52 私じゃない
領地へ出掛けようとしていた私は、門を出る前に屋敷の者に呼び止められました。
おばあちゃまが倒れたとの知らせに、心臓が止まるかと思ったほどです。
領地へ行っている場合じゃありません。領地で落ち合う予定だったネイクには申し訳ないけれど、今、おばあちゃまの傍を離れるわけにはいきません。
すぐにお義父様に知らせが走り、領地へは私の代わりに早馬が向かうことになりました。
とはいえ、知らせを受けてお父様が馬で駆け付けるにしても3日は掛かるでしょう。もしものことがあれば、間に合うかどうかわかりません。
医師の見立てでは、おばあちゃまの病状は貧血を起こしたのだろうということでした。
特に熱もなく、一晩明けた今は、起き上がることはできませんが、寝たままなら話ができるくらいには回復しています。
焦ってお父様達を呼ぶ必要はなかったかもしれません。
そこは今更ですから、とりあえず私はおばあちゃまとお話しながら看病することにしました。
どうせ、出掛ける予定でしたから、今は私にしなければならない仕事はありませんし、考えてみれば、王都でおばあちゃまとのんびり過ごす時間というのは初めてだったかもしれません。
私もそれなりに忙しかったですし、おばあちゃまはおじいさまやリリーナさんと過ごす時間の方が長かったですから。
ミルティに会いに行けなかったのは少し残念ですが、久しぶりにおばあちゃまとゆっくり過ごすのも悪くないでしょう。
ただ、おばあちゃまのお部屋の隅には、常におじいさまが座って見守っているので、2人っきりというわけではありませんが。
おじいさまは、おばあちゃまが倒れてから、ずっとお部屋に控えています。
何かあったら、それこそ一足飛びに駆け付けられるような感じで、まるで番人か何かのようです。
おじいさまもおばあちゃまを大切に想っているのがよくわかります。
「ごめんなさいね、マリー。悪い時に倒れてしまって。
せっかく楽しみにしていたのにね。
私のことなんか放っておいて、ミルティ様のところに行ってもよかったのよ。
あなたの人生は、あなたのものなんだから」
「そうです。私がここに残ることを選んだんですから、おばあちゃまは気にしないで、ゆっくり体を休めてくださいね」
私の言葉に、おばあちゃまは困ったような顔で笑っていました。
さすがに、お祖母様の時のように重病という状態でもないので、夜は自分の部屋に戻ります。
おじいさまは、おばあちゃまの部屋に簡易ベッドを運び込んでいました。
夫婦ですから、寝室を共にしても問題ありませんものね。私は、一緒にはいられませんけれど。
翌朝、おばあちゃまはやはり熱はないのですが、だるいそうで、朝食をほとんど食べられませんでした。
浅い呼吸をしてるな、と思ったら、意識をなくして。
しばらく苦しげに浅い呼吸をしていたおばあちゃまが、ふと目を開けました。
見えているのかいないのかわからない、虚ろな目です。
でも、何かを掴もうとするかのように手を伸ばしてきます。
「おばあちゃま…」
その手を取ろうとしたのに。
「ヴァニィ…」
「セリィ、俺はここだ。ちゃんとここにいる」
その手を取ったのは、おじいさまでした。
おばあちゃまは、おじいさまに手を握られながら、苦しそうに、でもはっきりと別れを告げました。
「ヴァニィ、愛してるわ。いつからかわからないくらい、ずっと。
傍にいてくれてありがとう。
ずっとずっと幸せでした。
あなたがいてくれたから…私は、幸せに、生きられ、ました」
そして、おばあちゃまの目は、そのまま閉じられて。
お祖父様が何かを答えているけれど、聞こえません。
涙が止まらない。
声も…出ません。
私は、おばあちゃまにお別れの挨拶もできませんでした。
周りが慌ただしい空気に包まれる中、私はひとり部屋に戻って鍵を掛けました。
そして、ベッドに突っ伏して泣いたのです。
声を上げて泣いたのなんて、いつ以来でしょうか。
泣きながら、私の心は絶望に染まっていきました。
私は、おばあちゃまが死んでしまったのが悲しいんじゃありません。
最期に、私に言葉を掛けてもらえなかったのが悲しいのです。
私の大好きなおばあちゃまの一番は、私じゃなかった。
私は、それが悲しいのです。
この作品を書き始めた時から、この日が来ることは約束されていました。
1年半かけて、遂にこの日が来たのです。
前作「転生令嬢は修道院に行きたい(連載版)」の最終話「転生令嬢は幸せに生きたい」でセリィが考えていたように、生きたいように生きたセリィの最期は、ヴァニィへの感謝の言葉でした。
そして、それがマリーを打ちのめします。
次回は、ガーベラス視点でこの裏側です。