裏39-4 気にくわない新人講師(タナーゲ視点)
当初、通算100話記念として掲載したものを移動しました。
今回は、ネイクの教え子タナーゲ・モッティー侯爵家子息の視点です。
俺が2年生になったこの春、学院に新しい講義が開設された。
「登用試験対策特別講義」なんて長ったらしい名前のそれは、要するに登用試験を目指す院生のための特別講義だ。
通常の講義と違って単位にはならず、週1回、講師と1対1で、ある程度こちらが望んだ科目を学ぶことになる。
「ある程度」というのは、講師の判断で受講科目を変更することができるからだ。
院生の方が算術の講義を望んでも、講師が簿学を強化すべき、と判断すれば、簿学の講義になるとか。
この特別講義は、官吏志望の者の中から、どうやってか知らないが選ばれた者だけが受講できるようになっている。
極端な少人数制の講義だからか、えらく競争率が高いわけだ。
俺の受講希望が通ったところを見ると、家柄と成績で選んでるんじゃないかと思う。
俺は、官僚侯爵家の嫡男だ。
官吏になり、いずれ爵位を継ぐ。そうするよう育ってきた。爵位を継ぐために幼い頃から勉強に明け暮れてきたんだ。
特別講義の講師は、とても優秀だと聞いている。何人もの院生を官吏にしたとか。
どんな講師か楽しみだ。
「私が講師を務めますネイクミット・ヒートルースです」
現れたのは、どう見ても俺と何歳も違わないであろう女だった。
若すぎる。一緒に受講する院生だと言われた方が、まだ信じられる。
これが何人も登用試験に合格させた優秀な講師だって? 冗談はよせ。
「あんたは貴族なのか?」
「ええ、先日、夫が子爵位を賜りました」
子爵夫人か。夫は優秀なんだな。
講師は、まず俺の力を見たいからと、問題を持ってきていた。
簡単な問題から、とんでもなく難しいものまで。それも、複数の科目だ。
「はい、大体の学力はわかりました。
じゃあ、次回からはそれに合わせた進め方にしましょう。大丈夫、今から準備すれば十分間に合います」
最初の講義は、問題を解くだけで終わった。
手抜きもいいところだ。
舐めやがって。たかが子爵夫人のくせに。
腹を立てた俺は、次の講義に行かなかった。
その翌々日、校舎の前で呼び止められた。
「あんたね、つまらないプライドに拘ってるバカは」
こちらを睨みながら立っているのは、悪名高きゼフィラス公爵令嬢だ。家柄を鼻に掛けて威張り散らしていたものだから、廃嫡されて嫁に出されることになったって評判の。
来春卒業すると、ジェラード侯爵家に嫁ぐことになってるんだったか。
代わりに奇蹟の再来がゼフィラス公爵家に養女として入り、公爵家と王立研究所を継ぐことになってるらしい。
「何かご用ですか?」
一応、相手はまだ公爵令嬢だから下手に出ておく。じきに侯爵子息夫人に落ちるくせに偉そうに。今のうちにいい気になってろ。
「バカがいるって聞いたから、見に来たのよ。
なるほどね。自分の置かれている状況がまるで見えていないわけ。
バカって幸せなのね」
人のことをバカバカと気安く…いくら公爵令嬢でも、度が過ぎるぞ。
「ひ…」「あんた、官吏になれなきゃ平民だって、理解できてる? 試験のための特別講義を放り出せるほど成績いいのかしら?
わかってる? あんたはただの院生、ネイクは講師。
ネイクがその気になれば、あんたは講義を受ける資格を失くすのよ? どっちの立場が上か、よく考えるのね」
「たかが子爵夫人が…」
「あんたにわかりやすいように言ってあげるわ。
ネイクミット・ヒートルースの後見には、ゼフィラス公爵家がついてるの。
お父様を敵に回して、あんたに何の得があるのかしら?
王城で生きていきたいなら、周りの噂に耳を傾ける癖をつけた方がいいわよ」
言うだけ言うと、公爵令嬢は去っていった。
後見がゼフィラス公爵家? たかが子爵夫人に?
どういうことかわからなかった俺は、周囲の人間にそれとなく聞いてみた。
俺はあまり社交的な方ではないから特に親しい友人もいなかったが、それでも多少のことがわかった。
あの講師は、奇蹟の再来に教わって飛び級した才媛なんだそうだ。
それだけならともかく、ゼフィラス公爵令嬢に勉強を教えて2科目飛び級させたり、婚約者が主催した勉強会で中心となって、そのほとんどを登用試験に合格させたとか。
しかも、ここ2年で入ってきた平民の大部分があの講師の教え子らしい。
院生の頃から、何人も教えてきたのか。
何人もの院生を官吏に押し上げたというのも、院生時代のことなのか。
そして、この春、学院を卒業したばかり。若いのも当然だ。
俺は、官吏になって爵位を継がなきゃならない。それが俺の義務だ。
あの講師に習うことで合格する確率が上がるというなら、頭だって下げよう。
「先週は無断で休んですみませんでした」
「気にしなくていいですよ。誰でも体調の悪い時はあるものです。
それで、モッティーさんの今後の方針ですが…」
才媛講師は、先週講義をすっぽかしたことなどなかったかのように講義を始めた。
恐ろしくわかりやすい。
しかも、的確に俺の長所短所を把握している。最初の問題は、そのためのものだったのか。
しばらくして、俺は新たな悩みに直面することになった。
今までと、正反対な悩みに。
どうして、この人は既婚者なんだ…。