裏50-2 負け犬の人生(アリス視点)
1年近く前にリクエストを戴き、時期が来るのをお待ちいただいていた、ネイクの姉:アリス視点のお話です。
「アリス、これを妹君に届けてくれないか」
「わかりました」
もうすっかり定番となったお使いを頼まれた。
この家でのあたしの仕事は、跡継ぎを産むことと、妹のご機嫌取りに行くこと。
跡継ぎはもう産んだから、今では妹のご機嫌取りだけが仕事だ。
最近では、はいはいするようになった息子を連れて行くだけで妹は上機嫌になる。
正直言って、あたしが連れて行く必要すらないんじゃないかって思えてくる。
でもまあ、そんな仕事があたしにはお似合いなのかもしれない。
どうせあたしは、負け犬で能なしなんだから。
能なしのあたしが、王都の大店の若奥様なんてご大層なものになるなんて、思いもしなかった。
アリス・ランブル、それが今のあたしの名前。
兄さんが頭がいいのは知ってたけど、まさかネイまで王立学院に合格するとは思わなかった。
小さい頃から、兄さんは特別だった。
頭が良くて、優しくて、何でもできる兄さんは、あたしの自慢だった。
ちょっと足が速いくらいで、他に取り柄のないあたしに、父さんはよく「ナシールを見習え」って言った。
あたしは9歳まで王都で育った。
王都の広場で商人の子供達が鬼ごっこをすれば、あたしの足に追いつける奴はいなかった。でも、それだけ。
父さんが働いていたドリスト商会のジョアンナお嬢様なんか、遊びには入らなかったけどたまに顔を出すといつも綺麗な服を着ていて、そんなお嬢様が凄く羨ましかった。
「お嬢様」っていいなあって思ってた。
あたしには、あんな綺麗な服を買ってもらうのは無理だってわかってた。それに、綺麗な服を着たって、あたしが綺麗になれるわけじゃない。
妹はまだ可愛い顔をしてるけど、あたしは日に焼けた真っ黒な顔の、気が強くて足が速いだけの女だ。
あたしが10歳の時、兄さんが王立学院に合格した。入るのがすっごく難しいって話だけど、あたしの自慢の兄さんなんだから、絶対受かると信じてた。
ちょうどその頃、父さんが店を出すってことで、王都から離れたテヅルの町に引っ越すことになったけど、どうせ寮に入る兄さんとは長期休暇とかじゃなきゃ会えないんだから、あたしは平気だった。
ネイは、友達と離れるのがよっぽど嫌だったみたいで、わあわあ泣いていた。
あたしが兄さんの側にいるには、王立学院に入るしかないから、あたしなりに一生懸命勉強したけど、やっぱりダメだった。
世の中、ダメな奴は何やったってダメなんだ。
兄さんは、長期休暇に帰ってくると、ネイに勉強を教えてるらしい。あたしには教えてくれなかったのに。
なんか、ネイも王立学院に行きたがってるみたいだ。
兄さんの側にいたくてってことじゃない。だって、ネイが合格できたって、兄さんは入れ違いで卒業するんだから。
じゃあ、なんでだ? ネイの頭じゃ、どうせ受かるわけないのに。兄さんだからこそ受かったってのに。
父さんも、ネイが受験するのは反対してた。
そりゃそうだ、だって受かるわけないもの。
それなのに、兄さんは、ネイに受験させてやるよう父さんを説得した。
そして、信じられないことに、ネイは受かってしまった。兄さんだからこそ受かったはずだったのに。
兄さんみたいな頭のいい人ならわかるけど、ネイみたいな頭の悪いのが受かるなんて、信じられない。
ネイは、その後、「飛び級」とかいうのをやって、卒業したらお城に入ることになるって話だ。
あの、ネイが。お城で、国王様の下で政に関わるの!? 信じられない。
ネイは、確かに素直でいい子ではあるけど、駆け引きもできない、気も回らない、頭の悪い子だ。
そのネイが、お役人様になるの!?
