる時、別れが辛くて泣いているあたしに、坊ちゃまは
「俺は、学院を出たら官吏になる。
ネイクミットも官吏になれ。そうすれば、ずっと一緒にいられる」
と慰めてくれた。
その時、学院で再会しようと約束したけど、後で官吏になる条件を知って、あたしは愕然とした。
官吏になるには、登用試験に受からなきゃいけない。
この試験は、完全に実力主義で、貴族でも合格しない限り官吏にはなれないから、官僚貴族は、子供が7歳になると家庭教師をつけて勉強させる。
つまり、学院を出るまでに、7歳から勉強してきた貴族と同じだけの力をつけないと、官吏にはなれないってことだ。
それを知ったあたしは、兄さんが休暇で帰ってくるたびに色々教えてもらった。
あたしが学院に合格できたのは、そのお陰だと思う。
あたしは、これから簿学と出納学、経営学を中心に勉強して、官吏登用試験を目指すんだ。
それと…、坊ちゃまに会えると…いいな…。
講義初日。
1限の講義は、簿学だ。
講義室に入ると、空気がぴりぴりしている。
周りが貴族ばかりなんてこと、わかってたし、覚悟もしてるつもりだったけど、やっぱりいざとなると不安になる。
あたしみたいな平民は、貴族の子息にとっては目障りなんだろうと思うと、足がすくむ。
でも、あたしの夢のためには、そんなこと言ってられないし…。
そんなことを考えていたら、ふと窓際でうっとりと外を眺めている女の子が目に留まった。
このとげとげしい空気の中で、そこだけまるで春の花畑のように暖かな雰囲気で。
あたしは、その子のところに近付いた。
「では、昇降口で、彼を待っていてあげてください。
夕食をご一緒したいと仰っていましたから」
ジェラード様の言葉に、あたしは震えた。
坊ちゃまが、あたしを誘いに来てくれた!
約束、覚えててくれたんだ。
あたしは、4限が終わると、すぐに昇降口の外に立った。
「やあ、き…って、あれ? 君は…」
あたしに声を掛けてきたのは、すっかり立派になった坊ちゃまだった。
「坊ちゃま、私です。ネイクミットです」
「ネイクミット? …あれ? えっと、なんでお前がここに?」
「昨日、坊ちゃまが私と間違えてジェラード様に声をお掛けになったと伺ったので…」
「ジェラード!?」
「はい、簿学の講義でご一緒したので」
「ジェラードって、ジェラード侯爵家か?」
「ジェラード様をご存じなんですか?」
「ジェラードの名を知らない貴族はいない。
そうか、昨日の彼女は、ジェラードの令嬢だったのか…。それはよかった」
「あの、坊ちゃま?」
「ネイクミット。ジェラードのご令嬢の印象はどうだった?」
「…気取らない方、でしょうか。講義室の中で、ジェラード様の周りだけ暖かな空気でした」
「俺も似たようなことを感じた。で、もうお近づきになったのか?」
「いえ、今朝の講義で隣に座っただけですので…」
「そうか、なら、これから親しくなればいい」
「あの、それはどういう…」
「まあ、長くなるし、立ち話もなんだ、夕飯を食いながら話してやるよ」
あたしは、坊ちゃまに連れられて、高級そうなお店に入った。
「不世出の才媛は、知ってるな?」
不世出の才媛? 兄さんが言ってた、孫がどうこうって、あれかしら?
