裏55-2 敗者の言い分(パスール視点)
ジェラード首席研究員が亡くなった。
既に実態としてはローズマリー嬢がトップとなってはいたが、これで名実共に彼女が首席だ。
学院時代から侯爵邸で過ごしているのは研究所では知られた話だが、その理由については判然としない。
状況から推測すれば、恐らくは護衛の問題だろう。
学院時代に彼女が曲者の襲撃を受けていること、その後侯爵邸が建てられ在学中にもかかわらず引っ越したこと、ローズマリー嬢自身が侯爵邸の外に出るのが織機絡みと所長に会う時に限られていること、実際に王城内で秘書が襲われていることなどから考えれば、暗殺・誘拐などに神経を尖らせているだろうことははっきりしている。
つまり、彼女が侯爵邸からあまり出てこないのは、そこが安全だからということだ。
だが、それだけでもないだろう。
ローズマリー嬢の口から祖母の名が出ることはなかったが、前首席は彼女の実の祖母であり、所長の話では、本当に幼い頃に学問を教わった関係だという。
祖母が恩師だというなら、彼女が慕っていたとしても不思議はない。
俺は2人が一緒にいるところを見たことがないからはっきりとは言えないが、ヒートルースから聞いたところでは、本当に慕っているようだ。
ヒートルースの夫人は、ローズマリー嬢の友人だ。侯爵邸にも何度となく招かれているし、その見立ては信用できる。
我が家では考えにくいことではあるが、ジェラード侯爵家であれば、夫人の発言力が高かったりすることもあるだろう。
不世出の才媛が、わざわざ婚約者と一緒に学院を卒業したという逸話は有名だからな。
天才は天才を知ると言うし、ジェラード前首席が孫娘の才能をいち早く見抜いて英才教育を施したということは十分あり得る。
慕っていた祖母が亡くなったとなれば、ローズマリー嬢もさぞかし気落ちしているだろう。
弱っているところにつけ込むようだが、会って励ましたいところだ。
侯爵邸では、ローズマリー嬢の護衛に出迎えられた。
いつもローズマリー嬢に付き従っている女の護衛。たしかルージュといったか。
いつか前公爵に呼び出された時に迎えに来た女なので、どうも苦手意識というか、嫌悪感のようなものを捨て切れない。
どうにも人間らしくないというか、感情をどこかに置いてきてしまったような目に気後れしてしまう。
あの日の前公爵の言葉を思い出してしまうのも、苦手な理由の1つかもしれない。
「これはスケルス公爵ご子息。わざわざのお越し、ありがとうございます」
相変わらずちっともありがたいと思ってなさそうな声音だ。
「ジェラード首席が昨日亡くなられたと伺ったので、ローズマリー嬢にお悔やみを申し上げたいのだが」
「それは、ありがとうございます。
大変申し訳ございませんが、お嬢様は現在伏せっておいでです。
私どもも部屋に入ることをお許しいただけない状態ですので、お取り次ぎはいたしかねます」
珍しく娘の顔に苦渋が浮かんだ…気がする。ほんの一瞬だったが、確かに表情が揺らいでいた。
これは、彼女の身に何か起きているに違いない。
「失礼ながら、ローズマリー嬢のお体に障りが?」
「いえ、そういうわけではございません。
ただ、悲しみに沈んでおられて、どなたにもお会いしたくないと仰っておいででして…」
なるほど。だから、この娘が玄関に出てきたというわけか。
いくら自宅の中とはいえ、護衛さえ傍に寄せ付けないというのは、ローズマリー嬢としては珍しいことではあるな。
これは、何を言っても会うことは叶うまい。
「わかった。
それでは、私がお悔やみを申し上げていたとお伝えしてくれ。
ご当主にもな」
「かしこまりました。
わざわざお越しいただいたこと、必ずお伝えいたします」
深々と頭を下げた娘を後に、俺は帰途に就いた。
そして、仮喪が明けると、ローズマリー嬢が王城の俺の部屋に現れた。
背後には、いつもの娘の代わりに男の護衛を従えて。
たしかガードナー子爵といったか。
昨年のヨーカイリ事件の際に、いち早く察知して対処したという腕利きだった。
名目としては、俺の護衛も数回こなしたことになっている。
捜査のための方便で、実際には一、二度顔を合わせたことがある程度だが。
その彼が、ローズマリー嬢の護衛に?
いくら腕利きとはいえ男だ、入れないところもあるだろうに。
「先日は、ありがとうございました。
せっかくいらしていただいたのに、顔も出せず失礼いたしました。
祖母を喪った悲しみの故と、ご寛恕くださいませ」
「いえ、心中お察しします。
祖母であり師であり、という特別な方を亡くされたのです。悲しまれるのは当然かと」
「優しいお言葉ありがとうございます。
そう言っていただけると助かります」
すっかりいつものローズマリー嬢に戻っているようだ。
今後に悪影響はなさそうだな。
さて、どうしてガードナー子爵が一緒なのか訊いてみるか。
「ところで次…首席、いつもの護衛はどうなさったのですか?」
敢えてストレートに尋ねると、
「今日は王城に入るので、置いてきました。
王城内ではクロードの方が色々融通が利きますので」
との答えが返ってきた。
なるほど。王城内で動こうとすれば、影でしかない護衛の娘より、騎士であるガードナーの方が…クロード?
「首席、今、ガードナー子爵をクロードと…」
「そういえば、首席はクロードをご存じでしたわね。
改めて紹介いたします。私の婚約者のクロード・ガードナー子爵です。
喪が明けたら結婚する予定になっていますの」
「こっ…婚約者…ですか?
首席に婚約者がおいでとは、知りませんでしたが…」
そんなバカな! 所長からも何も聞かされていないぞ
「ええ、つい昨日、婚約したばかりなのです。
実は、クロードには、領地の方にいた頃にも護衛をしてもらっていたのですが、先日偶然再会しました。
待ち望んでいた、私の運命の人なのです」
信じられないことに、ローズマリー嬢は頬を染めている。
まるで恋する乙女のように。いや、実際、今の彼女は恋する乙女なのだろう。
まさか殿下以外に恋敵がいるとは思いもしなかった。
昔からの護衛だと? 秘めた恋だったというのか?
…いや、それはない。彼女はこれまで、本当に恋などしていなかったはずだ。
「再会…と仰いましたか」
「ええ、おばあさまが亡くなって私が沈んでいる時に支えに来てくれたのです。
私は知らなかったのですが、王都に来てから8年、ずっと護ってくれていたそうです。
昨年のアイーダの件も、私のために調査して見付けてくれたのです。
私を生涯護ってくれると誓ってくれました」
それは、護衛なら、守ると言うだろう。
聡明な彼女が、一体何を言ってるんだ!?
「私は、クロードに生涯傍で護ってもらいたいのです」
ああ…これは駄目だ。
「そうですか。お祝い申し上げます」
「ありがとうございます」
ローズマリー嬢──首席が帰った後、俺は執務机に突っ伏した。
言いたいことは山ほどある。
護衛に守られるのと、護衛と結婚するのは、全く別の話だ。
生まれながらの貴族令嬢と平民上がりの官僚貴族では、上手くいくとは思えない。
だが。
彼女のあの顔を見てしまえば、もう何も言えない。
所長は言った。彼女の夫は彼女自身が選ぶと。
彼女がガードナーを選んだ以上、もう勝負は決まったのだ。
悔しいが、敗者に言い訳は許されない。
今更ながら、結婚相手を探さねばならんな。
敗軍の将、黙して語らず。です。