『くしゃみ』
☆
「くちっ」
部室に響いた、子猫のようなくしゃみ。シャリーさん以外みんな、円卓から顔を背けているメグちゃんに注目した。こんなに可愛い音が彼女から発せられたことが、わたしには信じられなかった。みんなも多分、同じ思いだろう。
「メグちゃん風邪ですの?」
お茶をすすりながら、シャリーさんは問う。彼女はメグちゃんのくしゃみの仕方を知っていたのか、平然としている。
「いや、なんだか、鼻がむずむずして」
「ホコリかしら? それとも花粉?」
「ずずっ……なんでしょうね」
「えっ、てか、今のメグのくしゃみなの?」
「そうですが」
「いやいや、メグがそんな可愛いくしゃみするわけないよね?」
全くそのとおりだ。メグちゃんがあんな可愛いくしゃみをするなんて、似合わないこと甚だしい。
「ケンカ売ってるんですか」
鋭い瞳でそんなことを言うものだから、頭の中ですら前言撤回せざるを得ない。いや、可愛いくしゃみでもわたしはいいと思うよ? ギャップ萌えってやつだよ。うん。
「売ってないよ!! 似合わないって思っただけだし!!」
「くしゃみに似合う似合わないなんてないでしょうに……」
「でも〜、可愛いくしゃみで羨ましいな〜」
「羨ましいものなのか? ふむ……じゃあ、そう言うショコラは、どんなくしゃみをするんだ?」
「私は普通に『ふぇっくしゅん』って感じだよ〜」
ショコラちゃんのくしゃみを聞くと、わたしは何故か彼女の口の中からマシュマロが飛び出てくる妄想をしてしまう。たぶんこれはわたしだけの感性なので、この場では言わないでおく。
「たまにさ、『はーっくしょん、ちくしょー!』みたいな人居ない?」
「それは自分のことでなくて?」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「アンさん、おじさんみたいですね」
「おじさん言うな!! てか、ユリィこそ、どういうくしゃみすんのさ」
「え? わたしは普通ですけど」
「普通じゃわかんないよー。……よし、くしゃみさせてやろう」
アンさんは邪悪な顔でポケットから粉末コショウのびんを取り出し、ちらつかせてきた。
「なんでそんなの持ってるんですか」
「イタズラにはいろいろと道具が必要なのだよ。というわけで、覚悟!」
逃げようと椅子を引いた時、既にアンさんは背後に回ってきていて、椅子ごと羽交い締めされてしまった。相変わらずの馬鹿力で、まったく振りほどけない。
「さすがに食べ物の前でくしゃみはさせられないからこっち向かせてっと」
そういう常識には頭が回るのに、どうして人に無理矢理くしゃみをさせるという非常識な思考は持てるのだ。
「ユリィちゃん、くしゃみを浴びる準備はできていますわよ! さぁ! 遠慮せずわたくしに浴びせてくださいまし!」
シャリーさんはわたしの前に跪いて両手を広げた。わたしの体液を浴びることができるまたとない機会に、完全に目がくらんでいる。この変態は駄目だ。助けてくれない。
「メグちゃん助けてー!」
「お前、私のくしゃみ似合わないって思ってただろ。顔に書いてあったぞ。だから今回は助けん」
「ごめんってばぁ! くぅ……ショコラちゃあん!」
「ユリィちゃんも結構可愛いくしゃみするんですよ〜。みんなにも聞いてほしいです〜」
「なんでぇ?! そこで変な天然発揮しないでよ!」
味方は周りに一人も居ない。わたし一人ではこの縛めを解くことはできない。これ以上抵抗しても疲れるだけだ。……抵抗する気力が失せた。
「お、諦めた?」
「はい……やるならひと思いにやってください……」
「にししっ、じゃあ、いくよー」
蓋の開いたビンの口が鼻先へ近づけられる。コショウ単体の刺激的な香りで、鼻の奥がつんとしてむずむずしてくる。
「ふぇ……ふぇ……ぷしゅっ!」
口が塞げないから、わたしの唾液は勢い良く前方に飛んでいった。無駄にエロティックな恍惚の表情をしている、シャリーさんの元に。くしゃみを浴びるただの変態の筈なのに、なんて、綺麗な姿なんだろう。さながら、流れ落ちる聖水の飛沫を浴びる聖女。あぁ、わたしの目はイカれてしまっている。
「……地味っ。もっとさー、シャリー吹っ飛ばすくらいのくしゃみ出ないの?」
「ずずっ……む、無理です、ドラゴンじゃあるまいし」
「ふふっ、可愛らしいくしゃみでしたわよ。ごちそうさまでした」
くしゃみを浴びた後のごちそうさまという言葉は、一般的には狂気の沙汰なのに、嫌悪感が一切ない。わたしは頭もだいぶキているようだ。
「なんだよ、ユリィだって、なよなよしたくしゃみじゃないか。私の事は馬鹿にできんな」
「くしゃみって人それぞれで面白いね〜」
みんなそれぞれ、勝手なことを言う。常々思うけど、我が部活は無軌道過ぎる。もう慣れたけど。
「このコショウのビン、ユリィの唾入っちゃったなぁ。ユリィあげるよ。記念品」
「なんの記念ですか……いらないです」
「わたくし! わたくしそれほしいですわ!」
コショウのビンを受け取ったシャリーさんは、よだれを垂らして小躍りしていた。何に利用するかは知らないし、知ったところで、この世の深淵をまた一つ覗くことになるだけなので、気にしないことにする。