「あの、孫が飛び級してどうの、というお話でしょうか」
「いや、そうじゃなくて…、ああ、お前は貴族じゃないから詳しいことは知らないか。
飛び級は知ってるだろ」
「はい。一学年上の講義を受けられる制度ですよね。
一昨年、3科目で飛び級した方がいらっしゃったというお話は、兄に聞いております」
「制度としては、もう一学年上がれるんだ。
三十年前にたった1人、二段飛び級した天才がいる。
それが、『不世出の才媛』と呼ばれているセルローズ・ジェラード侯爵夫人だ。
一昨年飛び級したってのは、その孫のオルガ・ジェラードだ」
「ジェラード…じゃあ、ジェラード様は」
「オルガ・ジェラードの妹だろう。
あの家は、3代続けて飛び級してるっていう優秀な家系だ。妹の方も、きっと優秀だろう。
親しくしといて損はない」
「あの…坊ちゃまは、その、ジェラード様と親しくなりたいということでしょうか」
「バカを言うな。領地持ちの侯爵家令嬢だぞ。
官僚子爵家の次男ごときが近づけるわけないだろうが。
人には分てもんがあるんだ。
そうじゃなくて、コネだよコネ。
男の俺じゃ近寄れないが、お前なら近づける。
勉強でも教えてもらえりゃラッキーだし、侯爵令嬢と親しくなれれば、お前が平民だからって見下す奴はぐっと減る。
それにな、登用試験は確かに実力主義だが、その後どこに配属されるかってことになると、コネも結構大事なんだよ。
ジェラード侯爵家自体は、領地貴族なんだけどな。王城に顔が利く。というより、あのご令嬢、ゼフィラス公爵の姪なんだ」
「こ、公爵様!?」
「その割には、偉ぶったところのないご令嬢って感じだったけどな」
「あ、あた、私、そんな高位貴族の方に近付くなんて、その…」
「血を引いてるってだけで、本人は侯爵令嬢だから心配すんなって。
それに、今日、話をしたんだろ?
近寄りがたい感じじゃなかったんだろうが」
あたしは、今朝のジェラード様を思い出してみた。
日だまりのような暖かな空気。
たしかに、言われなければ、そんな高位貴族だなんてわからない。
傍にいて安らぐ方だった。
「それにな、俺、昨日、お前と間違えて声かけちまったんだよな。
謝らなけりゃまずいんだが、俺が下手に近付くともっとまずいことになるんで、お前から、俺が謝ってたって伝えといてくれ」
「は、はい、それは構いませんが」
「どっちにしろ、お前には後ろ盾が必要だ。印象が良かったんならちょうどいいだろう。
俺達の輝かしい未来のために、お前はあのご令嬢と仲良くなっとけ」
あたし達の、未来…。坊ちゃまとの約束のために…。
「…わかりました」
「おべっかとかはいらねえからな。お前らしく、素直に喋っときゃいい。
心にもねえこと言うと、逆に信用してくれなくなるだろうからな。
とりあえず今度会ったら、さっきの伝言、頼むな。
ああ、それと、坊ちゃまはやめろ。むずがゆい。昔みたいにアインでいい」
昔、最初に坊ちゃまに会った頃、あたしは「アイン様」って呼んでた。
貴族相手にそれは不敬だからって父さんに言われて、「坊ちゃま」って呼ぶようになったんだ。
貴族を名前で呼んでいいのは、それを許された特別な者だけだから。
あたしは、坊ちゃ…アイン様に、名前を呼ぶことを許されたんだ!
あ…でも…
「あの、人には分があるって、さっき。
その、あたしは平民で…」
「あのな。官僚貴族の次男なんて、騎士か官吏になれなきゃ平民と変わりゃしないんだ。
どのみち、俺が身を立てるには官吏になって爵位を得るしかない。
平民だろうが貴族子息だろうが、官吏同士なら分相応だ。
いいか、お前が俺と一緒にいられる方法は他にはないんだ、2人で官吏になるぞ。
…これ、持っとけ。」
そう言ってアイン様が渡してくれたのは、ハンカチだった。
何か刺繍がしてある。
「うちの家紋だ。お前が俺のもんだってことを証明してくれる。
貴族に何かされそうになったら、それを見せろ。
それ見せて婚約者がいるって言やあ、よほどのバカでなけりゃ無茶はしてこない。
もっとも、俺達が官吏になれなきゃ、ただの布きれだがな」
あたしが…アイン様の婚約者…その証拠…。
「はい! 肌身離さず持っています!」
アイン様とあたしの将来のために。
あたしは、官吏にならなきゃいけないんだ。
2日後、簿学の講義室で、あたしは、またジェラード様の隣に座った。
「先日は、ありがとうございました。
お陰で、アイン様にお会いすることができました。
あの、アイン様が、人違いで声をお掛けして申し訳ありませんでしたと謝っておいででした」
「謝罪は受け取りましたと伝えてください。
会えてよかったですわね。
差し支えなければ、どういう方か伺っても?」
「私の父が王都の商会で修行していた時分のお得意様だった、ヒートルース子爵家のご子息です。
幼い頃、よく街で遊びました」
「まあ、貴族のご子息が? 随分とやんちゃだったのですね」
「どうせ官僚貴族の次男だし、継ぐものなんかないからと。
気さくな方なんです」
「素晴らしい出会いをなさったのね。
再会のお手伝いができて嬉しいわ。
私のことは、マリーと呼んでくださる?
