『ユリィの一日』 その六
☆
「いやー、酷い目に遭った」
「アン先輩が暴れるからですよ」
「あたし一人だけのせいじゃないでしょ!!」
「もう、二人とも、ケンカしてないで早く片付けますわよ」
倒れたソファーを直して、ティーセットを用意して、わたしたちは円卓を囲うように座る。
今日も今日とて、錬金術部の活動が始まる。
といっても、みんなでお菓子を食べて紅茶を飲んで、適当にお喋りするだけだけど。たまにアンさんやシャリーさんの思いつきで企画があったりするけど、基本的に部活の時間は面白おかしく談笑するか遊ぶかして終わる。
錬金術の勉強をしたり実践してみたり、なんてことは一切ない名ばかりの錬金術部だ。部室の隅でほこりをかぶっている錬金術の道具や本たちには、ちょっと申し訳ない。
「もぐもぐ……むぐっ!! げほっ、げほっ!!」
ビスケットが喉に引っかかったのかアンさんはむせて、慌てた様子でティーカップを引っ掴み口をつけた。
「あちちっ!! ……ふーっ、ふーっ、ふーっ……ずずず……ぷあー、うまい!! おかわり!!」
あっという間に紅茶を飲み干し、ティーカップを天高くかかげる。
「もう、はしたないですわよ。前々から言ってますけど、アンは作法どころか最低限のマナーすらなってませんわ」
シャリーさんはアンさんのティーカップを受け取って、紅茶を注ぎながら言う。器用に、片手でティーポットを扱っている。
「めんどっちーじゃん、そんなの」
「せめて、飲む時に音を立てるのはやめてくださる? はい、おかわりですわ」
「ぶーっ……ありがと……」
頬を膨らませながら、アンさんはティーカップを受け取った。
「あの〜、私もおかわりいいですか〜?」
「承りましたわ。少々お待ちを」
ショコラちゃんのティーカップを受け取り、紅茶を注いで再びショコラちゃんに返す。無駄のない優雅で洗練された動きには、ため息が出そうになる。
「ありがとうございます〜」
「毎度のことながら、シャリーさん手慣れてますね。すごいです」
「うふふ、ユリィちゃんに褒められるなんて、お作法を学んだ甲斐がありましたわね」
「シャリーが習った作法を復習するために、子どもの頃よくお茶会ごっこしてたもんね……ずずー」
「……アンは、作法どころか最低限のマナーすら覚えずに、今に至りますけれどね」
横目でアンさんを見て、シャリーさんはため息をついた。
「あたしはそういうめんどいの嫌いなの!! 美味しく飲めればそれでいいの!! あとおかわり!!」
「そんなにがぶかぶ飲むとお花摘みが近くなってしまいますわよ。……はい、どうぞ」
「ふーんだ……ありがと」
小言をつきながらも紅茶を淹れてあげるシャリーさんと、ぶーたれながらもお礼を言ってそれを受け取るアンさん。さすが幼なじみ、なんだかんだで仲が良い。
「ずず……あっ、そうだ。ねぇ、合宿やらない?」
「藪から棒ですわね」
「部活といえば合宿じゃん? 去年はあたしたち合宿やんなかったし、今年こそはやりたいんだよね!!」
「楽しそうですね〜」
「……普段練習をするわけでもなければ、大会もない私たちに合宿の必要性があるのですか?」
「わかってないなぁ、メグは。合宿といえば、海水浴したり、バーベキューしたり、キャンプファイヤーしたり、肝試ししたり、恋バナしたりするためにあるんでしょうが!!」
彼女の合宿のイメージは恐ろしく偏ったものだった。けれど、部活動の経験が無いわたしの『合宿』という言葉から受けるイメージも彼女と同じものだ。わたしも彼女も、娯楽作品の観過ぎかもしれない。
「それは、合宿ではなくてただの旅行ですよ」
「あたしが合宿と言ったら合宿なの!!」
