裏55-1 首席の婚約(アイーダ視点)
首席研究員であるセルローズ・ジェラード様が急逝されたため、ローズマリー次席が首席研究員に昇格されました。
次席は空位となっています。
アーシアン殿下が次席に繰り上げというお話もあったのですが、未だそれに足るだけの成果を挙げておられないということで、保留となっています。
実際に首席として動き始めるのは仮喪が明けてからになりますが、次席が昇格されることは早々に発表されました。
というより、次席はゼフィラス公爵家の方ですし、名目としては喪に服する必要などないのですが、実際に血縁ですし、首席ご自身がそれを望み、所長もお認めになったのですから、仕方ありません。
幸いというか、元々首席が義妹様をお訪ねになるご予定の時期に重なり、紅花も織機も作業が特にありませんから、首席が喪に服しても影響がないことも有利に働きました。
もっとも、首席は亡くなった前首席を本当にお慕いしていましたから、無理に作業していただいても、どれほどのことができたか疑問です。
そういった意味では、この時期で良かったと思います。もちろん、そんなことは口にできませんが。
ともかく、私は首席の仮喪が明けるまでの間、作業員に予定どおりの作業指示を出していればいいわけです。
そうこうするうちに、所長に呼ばれました。
「首席がお引っ越しなさるのですか?」
「マリーは公爵家の跡取りだ。
本来なら、生家とはいえ侯爵家の屋敷に住むのはおかしい。それをできていたのはセルローズ・ジェラードの教えを受けるという大義名分があったからで、それがなくなった今、侯爵邸に留まる理由はない。
つまり、公爵邸に戻らなければならないのだよ。
まあ、せめて仮喪が明けるまでは侯爵邸にいさせてやろうと思うがね」
「それでは、私は次からは公爵邸に参ればよろしいのでしょうか」
「いや、今後は基本的にマリーが研究所に通う形になる。
ジェラード首席がいたからこその侯爵邸勤務だ。
マリー1人なら、わざわざ屋敷に君を呼び付ける必要はないからね」
「はあ…」
正直言って、首席が研究所に通わなければならない理由がわかりません。
私が赴く場所が公爵邸になったところで、大して手間は変わらないのですが。
ともあれ、私の意見などどなたも求めてはおられないのですから、私は言われたとおりに動くだけです。
そして、仮喪が明け、首席が研究所においでになりました。
相変わらずお屋敷を出る時には、護衛が付いています。
いつもの女性の方です。
首席の執務室は、今回の件を受けて少し改装されました。
これまでは、実質私が使うことが多く、首席がお仕事をなさることは少なかったので問題なかったのですが、今後は首席がお使いになるわけですから、使い勝手を良くするために改装が必要だったのだそうです。
ただ、素人目には、正直言って何が変わったのかわかりません。
ともかく、首席は、お休みだった間の研究所でのことを色々お尋ねになりました。
もっとも、状況としては、特に変わったこともないので、進捗状況を説明する程度のことでしたが。
私の説明が終わると、首席は軽く頷いて「わかりました」と言った後、
「正式な発表は喪が明けた後になると思いますが」
と前置きして、
「結婚が決まりました」
と仰いました。
表情には変化は見られませんが、今、確かに結婚が決まったと。殿下との結婚がお決まりになったということでしょうか。
それとも、まさかスケルス首席とか?
いずれにせよ、研究所としてもゼフィラス公爵家としても喜ばしいことです。
首席ももうじき20歳におなりですし、そろそろ結婚なさらないと、とは私も思っていました。
普通に考えて、お相手は殿下でしょう。
スケルス首席は公爵家の跡継ぎですし、どちらかの家がなくなることになってしまいますから。
「おめでとうございます。
お相手は、どなたでしょうか」
とりあえず、無難に訊いてみることにしましょうか。「殿下ですか?」と訊いて違っていたら、失礼ですものね。
ですが、首席の答えは、意外なものでした。
「アイーダは知らないだろうけれど、私が幼い頃から護衛を務めてくれていた人よ。
クロード・ガードナーといって、今は子爵位を賜っているわ」
ガードナー様!? 護衛って…。
「実は、私もずっと会っていなかったんだけれどね、先日のおばあさまの件で私がうちひしがれている時に支えてくれて。
一生護ってくれるって誓ってくれたのよ。
まだ仮喪が明けたばかりだし、正式な婚約は難しいのだけれど、一応お義父様にもお話は通してあって、喪が明けたら婿に迎えるわ」
ガードナー様が、公爵家に婿入り?
「あの、官僚貴族の子爵家当主が婿入りできるのでしょうか?」
「あら、クロードを知っているの?」
あ…、私、ガードナー様に助けられた話を首席にしてなかったんだ…。
どうしよう、今更言うのも変だし。
あ、でも、ヒートルース子爵の前でお会いしてるし、ガードナー様を知ってることはお話しても大丈夫よね。
「実は、以前、王城で襲われた際に助けていただいたことがありまして…」
「ああ、あの時の! そう、その時助けてくれたのは、クロードだったのね。
そういえば、間者を捕らえた騎士の名は聞いていなかったわね。
クロードは、元々おばあさま絡みで私が攫われないよう、幼い頃に護衛に付いてくれていたのよ。
アーシアン殿下暗殺未遂事件の時に活躍して、それで子爵位を賜ったそうなの。
それで、官僚子爵家の当主が私の婿に入れるのかって話だけれど、答えはできる、よ。
私がそう望んでクロードが拒否しなかった以上、陛下はお認めになるわ」
「あの、子爵と公爵では、随分と開きがありますが…」
「お義母様も官僚子爵家からゼフィラスに嫁入りしているもの。問題にはならないわ」
頭から血の気が引いていくのを感じます。
いえ、どうせ私はガードナー様に釣り合わないのですし、何かを言う資格などないのですが。
「おめでとうございます、首席。
どうぞガードナー様とお幸せに」
せめてガードナー様がお幸せになりますように…。
ある意味残酷な幕引きとなったアイーダの恋でした。
もっとも、本人も自覚していますが、気後れして何もアクションできていなかったわけなので、どのみち恋が成就することはあり得なかったのです。
マリーの護身術の関係は秘密なので、クロードとの関係は誤魔化しています。
ちなみに、研究室の改装は、主にセキュリティ的な部分ですので、外見は変わっていません。