ネイクと呼んでいいかしら? 仲良くしてくれると嬉しいわ」
仲良く!? ジェラード様の方から、仲良く?
「あ、あの、こちらこそ、よろしくお願いします!
…あの、マリー様? で、よろしいのですか?」
「ええ、そうしてくださる? ネイク」
こうして、あたしは、マリー様と親しくなった。
マリー様のご実家の領地は農業が盛んで、マリー様は、小さな頃、蝶を追い掛けて畑の中を駆け回っていたそうだ。
侯爵家のお嬢様とは思えないほどのお転婆ぶりに、あたしが目を丸くすると、マリー様はころころと笑った。
貴族のご令嬢でも、こんなに気さくな方もいるんだと、あたしはマリー様に出会えた幸運に感謝した。
マリー様と同じ講義は簿学と算術だけだけど、簿学の時間は、マリー様の隣があたしの指定席だ。
それから、講義の時以外にも、寮の学習室で、マリー様が時々勉強を見てくださるようになった。
あたしが問題に詰まっていると、マリー様はヒントをくれる。
最初は何を言ってるのかわからなかったけど、ヒントの意味がわかると、詰まっていたのが嘘のようにすいすい解けるようになった。
アイン様が言っていた「勉強でも教えてもらえりゃラッキー」って、こういうことだったんだ。
アイン様に、マリー様から勉強を教わったことをお話すると、とっても喜んでくれたのも嬉しかった。
算術は、アイン様も取ってらっしゃるので、アイン様の隣が指定席だ。
マリー様は、笑って、アイン様を優先するよう言ってくださった。
その上、マリー様からは、算術も時々教えていただける。
算術は、簿学ほど理解できなくて、部屋に戻ってからよく考えてやっとわかる感じ。
女子寮は男子禁制だから、講義棟の自習室で、時々アイン様と勉強している。
その時に、マリー様に習った内容をアイン様にお教えしたら、「なるほど、やっぱりお前は優秀だな」と喜んでくださった。
優秀なのは、あたしじゃなくて、マリー様なんだけど。
でも、そう言うと、アイン様は「それが理解できるお前も優秀なんだ。なにしろ、俺には理解できないんだからな」と褒めてくださる。
アイン様との勉強の時間は、あたしの最高に幸せな時間だ。
その上、アイン様は、時々あたしをご飯に連れて行ってくれる。
あたしの家じゃ滅多に入れないような高級なお店のこともある。
幼い頃の思い出話や、学院の話、貴族の常識など、話題は尽きることがない。
あたしは、やっぱりアイン様とずっと一緒にいたい。
アイン様と一緒に官吏になるために、もっと頑張らなきゃ。
マリーの中で、アインは“ネイクの運命の人”認定されています。
5歳の時に知り合い、学院での再会を約して別れ、入学式の日に迎えに来る…大好きなおばあちゃまとおじいさまの出会いに似たこの2人の関係に、憧れに近いものを感じました。
人違いしたのはマイナスだけど、そのお陰で2人に関われた、という感じで、マリーは喜んでいます。
また、マリーは、世界のナイショの延長で、直接教えることはせず、考え方を教えて自分で気付かせるという教え方を好みます。
それで理解できるネイクは、実はとても優秀なのです。
まあ、平民で学院に入れただけでも、世間的には相当優秀なんですが。
一方で、アインは、勉強面ではネイクに劣ります(マリーの説明が理解できないのは本当)が、世渡りとかの面では、相当に優秀です。
どう優秀なのか、ここまでの展開で少し織り込んでいるつもりなので、伝わっていると嬉しいのですが。
お知らせ
活動報告にも書きましたが、次回9話は、1月3日(火)午前零時に更新です。