「合宿は大いに結構ですけれど、ただ漫然と遊ぶだけではメグちゃんの言うとおり旅行と変わらないですわ。合宿と言うからには何か目標を立てて挑むべきですわよ」
「遊んで思い出作ることが目標だい!!」
「いつもの部活で散々やっていますわ」
「むーっ、そうじゃなくてさ、合宿ってことに意義があるんだよ」
「はぁ、そうですの。……一年生の子達は、なにか案がありますかしら?」
シャリーさんが上手いこと丸め込むだろうと思ってぼんやりと成り行きを見守っていただけなので、急に意見を求められても何も浮かばない。メグちゃんは何を言うべきか考えている様子だった。わたし達二人がフリーズしている内に、ショコラちゃんがゆるりと手を挙げた。
「勉強合宿なんてどうでしょうか〜? みんなで夏休みの宿題をしましょ〜」
「あら、いいですわね」
「やだやだ!! せっかくの合宿なのに勉強なんかしてらんないよ!!」
「アンはともかくとして、二人はどう思いますの?」
「私は異論ありません」
「わたしも賛成かなぁ」
ぶっちゃけなんでもいいけど、この際多数派にくっつこう。寄らば大樹の陰だ。
「ユリィ、あんただけはあたしの味方だと思ってたのに!!」
まさか、合宿に対して同じようなイメージを持っていたのを見抜かれていたのだろうか。同じ穴のムジナの臭いを嗅ぎ取るとは、恐ろしい。けれど、ここは多数派に便乗し通すのだ。大丈夫、シャリーさんが庇ってくれるはず。
「す、すみません、でもわたしも勉強合宿がいいなー、なんて」
「ユリィちゃん、謝ることはないですわよ。……さて、賛成多数ですし、第一回錬金術部合宿は勉強合宿ということでよろしいかしら?」
予想通りシャリーさんが庇ってくれた。一安心だ。
「よろしくない!! 断固反対だ!! 反対意見も聞けー!!」
わたしがムジナ穴から逃げ出して、一人になってしまったアンさんは、それでも戦い続ける気満々だった。
「……では、どうして反対するのか理由をどうぞ」
「せっかくみんなで泊まりがけなのに一日中勉強漬けなんてつまんない!!」
「一日中勉強漬けにする気なんて元からないですわよ」
「えっ、そうなの?」
「誰だって、一日中勉強するのは辛いですし集中力も続かないですもの。息抜きが必要なのは、十分わかっていますわ」
「なんだー!! それならそうと早く言ってよね!!」
「あなたこそ、最後まで話を聞いてくださいな」
「で、息抜きはなにするの?! トランプ? それとも釣り?バーベキューもいいなー!!」
「本当にあなたは、遊ぶことしか頭にないんですのね……あくまでも勉強が主な目的ですわよ。遊ぶのは二の次、ですわ」
「やだー!! 勉強なんかしたくないー!!」
「だから勉強合宿ですわよ! 勉強をすることこそが――」
しばらく、先輩二人の間で勉強と遊び、どちらを重視するかの押し問答が続いた。
結局、勉強と遊びの時間のけじめをちゃんとつけるという、なんともふんわりした決着がついた。
その後も、滞り無くお喋りは続く。楽しいひと時の合間、なんの気無しに窓を見やると、影の濃くなった木の群れが薄暗くなり始めた空気の中でざわざわとうごめいていた。木々に取り囲まれた旧校舎は、新校舎へと続く道以外に街灯が設置されていないため、夕闇が深まる頃になると真っ暗になってしまうのだ。
「外、暗くなりましたね」
「ほんとだ〜」
「あら……もうこんな時間ですの。そろそろお開きにしましょうか」
腕時計をちらりと見て、シャリーさんは両手をぱんと打ち合わせた。
「あー、今日も有意義な部活だったなー」
アンさんは椅子ごとひっくり返りそうなほど仰け反り伸びをした。
「あ、最後の一枚もらっちゃいますね〜。もぐもぐ……お腹空いたな〜」
