『ユリィの一日』 その三
朝のホームルームの話は、要点をまとめるとこうなる。
一、そのうち抜き打ちで持ち物検査を行うので、気をつけること。
二、学級委員長はホームルームが終わったら職員室に来ること。
三、最近旧校舎周辺に野良猫が住み着いているけど、餌を与えないこと。
なんとも平和なものだ。
教室でグダグダしているうちに、一限目の始業のチャイムが鳴った。一限目は歴史学の自国史だ。我がリュッケンハイネ連邦共和国が建国されるよりずっとずっと昔、我が国の地域一帯は大小合わせて五十以上の国が乱立している国家群であったとかなんとか。
わたしたちの今住んでいるハルトラント州フレイヤ区は、もともと魔法使いが建てた小国家だったらしい。
ノートはここで終わっている。後は、みみずがのたくったような線が、最後に書いた文字を起点にしてノートを縦断していた。わたしが睡魔に屈してしまった証だ。
「メグちゃん、後でノート写させてくれないかな」
「……はぁ、帰る時に借してやるから、ちゃんと写して明日持って来るんだぞ。わかったか?」
「ありがとー、メグちゃん大好きー」
「ふ、ふん。今日だけだぞ。これからはちゃんと自分でノートをとれよ」
「はいはい、わかってるって」
いつも今日だけと言いつつ、ノートを貸してくれるメグちゃんは優しい。
続いて、今日の二限目は音楽だ。我がリュッケンハイネ連邦共和国の民族音楽に欠かせない伝統的なヴェなんとかという弦楽器を、音楽の先生は弾いてみせた。
心地よい優しい音色が特徴のこの弦楽器の音を聞いて、気持ちよく目をつむっていたらいつの間にか授業が終わっていた。
みんなが教室に帰ろうとする喧騒で目を覚まし、慌てて立ち上がる時に椅子をひっくり返してしまい、無駄に注目を浴びてしまった。穴があったら入りたい。
恥ずかしい気持ちを抱えたまま、三、四限目の数学に突入だ。我がリュッケンハイネ連邦共和国にはなんとかという公式を発見したすごい人が居るらしい。
三限目はまだ余裕だった。一、二限目を犠牲に睡眠をとっていたおかげで元気はつらつ、授業をちゃんと聞いてノートもとった。理解はいまいちできなかったけど、いつものことだ。
四限目は復習として三限目で習った公式や定理で解く課題を山のように出されたから、居眠りするわけにもいかず、ただひたすら計算していた。
そうしているうちに数字とはなぜ存在するのかという問題に直面し、このわたしが生きている世界について考え始め、神様たちは今頃いびきをかいて寝ているのだという結論に至った。
達観した気持ちでふと時計を見ると、授業終了十五分前になっていた。
まずい、課題がまだ終わっていない。どう見積もってもあと三十分はかかる。かくなる上は、本気を出すしかない。
今までにないほど素早く計算をしたし、手も動かした。自分の脳みそが加速していく感じがして、最高にハイになった。結果、終鈴が鳴る二分前ギリギリに、なんとか課題の紙を全て埋めて提出することができた。字が汚すぎると怒られたけど、神様が仕事をしていない現代においてはちっぽけな問題だ。
そして午前の授業が終わり、昼休みに入った。机を移動させてメグちゃんの机にくっつけ、わたしたち三人の食卓の完成だ。
「いやー、午前もがんばった。お腹ぺこぺこだよー」
「おまえ、半分以上寝てただろ……」
「ごっはん〜、ごっはん〜」
ショコラちゃんはうきうきで、隣の席の椅子を拝借した。隣の彼は、いつも昼休みになった瞬間にどこかに消えて、昼休み終了間際まで帰ってこないので、差支え無いだろう。
さっそくお弁当を広げる。わたしとメグちゃんは、我が家の料理番謹製のお弁当で、うさぎさんウインナーが二本、じゃがいもとベーコンと玉ねぎの炒めもの、温野菜、そして近所のパン屋さんのパンだ。
「へぇ、うさぎさんウインナー……いいな」
メグちゃんがぽつりと呟いた。
そう言うメグちゃんのお弁当は、でっかいソーセージとたっぷりで彩りもいいサラダ、結び目みたいな形のパンを二つ、魔法瓶に入れたオニオンスープ、デザートにりんごのトルテをふた切れだ。そっちのお弁当もかなりいいものだと思うけど。
「じゃあ、一足先に、いただきまーす」
パンをひとかじりする。パン屋さんは今日もいい仕事をしている。深いコクがあって香ばしく、そのままでも十分おいしい。
「まったく、焦らなくても昼飯は逃げないだろうに。……いただきます」
「いただきま〜す」
「……あぁ、そういえば。ショコラ、なんでも好きなものを持っていってもいいぞ」
一口パンを食べてから、メグちゃんは思い出したように言って弁当箱を気持ち前に押し出した。
「え〜、冗談だったのに〜。でも、くれるなら遠慮なくもらっちゃうよ〜」
ショコラちゃんは豪華なお弁当の中からりんごのトルテを選んでひと切れもらった。
約束を反故にするわけにもいかない。わたしも、おかずを献上しないと。
「……ショコラちゃん、うさぎさんウインナー食べたい?」
「食べたいな〜」
「くうっ……はい、あげる。ショコラちゃんのところでも元気でやるんだよ」
うさぎさんウインナーを一羽、丁重にフォークの上にのせて、ショコラちゃんのお弁当箱の中にそっと置く。
「も〜、そんなこと言われたら食べづらくなっちゃうでしょ〜」
とか言いつつ、ショコラちゃんは真っ先にわたしがあげたうさぎさんウインナーをフォークでぶっ刺した。ひどい。
「あぁっ! うさぎさん!」
「いただきま〜す。あむっ……う〜ん、おいひ〜」
ショコラちゃんはうさぎさんウインナーを丁寧にもぐもぐして、ごくりと飲み込んだ。うさぎさんウインナーは血肉となって、ショコラちゃんの体の中で永遠に生き続けるのだ。そう思うと、悲しみも紛れる気がした。