裏51-4 旅立ちの朝(リリーナ視点)
3年前にセルローズ様が王都に出てらして以来、何度となく訪れた侯爵邸ですが、この雰囲気には未だに慣れません。
使用人の1人に至るまで、どうも監視されてるような気がして落ち着かないんですよね。
セルローズ様は、お子様を出産された時に体を壊してしまい、お2人目を産むこともできず、季節の変わり目には体調を崩されるようになったと伺っています。
元々は、冬の前に大きく体調を崩すくらいだったのが、最近では本当に四季を問わず季節の変わり目ごと毎回のように床に伏せるようになってしまわれました。
しかも、今は基本的にお屋敷を出られることもなく静養されているというのに、です。
一度、お尋ねしてみたことがありました。
「セルローズ様、王都の空気がお体に合わないのではありませんか?」
と。
けれど、セルローズ様は、
「心配かけてごめんなさい、リリー。
別に、王都がどうこうというわけではないのよ。
単に、私の体にガタが来ているだけなの。
もう55よ。カトレア様が亡くなったのもそのくらいだったわ。
むしろ、私がここまでもったのが不思議なくらいよ」
と、力なく笑われるだけでした。
確かにセルローズ様は儚げな印象の方ですが、学院時代は決して病弱ではありませんでした。
ノアジール様を出産された後、数か月に亘って寝込んだのは、それだけお体にご負担が掛かったという証左でしょう。その時に傷めてしまったお体は、遂に回復されることなくここまできてしまいました。
セルローズ様は、それでも悔いはないと仰いますが、傷付いたお体に鞭打って働き続けた35年ではありませんか。
なまじ比類なき才能をお持ちであるが故に、誰にも理解してもらえない孤独を抱えていらっしゃったセルローズ様。
私が支えて差し上げられればよかったけれど、それさえできなかった。私にできるのは、ほんの少しの気晴らしのお相手だけ。
「リリー、そんな顔しないでちょうだい。
私は幸せなのよ。同情されるような人生は送っていないわ」
セルローズ様は、楽しそうに微笑まれた。
いつも、そう。
どんな時も、小首を傾げてニコリと笑って「幸せ」と仰るだけ。
ご主人に尽くすことがセルローズ様の喜びなのだということはわかっているし、ヴァニラセンス様が心からセルローズ様を慈しんでおられることもわかってはいるけれど。
お2人が寄り添って、穏やかな余生を送ることはできないのでしょうか。
「私ね、曾孫が産まれるらしいわ。
お母様もお義母様も、曾孫が産まれる前に亡くなったのよ。
それだけでも、私は幸せだと思わない?
ヴァニィと私の血を引く子供達は、ちゃんと幸せに生きているの。
私には、それが何より嬉しいのよ。
マリーもね、とうとう独り立ちしたわ。
今マリーが研究しているのは、自分で見付けた目標のために、自分で選んだものよ。
まさか布を織る機械の研究なんか始めるとは、思ってもみなかったわ。
ネイクさんといったかしら、いい友達と巡り会えたのね。
私にとってのリリーのような、ううん、それ以上の存在だってわかるわ。
私にはヴァニィがいたけど、マリーにはまだ運命の人が現れてないから、その分、入れ込んでるのかしらね。
もう、大丈夫。
たとえ私がいなくなっても、マリーは1人で歩いていけるわ。
ネイクさんとミルティ様が支えになる」
「セルローズ様、突然どうされたのですか?」
「私は護衛の関係上、死ぬまで首席研究員でいることになるけれど、実質の首席は、もうマリーなのよ。
それを再確認できたから、肩の荷が下りた気分よ」
いつになく饒舌なセルローズ様に、得体の知れない不安がよぎる。
けれど、今日のセルローズ様は、お顔の色もいいし…。
そんなことを考えていたら、ノックの音がして、ローズマリー様がおいでになった。
「あら、リリーナさん、いらっしゃい。
いつもおばあさまの話相手をしてくれてありがとう。
おばあさま、それでは行ってまいります」
「ええ、ノアやドロシーによろしく伝えてね」
「はい、お兄様やミルティにも。
それでは。
リリーナさんは、ゆっくりしていらしてね」
にこやかに挨拶を交わされ、ローズマリー様はお出になられました。
どうやらジェラード侯爵領においでになるようです。
先程セルローズ様が仰っていた曾孫様の関係なのでしょう。
「ふふ、ネイクさんと一緒にミルティ様を訪ねるんですって。仲が良くていいわねぇ」
微笑んだまま、セルローズ様のお体がゆっくりと傾いでいきます。
私はそのお体を抱き留め、ありったけの声で叫びました。
「誰か! セルローズ様が! ローズマリー様を呼び戻してください!」
いよいよ、クライマックスです。