何がどうなってるのか、わからない。兄さんでさえ頭を捻ってる。
兄さんには、ジョアンナお嬢様と結婚の話が入ってきてた。
ティーバ商会がそれなりに業績を上げているのもそうだけど、兄さんが王立学院を卒業したエリートだからってのが主な理由だ。
今年一番の話題のはずだったのに。ネイの話題があっさりその座を奪っていった。
夏にネイが帰ってきたけど、あんまり変わってなかった。
色々と言いたいことはあるけど、負け犬で能なしのあたしには、何かを言う資格はない。
広場に来てたヒートルースの坊ちゃまと恋仲になろうが、貴族になろうが、ネイの人生だもの。
どうやって成功したか、じゃない。
成功したかどうかが全てだ。
好きにしたらいい。
負け犬のあたしは、父さんに言われたように生きるだけだ。
ジョアンナお嬢様が嫁いできた。相変わらず綺麗だ。
「アリスさん、これからよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします。お嬢様」
「嫌だわ、そんな他人行儀な。同い年だから気になるのかもしれませんけど、私は義姉になるんですから、義姉さんと呼んでくださいな」
「わかりました、義姉さん」
負け犬は、言われたとおりにしますとも。
今回ネイが帰ってきた時、公爵家のお嬢様が一緒に来たとかで、兄さん達が騒いでた。
夕食の時にネイから話を聞いたけど、よくわからない。
ただ、ネイがそのお嬢様にすごく気に入られてるってことはよくわかった。
そうか、ずっと気の利かない子だと思ってたけど、王立学院でちゃんとやってるんだ。
ネイはネイなりに、ちゃんと頑張ってるんだってことに、今頃やっと気が付いた。
あたしは、やっぱりバカだなあ。
「アリス、お前の嫁ぎ先が決まったぞ」
あたしの嫁ぎ先のランブル商会は、王都でもそこそこの大店だった。
そこの跡継ぎが来春学校を卒業したら嫁ぐ、ということで話が決まった。
ドリストの旦那様が、あたしのために探してくれた良縁だそうだ。兄さんが良縁だって言うんだから、きっとそうなんだろう。
跡継ぎの人は、あたしと同じで王立学院には落ちたそうだし、ちょうどいいのかもしれない。
どっちにしても、あたしは言われたところに嫁ぐだけなんだけど、夫婦仲はいい方がいいに決まってる。
「スークだ、これからよろしく」
「アリスです。幾久しくお願いします」
1歳下の夫スークは、多分、広場で何回か遊んだことのある人だった。
鬼ごっこで捕まえたことがあったはずだ。
ってことは、足はあたしより遅かった。今は知らないけど。
初夜がすんだ後、夫がポツリと言った。
「アリスとは、何度か広場で遊んだ覚えがある」
「何度か鬼ごっこしました」
「たしか、足が速くて逃げ切れなかった覚えがあるよ」
「捕まえた覚えはあるわね」
「年上とはいえ、女に負けたのは、随分悔しかった」
「そう。それはすみませんでした」
「まあ、そういうわけだから、知らない仲じゃないし、うまくやっていこうじゃないか。
お互い、王立学院に落ちた者同士だ」
「わかりました。落ちた者同士、よろしくお願いします」
どうやら、ネイの姉だからと、知らない女を娶ったわけじゃないらしい。
その後、あたしは、ネイの──ヒートルース子爵家へのご機嫌伺いに同行するようになった。
身内というのは、よそに比べてかなり有利になるから。
新興で、まだ御用達の店が決まっていない家に食い込むには、やっぱりコネがものを言う。
特に仲が良くも悪くもなかったあたし達姉妹だと、こういう時はちゃんとプラスにはたらいてくれる。
実際に注文してくれるのは使用人だけど、奥様が姉をもてなしている以上、御用聞きに「早く帰れ」と言えるわけもなく、注文を取りやすいからだ。
嫁ぎ先で、あたしは大事にされていると言っていい。
由緒ある大店の跡取りに、新興の店から嫁ぐなんてことをすれば、いくらドリストの旦那様の口利きとはいえ、普通なら使用人が嫌味の小山を築きそうなものだけど、あたしに嫌味を言う使用人なんか1人もいない。
貴族に嫁いだ妹を持つ女。
負け犬にも価値はあるものなんだって知った。
産まれた子供をネイに見せたら、すごくうらやましがられた。
ネイは、しばらく子供を作るわけにいかないそうだ。
勝ち組にも、それなりに悩みはあるらしい。
あたしは、もしかしたら負け犬じゃないのかもしれない。
アリスもそれなりに幸せな人生となっているようです。
自力で成功するだけが幸せではない、ということですね。