3周年記念 次代を担う者
なろう3周年記念のSSです。
世の中には、化け物というものが実在する。
そう言うと、ネーナは必ずたしなめてくる。
「ご自分のお母様をそのように仰るものではありません」
と。
普段はおっとりしていて自分の意見を押してくることなどないネーナだが、母上のことを悪く言うと、驚くほど強い言葉と態度になる。
母上に心酔している…というのとも違う。母上を化け物扱いする俺に怒っているというわけでもないようだ。
だが普段は俺に反論などしないネーナが自分の意見を強く主張してくれるのはそんな時だけだから、つい、言ってしまう。
こんなことを言ったら嫌われそうだから、言わないが。
ネーナは、俺が幼い頃に師事した先生の娘だ。
先生は、母上の学院時代からの親友で、学院を卒業後、そのまま学院で講師になったほどの天才だ。
10歳になるまで、算術や簿学、経営学などの手ほどきを受けたが、教わったことがすいすい頭に入ってきたものだ。
10歳以降は母上からの教えを受けて来たが、わかりやすさが段違いだ。
喩えれば、先生の教えが、ちょうど1歩分ずつの距離に置かれた飛び石なのに対し、母上の教えは5歩分くらい離れて置かれているという感じだ。
決して跳べない距離ではないが、いちいち力を溜めて跳ばないと届かない。
母上は、自覚しているらしいが、人にものを教えるのは苦手なんだそうだ。俺がなんとかついていけているのは、先生に下地を作ってもらえたかららしい。
母上など、「ネイクに任せてよかったわ」なんて笑っている。俺に合わせようという気持ちはないらしい。そう言ってみたこともあるが、「気持ちがないんじゃなくて、できないのよ」とあっさり躱された。
それで、「そんなわけあるか!」とネーナにこぼしたら、「本当におできにならなかったそうですよ」と言われてしまった。
ネーナは、先生から、母上の昔話をいくつも聞いていて、息子である俺も知らないことを色々知っている。
「奥様は、相手に合わせて教え方を変えるのが大変苦手なのだそうです。ですから、奥様からの教えを受けて理解できる方というのは、並外れて優秀な方に限られるのです。
多少苦労するにしても理解できているということは、マリン様も並外れて優秀だからです。自信を持ってください」
なんて慰められることもある。
その伝でいくと、やはり先生は恐ろしく優秀な人なのだろう。
学院時代、先生は母上の教えを受けて飛び級したそうだ。
その後、院生に勉強を教えるようになって、人にものを教えるのが異様に上手いという才能が見出されたと聞いている。
ネーナにとっては、先生は誇りだし、その大元となった母上のことは崇拝の対象ですらあるようだ。
ネーナは、俺の妹のベルと赤ん坊の頃からの幼なじみだ。
俺はゼフィラス公爵家の跡取りという理由から、あまり屋敷の外に出ずに過ごしてきた。
そんな俺と、生まれてくる2人目のことを心配した母上は、ネーナをベルに引き合わせた。お互い赤ん坊の頃のことだ。
ベルの方が4か月くらい早いが、同じ年頃で女の子同士ということもあって、よく一緒にさせていた。
俺が先生の教えを受けている時、2人は公爵家で遊んでいたんだ。
俺がネーナに会えるのは、勉強が終わってからの僅かな時間だけだったが。
最初は妹みたいな感覚だった。ベルと同じく赤ん坊だったし。
でも、いつの間にか、俺はネーナを好きになっていた。
ベルが4歳でセルリアン殿下と婚約したことを考えれば、俺がネーナと婚約することだって、きっとできるだろう。
だけど、それはまだ先だ。
今の俺は、公爵家跡取りというだけの、何も持たないガキだ。
公爵家嫡男として生まれたのは運が良かっただけ、俺の能力も努力も関係ない。
だから、俺が俺自身の力を示せた時、ネーナを迎えに行く。俺はそう決めた。
とりあえずは植物学で二段飛び級を目指す。
母上がなした偉業の1つ。母上のおばあさま──王立研究所初代首席研究員だったセルローズ・ジェラードと母上の2人しか成し遂げられなかったという学院の伝説。
俺は、二段飛び級を果たして“ゼフィラス公爵家の御曹司”じゃなく、将来を嘱望される研究者として、胸を張ってネーナに結婚を申し込むんだ。
「マリン様、あまり根を詰めすぎるのはよくありませんよ」
週末に屋敷に帰ると、ネーナが来ていた。
誰が呼んだんだ…って、ベルしかいないよな。
「ネーナ、大丈夫だ。
大方ベルに聞いたんだろうが、俺は無理なんかしてない。
二段飛び級するために少し頑張っちゃいるが、それだけだ。
とりあえず3科目の飛び級はできたから、後は植物学に絞れる。あと少しだ」
自信たっぷりに言ってみせたが、ネーナの表情は優れない。
「公爵家を継ぐというのは、そんなに重いことなのですか? そこまで目の色を変えているマリン様は初めて見ました。
いつも余裕たっぷり、自信たっぷりに振る舞うマリン様が、こんなに焦っているなんて」
暗い顔で目を伏せるネーナに、胸が痛くなる。こんな顔させたいわけじゃないんだ。
「ネーナ。
心配掛けてすまない。
でも、俺は公爵家を継ぐために頑張ってるわけじゃない。
俺が嫡男だから継ぐんじゃない、次代の研究所長に相応しいから継ぐんだって示したいんだ」
「そんなに無理しなくても、マリン様は…」
ネーナは、目に涙を溜めて俺を見上げてくる。
心から俺のことを心配してくれてるんだろう。
ああ、もうだめだ!
思わずネーナを抱き締めてしまって、俺は観念した。
「ネーナ。俺は、二段飛び級して、お前を迎えに行く。
信じて待っていてくれないか」
ああ、もう、締まらないな。空手形で、婚約の予約だなんて…。
「マリン様、まさか私のせいで…」
「そうじゃない。
俺は、お前の前で、自分の足で立っていたいんだ」
「マリン様…。はい、お待ちしています」
ネーナは、俺の胸の中で泣きはじめた。
「ああ、待っててくれ。
絶対に迎えに行くから」
一月後、俺は無事ネーナにプロポーズした。