最後の一つだったクッキーを頬張っていながら、ショコラちゃんのお腹が鳴っている。
「おい、クッキーを食べながら腹を空かすな」
律儀につっこみをしながら、メグちゃんは立ち上がった。
みんなでだらだらと片付けをして、部活の時間は終了する。あとは帰るだけだ。
外へ出た時には、宵の明星が朱と藍のグラデーションの中できらりと輝く時間になっていた。
「それではみなさん、また明日会いましょう。ごきげんよう」
「じゃーね!! また明日!!」
「はい、さようなら」
「さようならです〜」
「シャリー先輩、アン先輩、また明日です」
並木道を過ぎてから、駅に向かうアンさんとシャリーさんに別れを告げ、わたしたち三人は家路につく。
目抜き通りの店の軒先にも明かりが灯り、看板は色付けされた灯石で彩り豊かにきらきらして、同じお店でも昼とは違った顔を見せる。
路面列車の前照灯が薄暗闇を切り裂いて、わたしたちを追い越してゆく。三両編成の車両は街灯の光で車体を鈍く光らせ、がたごと音を立てる。車窓の中では大量の人影が狭っ苦しそうにしていた。赤い尾灯がだんだんと小さくなって、遂には見えなくなった。
「今日の晩ごはんなにかな〜」
「なんだろうね。……あー、久しぶりにブラウンピルツのバター焼きが食べたいなぁ」
「私はブラウンピルツだけじゃなくて、いっぱいきのこが詰まったきのこパイが食べたいな〜」
「あぁ、具だくさんのきのこパイもいいね……あー、きのこ食べたい」
「ユリィはきのこが好きなのか?」
「うん、きのこ大好きだよ。将来はきのこ系錬金術師になりたい」
「なんだそりゃ。なんでそんなにきのこ好きなんだ」
「そりゃ、美味しいからだよ。あと、食材になるだけにとどまらず、錬金術の素材にもなるその万能さとか? あの湿ったところにひっそりと生える奥ゆかしさと、バラエティに富んだ愛くるしい見た目もいいよね」
「ははっ、きのこ脳だな」
「あ、そうだ。きのこ脳といえばゲヒルンピルツっていう脳みそそっくりなきのこがあるんだけどさ、しわしわでキモくてそれがまたかわいいんだよねー」
「うえっ……気持ち悪い……」
「ゲヒルンピルツだったら〜、実家の裏山の倒木にびっしりいっぱい生えてたの見たことある〜。あれは圧巻だったな〜」
「えっ、なにそれ見たいかも」
「勘弁してくれ……」
きのこについて熱く語るうち、住宅街に入った。民家の窓からは、暖かい光が漏れている。ある家の夕飯の匂いが鼻をかすめていったと思うと、また別の家庭の夕飯の香りがする。お腹が空いてくる。
「じゃあ、私はこれで。ショコラ、明日はちゃんとねぐせを直してくるんだぞ」
「は〜い。ちゃんと早起きするよ〜。ばいば〜い」
「ばいばいメグちゃん」
「あぁ、じゃあな」
橋のたもとでメグちゃんと別れを告げ、わたしとショコラちゃんの二人だけになった。家までは、もう少し歩くことになる。
ひゅう、と風が吹いた。ぶるりと身震いしてしまう。春といえど、日が沈むと少し肌寒い。
「うー、寒い寒い」
ショコラちゃんの首筋に、冷えた手の甲を当てる。
「きゃうっ! 冷た〜い……それ、お返し〜」
彼女の手が伸びてきて、首筋がひやっとした。
「うぎゃっ! やったなー!」
背後に回り込み、おぶさる。もふもふであったかい。ふわふわした髪の毛からは、わたしのシャンプーと同じ香りがした。
「あう〜、やめてよ〜」
「さて、このまま家まで行こうか」
「これじゃ歩きにくいよ〜」
一分ほどおぶさっていたけど、ショコラちゃんの歩みが牛のように遅々として進まない。このままでは家に着く頃には夜が明けそうだったので、結局彼女の背中から降りて歩くことにした。